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http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/europe/news/20060404ddm007030061000c.html
CIA不法拉致疑惑:「エジプト人拉致」、伊が捜査報告 基地・領事館と交信
◇CIA工作、周到に
欧州などで米中央情報局(CIA)がテロ容疑者を拉致し、収容所などで拷問したとされる疑惑が、大きな国際問題になっている。米国は疑惑を否定しているが、毎日新聞はイタリアのミラノで03年に起きた拉致事件の詳細を記したイタリア当局の捜査報告書(約500ページ)を入手した。報告書は、約20人のCIA工作員が事前に周到な下見をしたうえで被害者の男性を拉致し、米軍基地に運ぶなど、スパイ小説さながらの展開を克明な捜査で裏付けている。欧州議会もこの報告書をもとに、米国を追及する構えだ。【ブリュッセル福原直樹】
■17人、携帯電話で
報告書によると、捜査のカギとなったのは携帯電話の通話記録だった。イタリア当局は、拉致現場近くの複数の電話中継局の記録から、事件当時17人が携帯電話で頻繁に連絡を取り合い、アビアノ米空軍基地やミラノの米領事館、ミラノ在住のCIA幹部とも交信していたことをつかんだ。
また高速道路の通行記録と通話記録を照合した結果、17人のうち9人が拉致直後、車3台で基地に向かったことも判明。9人はこの間、米軍基地と連絡を取っていた。携帯の名義には米国人名も含まれ、当局は17人をCIA工作員と断定。「拉致班」と、基地に被害者を運ぶ「運搬班」に分かれていたと分析した。
■高級ホテル転々
さらに当局は17人の通話記録から、事件に関与した計65の携帯電話番号を割り出し、最終的にCIAスパイ網のメンバーとして、ローマの米大使館員など米国人約30人を特定。うち約20人は事件の1カ月前からミラノ周辺の超高級ホテルを数人1組で転々とし、現場を延べ約100回訪れていた。ホテル記録と照合した結果、滞在費は総額12万ユーロ(約1700万円)以上。多くが高級クレジットカードで支払われていた。
さらに当局は、このうちの一人でかねてミラノ在住のCIA幹部としてマークしていた米国人の自宅を捜索。自宅のコンピューターから、事件の約1カ月前に被害男性を隠し撮りした写真や、現場付近の地図を押収した。また航空会社の予約記録から、拉致直後にこの幹部がカイロに行き約2週間滞在していたことも突き止めた。
◇米「憶測だ」
報告書が再現した拉致事件は、これまで欧州などでCIAが関与したとされる他の拉致疑惑と、状況が克明に一致する。いずれもテロ容疑者を拉致して米軍機で第三国に運び、収容所などで拷問にかけるパターンだ。だが米政府は、これらの疑惑に具体的な回答をしていない。
報告書によると、事件に関するイタリア当局の照会に米国は「(拉致疑惑は)憶測だ」などと回答。昨年12月に訪欧したライス米国務長官も、否定している。エジプトも、イタリア当局の照会に全く回答していない。
報告書は事件を「イタリア政府の承認や逮捕状なしに個人の自由を奪った主権侵害で、国際法違反だ」と糾弾している。
◇エジプト移送後、体重20キロ減/「二重スパイ」迫られ−−捜査当局が電話盗聴、被害男性が語る
■路上でスプレー
捜査当局は、ミラノの被害男性宅の盗聴も続けていた。男性は拉致後、一時釈放され、妻や知人に電話で拉致の状況を語っていた。
それによると男性は、自宅から近くのイスラム教寺院に向かっていた事件当日の昼ごろ、路上で男2人にイタリア語で身分証明書を求められた。その直後に口と鼻にスプレーをかけられ白いバンに押し込まれた。口にはガムテープを張られた。2人は「静かにしないと殺す」と脅したという。
やがて「星条旗を掲げた軍用機が止まっている基地」に到着。男性は腕時計で、拉致されてから約5時間後だったと確認したという。そこでイタリア語と英語を流ちょうに話す人間に、国際テロ組織アルカイダやアルバニアのイスラム原理主義組織との関係、米軍と戦うためイラクにイスラム原理主義者を送ったかなどを尋問され、答えないと殴るなどの暴行を受けた。
この後、男性は米軍機に乗せられ、別の空港に到着。そこで米軍機を乗り継ぎ、見覚えのあるカイロ空港に移送された。
■釈放後も「監視」
「エジプト当局の拷問で20キロやせた……」。男性は電話でそう語っていた。カイロ移送後、男性は目隠しのうえ連行され、エジプト政府幹部と面会。自らが属する原理主義組織について「内部通報者(二重スパイ)になれば2日以内に釈放する」と言われたが断った、という。
このため男性は「アルカイダのメンバー」と責められ7カ月間、電気ショックや逆さづり、極熱サウナなどの拷問を受けた。盗聴記録では、一時釈放後の04年5月8日、男性は知人に「(暴行で)健康が悪化し、釈放された。腎臓が悪くなり血圧もあがった。(釈放時は)全身がまひし、今は200メートルも歩けない」と発言。さらに「(収監中)2カ月間ハンストをした」とも話した。
また同10日の妻への電話では「(虐待で)死ぬところだった。お前がそばにいてほしい」「今はイスラム信仰に基づく生活を送りたいだけだ」と心情を語っている。
男性によると、一時釈放の際、エジプト当局は「生きて監獄から出たいなら、自らの意思でエジプトに来て、出頭したことにしろ」と要求。これを認める書類に署名させられた。また「エジプト当局が常に監視中だ」と念を押され、拉致や拷問などを一切口外しないように求められたという。
◇欧州議会、7月に中間報告
CIAによる拉致疑惑は、一昨年ごろから欧米のマスコミで指摘され始めた。具体的な証拠や証言があるものには、ミラノ事件のほか▽03年末にレバノン系ドイツ人男性(42)をマケドニアで拉致▽アフガニスタンで拘束したテロ容疑者をウズベキスタンに移送……などの事件がある。
ドイツ人男性の場合、薬物で意識を失わされアフガンの刑務所に移送。そこで、アルカイダとの関係を尋問され、拷問で約30キロやせたという。一方、02〜04年に英国の駐ウズベク大使だったマレー氏は毎日新聞に、当時米がアフガンで拘束したテロ容疑者を小型機でウズベクに移送し、同国で虐待が行われたと指摘している。
事実なら重大な人権侵害となるため、欧州議会は1月、調査委員会を設置。これらの関係者を喚問し、調査中だ。調査委の幹部は「テロとの戦いという緊急性があるにせよ、米は明確な回答をすべきだ」と発言。7月に中間報告を出すことを明かしている。【ブリュッセル福原直樹】
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◇事件の概要
イスラム原理主義組織「イスラム集団」メンバーで、イタリア亡命中のエジプト人男性が03年2月17日、ミラノの自宅近くで拉致された。伊捜査当局は、男性はイタリア北部のアビアノ米空軍基地から、ドイツ西部のラムシュタイン米空軍基地経由でカイロに移送されたと断定した。
男性は04年4月、カイロで釈放されたが、翌5月に再逮捕された。05年7月、伊捜査当局は拉致に関与したとして、米国人22人を誘拐などの容疑で告発した。
毎日新聞 2006年4月4日 東京朝刊