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辛口時評060402
911「同時多発テロ」一斉合唱は「集団催眠」(半藤一利)で納得
911に関しては、『9.11事件の真相と背景』で、「同時多発テロ」一斉合唱の状況に呆れ返り、以下のように、数カ所で、その唖然たる状況への批判を記した。
「はしがき」
日本中の大手から中小のメディア、市民運動の末端のチラシに至るまでが、一斉に9・11事件を「同時多発テロ」とか呼び始めた頃、しばし憮然となり、ややあって、次の言葉を思い出した。それを読み直して、これまでに何度もあったこと、別に驚くに当たらずと思い定め、やっと気を取り直した。
以下は、私自身の言葉ではなくて、10年前の拙著『湾岸報道に偽りあり/隠された十数年来の米軍事計画に迫る』の序章、「帝国主義戦争と謀略の構図」の中で抜粋して引用した『月刊アサヒ』(1991・4)における静岡大教授中西輝政の発言である。
「歴史家としてこれを見ますと、世界の人たちが一瞬にしてリアリズムを失った」「なだれを打って、国連による新秩序とか法の支配を口にする」「憑きものがついたんじゃないか」「みんながそのレトリックに乗った」
つまり、ほとんど同じことが、またもや起きたわけである。
「第4章」
●「同時多発テロ」の「ネイミング」を、あの「大本営発表」NHKが今度は自認
アメリカの威圧的な発音の「テロ」(terror)が、日本では異口同音、「同時多発テロ」となった。ほとんどの論者が、これを鸚鵡返しに使った。この件では、、NHKが「ネイミング」を自認した。日本人の大部分は、NHKを通じて、「米=日」連合のテレヴィに命令され、見事にマインド・コントロールされてしまったのである。
●テレヴィ映像の魔術に引っかかった著名な論者たち
「あの」大本営発表のNHKの「この」でたらめ放送の命名、「同時多発テロ」が、さらには翌日の大手紙の一斉の超々大見出しとなって紙面を飾り、以後、いわゆる一般大衆だけではなくて、日本の大手新聞、大手総合雑誌のトップを飾る「著名な論者」にまで、甚大な影響力を発揮してしまったのであるから、これは実に恐るべき事態、極彩色動画と「鍵言葉」の魔力発揮なのである。
これまた、分かりやすくするために、典型的な事例を選ぶ。「著名な論者」も、二人の大先輩だけに絞る。この二人は、今回の事件の展開の中では、アラブ・イスラムに同情的な立場を表明していた。そこが重要なのである。ブッシュやら小泉やらの提灯持ちの役割などは、まるで論ずる価値もない。
アラブ・イスラムに同情的な立場な人々までもが、9・11事件はアラブ・イスラムの「原理主義者」が起こした「テロ」なのだと思うという主旨で語れば、その反対の立場の発言よりも、数倍の効果があがってしまうのである。だから、専門家の責任は重いのである。
そういう意味では、程度の差こそあれ、「テロと認めるか否か」を迫るアメリカ帝国の手に、素直に乗ってしまった論者たちが、あまりにも多すぎた。私の表現では「ジャーナリスト」の最良の部類と言える論者たちも、いわば「枕を並べて討ち死に」である。
彼らを「討った」凶器は、他でもない。あの事件を伝えたテレヴィ動画である。
以下に紹介する大先輩も、自ら記しているように、事件の直後、テレヴィを見てから、以下の文章を綴ったのである。
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『朝日新聞』(2001・9・15)15面(「オピニオン」頁)
(opinion@news project:opinion-page@ed.asahi.com)
メディア・テロの背景さらに究明を
原寿雄(はら・としお)
ジャーナリスト、元共同通信編集主幹
11日夜、テレビ朝日の「ニュースステーション」で事件の発生を知った。NHKの総合とBS、その後中継を始めた他の民放局を含め、テレビを見ながらさまざまの思いに駆られた。テロは圧倒的な軍事力の差が生み出す戦争の一形態と言える。今度は武器も使っていないようだ。超大軍事力の米国が、こんなにもテロに弱いことをどう考えるべきか。ジャーナリズムの上でも課題は多い。「自由と民主主義の擁護者」を自他ともに認める米国がなぜこれほど憎まれ、恨まれ、敵視されるのか。どこで、だれに、どうして恨まれているのか。今なお自殺特攻隊が後を絶たないのはなぜか。[後略]
今、改めて読み返すと、実に慎重な練達の文章なのだが、惜しいかな、やはり、テレヴィ映像の強烈な影響のせいであろうか、この記事の中でも自ら記しているように、「べトナム戦争の米軍北爆」を現地で取材していたこの大先輩ですらが、その「北爆」に先立つ「東京(トンキン)湾事件」を思い出してもいないのである。何度もアメリカが謀略で戦争を仕掛け、拡大してきたことを、まったく忘れてしまっていたのだ。
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『朝日新聞』(2001・9・20)
(opinion@newsproject)
私の視点/◆同時テロ/日本はイスラムとの仲立ちを
板垣雄三(いたがき ゆうぞう)
東京大学名誉教授(中東・イスラム研究)
イスラム原理主義はイスラムの本道を逸脱し、その対欧米対決主義の二分法は欧米オリエンタリズムの裏返しでしかない。ハイジャックした旅客機を乗客もろともビルに激突させる行為は、悪と戦う善は目的に照らして手段を正当化できるという思想に立っている。[中略]
日本の発信は、国際テロ包囲網の形成に向かって、中国・ロシアをも含むイスラム世界の協力を必須のものとしている米国を最も強力に助けるものだ。[後略]
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テレヴィ業界出身の私としては、これらの事態を、二人の先輩の判断の誤りとしてだけでなく、自らも関わってきた「テレヴィの犯罪」として告発せざるを得ない。
以上のような「論壇」の状況であってみれば、体制派はもとよりのこと、大方の政党から「反体制派」までが、9・11を「テロ」と思い込み、茫然自失の「テロ糾弾」合唱を始め、その状況が市民運動の末端にまで浸透したのは、無理からぬことであった。
私は、この状況をさらに、「またか」症候群と名づける。
なぜ、私が「またか」と言うのか。その理由を簡略に述べると、基本的に同じ状況が、湾岸戦争でも、カンプチアPKO出兵でも、ユーゴ戦争でも、すでに起きていたからである。この十数年というもの、旧ソ連の崩壊後の状況を反映し、「反体制派」は「貧すれば鈍する」状況の坂道を転げ落ち、その一方で、大手メディア報道の影響、または犯罪は、何度も繰り返され、さらに、そのあくどさを増してきたのである。
しかし、一応の影響力を持つ組織や個人が間違えると、その影響は、坂道を転げ落ちる勢いで増幅されるから、実に危険なのである。
いわゆる「反体制派」の中でも「老舗」の位置にある日本共産党は、ソ連崩壊後に何度も露呈した長年の習慣通り、何も調べもせずに、「テロリスト糾弾」に走った。同党は、湾岸戦争では「独裁者サダム・フセイン」、カンプチアPKOでは「ポル・ポト派」、ユーゴ戦争では「独裁者ミロソヴィッチ」に対する「糾弾」に余念がなかった。いずれの場合も、本音は明らかだった。ソ連が崩壊に向かい、ついには完全に崩壊した状況下の退勢をくい止めるために、右顧左眄し、目先の票確保のために「良い子」ぶったのである。今回も「全党を挙げて」「テロ糾弾」の先頭を切り、思い切りの暴走をしてしまった。
9・11事件直後から、同党は、NHKの命名による「同時多発テロ」を超々大見出しで使用し続けた。しかも、そればかりか、事件の犯人として「ビンラディン」の容疑が濃いとまで主張し続けたのである。
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さて、本日、2006年4月2日(日曜日)の日経読書欄、「半年遅れの読書術」に、ノンフィクション作家としても名高い半藤一利が、「日本人の集団催眠」「かかりやすさ相変わらず」と題する一文を寄せている。
以下は、アマゾンの著者紹介である。
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半藤一利
1930年東京向島生まれ。東京大学文学部卒業後、文芸春秋入社。「週刊文春」「文芸春秋」編集長、取締役などを経て作家。『漱石先生ぞな、もし』で新田次郎文学賞受賞。『日本のいちばん長い日』、『ノモンハンの夏』(山本七平賞)など著書多数。
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日経のこの欄で、半藤一利は、「ミッドウェイ海戦で機動部隊を率いた南雲司令部の指揮ぶり」と、「松本サリン事件」の犯人像報道を、「集団催眠」によるものとして、類型化している。
「集団催眠」をインターネット検索すると、「応援団は集団催眠」が出てきた。あの熱狂ぶりである。
要するに、一緒に熱狂するしかない状況である。911「同時多発テロ」一斉合唱も、この「集団催眠」で納得した。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/
憎まれ愚痴