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(回答先: 改宗男性の釈放に抗議デモ アフガン北部(CNN.co.jp) 投稿者 gataro 日時 2006 年 3 月 27 日 21:13:55)
改宗者ラハマン氏インタビュー(伊紙ラ・レップブリカ)
イスラム教からキリスト教への改宗により、アフガニスタンで逮捕され
死刑判決を受ける可能性のあるアブドゥル・ラハマン氏の獄中インタビュー。
現在の速報によると、ラハマン氏近日解放とのコメントが米報道官より
出たようです。
以下はラ・レップブリカ紙記事の訳出。
記事中 娘さんの年齢に食い違いがありますが、原文ママです。
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アフガニスタン 改宗者
「信仰のために死ぬ準備がある」 by Daniele Mastrogiacomo特派員
獄中からアブドゥル・ラハマンが語る。
”私を告発したのは家族だった”
〜 あなたの精神状態は健康ではないとの声があるが
「完璧に健全な状態にある。とりわけ自分がキリスト教徒であることに
納得している」
〜 絞首刑のリスクがあるが
「アフガニスタンの法律は知っている。それはシャリア法で規定されている。
しかし信仰宣言を裁く者は存在しない。とりわけ宗教を。ただ神だけが
すべての者の神だけが裁きが可能だ。 私に有罪宣告が下るなら、自分の
こころを信じて従う。
アフガニスタンを国際社会から孤立されるリスクを負った男性は、ジョージ・
ブッシュのアメリカと西側諸国が運んだ人権と近代民主主義を通じた戦いの
最新の象徴だ。先週水曜日より Pulicharkhy刑務所内の独房に隔離されている。
カブールからジャララバードとカイバル峠に続く岩岩と埃に覆われた幹線道路を
40キロ進んだ場所にある平原の只中にある古い砦の跡に。
バグダッドの高官らによると、治安上の理由とのこと。 高まる人々の声から
読み取るなら、信憑性ある理由だ。
誰もが彼を憎み、非難し、侮辱する。死を望んでいる、即座の。彼を赦す立場に
立ったひとりの女性を除き、子供から老人まで。 ペスト患者よりも酷い。
裏切り者、背教者。イスラムを棄て、キリスト教徒になった。シャリア法に基づく
罪の中の罪を悔い改めようとしなかった。 (*先週)金曜日のこの国のすべての
イスラム寺院では、彼の死が祈祷された。
41歳を迎えたばかりのアブドゥル・ラハマン。12歳と14歳の2児の父は、頑固で
一旦決めたことには粘り強く従うひとりの男性。絞首台の露と消える運命を前に
しても明瞭な態度を貫くことのできる。 個人的な会見は不可能だった。
ハーミッド・カルザイ大統領は外部との接触を禁じている。 混乱と緊張状態。
南部のタリバン攻撃と、国を2分する恐れのある政界と宗教界の断絶が存在する
アフガニスタンはデリケートな時期を生きている。 しかし我々はある人権擁護
組織の代表を通じて、氏に幾つかの質問を行うことができた。 以下が質疑応答。
〜 今の時期、どのような気持ちでいますか?
「晴れやかで落ち着いた気持ちでいる。 自分が正しいと知っている。後悔
するようなことは何もしていない。 イスラム教と同様にアフガンの法律も
尊重している。 しかし私はキリスト教徒となる選択をし、私と私の心の
従い行ったそれは罪ではない」。
〜 命が代償となる可能性のある選択だった。それを自覚されていますか?
「もちろん。想像外だったものの、私はすべての帰結に従う心の準備がある。
信仰を放棄したわけではない。私はすべての宗教に存在する神を信じ続けて
いるのだから」。
〜 誰に告発されたのですか?
「私の家族。元妻、2人の娘と叔父、そして2人の従弟から」
〜 いつ、そして何故ですか?
「3週間前だった。ある朝警察が来て、15分署の警官が自宅にやって来て、
私を逮捕し法廷に引き出した。 理由は全く思い当たらず、警官に聞いたが
彼らは沈黙を通し、私を険しい目で見た。 うちひとりが、私が生きるに
値しない無宗教者、アフガニスタンと全イスラム教徒の恥であると言い始め、
私を侮辱した。 理由がわかったのはその時だ」。
〜 その時何を思いましたか?
「自分に恥ずべき点は何もないと」。
〜 あなたの妻は警官に何と言いましたか?
「私が棄教者であると。彼女を棄て、何の連絡もよこさず、2人の子供の世話も
せずに逃げ出したのに、今になって彼女を取り戻したがっていると。しかし
とりわけ私がキリスト教徒に改宗した点を言っていた」。
〜 それは事実ですか?
「16年前にアフガニスタンから逃げ出した。 ムジャヒディンの間で戦争があり、
それからタリバンがやってきた。 自国で生き延びるのは不可能だった。
まずはパキスタンを目指し、そこからドイツに行った。ベルギーでビザ取得を
試み、ペシャワールで人道活動組織の仕事をした。 カトリックの彼らと宗教に
ついて対話し、聖書を読み、心と精神を開いた」。
〜 コーランから同様の平和を得られなかった?
「もちろん(得られた)。しかし私の選択は一歩進んだ黙想から得たものだった。
キリスト教徒に改宗した時点で、私は心から納得していた」。
〜 あならの娘さんたちは何と?
「母親と同じことを。 パキスタンに出奔したのはそれぞれが生後4ヶ月、2歳の
時だったが今は14歳と16歳。 彼女たちはおそらく抑制されているが、やはり
私を棄教者と呼んだ。さらには私が聖書とキリスト教の祈りを強制することで
彼女たちがよきイスラム教徒である邪魔をしていると。これは事実ではない。
帰宅した時点で、自分の選択が何であったかを隠さず説明した」。
〜 なぜそうしたのか?
「それは挑発ではなかった。 彼らは私が共に祈らず聖書を読んでいたのを
目にした。 聞かれたので真実を伝えたのだ。キリスト教に改宗したと」。
〜 刑務所ではどんな扱いを受けましたか?
「今はましになった。 カブール中心にある州刑務所に収監された当初は、
24人との同居房で、多くが麻薬売買で捕まったナイジェリア人だった。
親切だが我関せずといった態度だった」。
〜 他の人々は?
「アフガン人。 絶え間なく侮辱してきた。 私は無関心を装っていたが、
1度ならず彼らに殺されるかもしれないと思った」。
〜 なぜ?
「おそらく私にショックを与えたかっただけなのだろうが、看守にこう言うのを
聞いたことがある。 やつを殺してしまえ。殺してやつの血を飲もうぜ」。
〜 身の危険を感じますか?
「今は感じない。 非常に慎重に扱われた。 脅迫を避けるために私を独房に
移した」。
〜 訪問者はありましたか?
「あなたたちが初めてだ。 あるアフガン人の囚人が10ドルくれたよ。煙草代に
とっておけとね。 警戒して理由を訊ねた。悔い改める代償だったと思う。
あらゆることに警戒している。私のケースは大騒動に発展すると自覚しているから」
〜 弁護は?
「ひとりで。弁護士はいらない。もっとも誰も引き受けないだろうけど。
1人で充分だ。彼らを説得してみせよう」
アブドゥル・ラハマンが身に着けている衣服は、自宅から警察に連行されていた
時のものだ。伸び放題の髭、苦難が刻まれた表情、体には看守からたびたび
蹴られた跡の痣が残っている。 カルザイ大統領の命を受けた刑務所長が、個人的に
彼の世話をしている。 最大級の治安、そして拘束もまた最大級。
Ningarhar の宗教会議は、シャリア法の適用とラハマンの死刑を求めるファトワを
出した。
〜 彼らがあなたに悔い改めを求めたというのは事実でしょうか?
「何度も。 最初は判事の前で。 法律から予見できたが、ノーと答えた」
〜 殉教者として死に臨む可能性は?
「私は英雄ではない。極貧の過程に生まれ育った。 しかし外国での経験は
私を豊かにし、多くの事柄の理解を可能にしてくれた。 繰り返すが
私は晴れやかな気持ちでいる。 自分の選択を心から確信している。
死ななければならないのなら死のう。 遠い昔に、我々すべてのためにそれを
行った人物がいた」。
〜 外国に行きますか?
「おそらく。しかし再び逃げねばならないなら、祖国は何も変わっていない
という意味になる。我々の敵の勝利を意味する。 人権もない、宗教への
尊重もない、タリバンの勝利を意味する」。