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http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/2827c91bd3a18b053894b12bb3a6c337
イラク駐留米軍の撤退を要求しながら傀儡政権に閣僚を出し、不倶戴天の敵であった同じシーア派政党のイスラム革命最高評議会と突然協調行動を採り、サマッラの聖廟爆破事件後にはスンナ、シーア両派の合同礼拝を呼びかけたかと思えば、スンナ派襲撃にも加わっていると噂されるなど、その言動に一貫性が無く矛盾に満ち、評価が分かれる強硬派シーア派の若き指導者ムクタダ・サドル。フランス在住のイラク人元ジャーナリストで法律が専門のアブドルイラー・ラーウィー博士が15日付のバスラ・ネットで論じた。
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反占領の盟主、それとも走狗? 矛盾一杯サドルの真相
ムクダダ・サドルの全ての立場を論じるのは困難だが、例えば、バース党に反対し、バース党員にまで及んだ多数の粛清に彼の傘下のマハディー軍が加わり、(イラン系のイラクのシーア派最高権威とされる)アリー・シスターニの祝福を得て、彼の不倶戴天の敵であるイスラム革命最高評議会(SCIRI)党首のアブドルアジーズ・ハキームが率いる(シーア派)統一同盟リストに加盟することで昨日の敵と合意するなどという多くの欠点があると言えるが、イラク南部の連邦制設立に反対したり、占領には反対姿勢を貫くなど一部愛国的な姿勢もある。
そこで彼は、シーア派の同胞たちの多数に強い影響力を有する者の中で、唯一このような姿勢を堅持していると見なされているのだが、どの程度まで影響力を及ぼせるのか?
彼の発言の二重性には、統一同盟リストに加わりながら、イラクからの外国軍撤退を呼びかけていることがある。このことに関して事実上のイラクの支配者である駐イラク米国大使までもが、次のように述べて、外国軍の撤退を呼掛けたサドルの非論理性を突き崩した。
「次のような内容の書簡を彼に送りたいものだ。『あなた自身がその一部であり、あなたの閣僚を送り込んでいる(イラク)政府からの呼びかけによって、同盟軍はイラクに駐留しているのだ。従ってあなたは政府の一部でありながら、我々に撤退を求めることは出来ない』」
このような二重性の理由は何なのかを答えるには、当時30前でシーア派の何の肩書きも無かったサドルが如何に一夜にして大物の精神的・政治的権威にのし上ったかを知る必要がある。イラク占領初期に戻り、彼とイランとの関係を考察しよう。
サドルは、かつてイラクに在住し現在はイラン(宗教都市コム)に住むイラン国籍のアーヤトッラーにして、(イラクの宗教都市)ナジャフで序列五番目のシーア派権威であるムハンマド・カーゼム・ハーイリーの弟子であった。ハーイリーはイラクのこの急進派(サドル派)の精神的な父親だと見なされる。
ホメイニ追悼記念行事出席のためイランを訪問した若きサドルを彼が支えたことは否定できない。この訪問は、コムの宗教界、並びに宗教家やイラン出身の宗教権威者たちの最大の敵であり、「ホッジャトル・イスラーム」という称号を持つアブドルマジード・ホーイーの殺害を扇動した男(サドル)の訪問に憤慨した改革派の世界に抗議の波を引き起こした。
またサドル自身が語るところによると、ハーイリーは、サドルに「ホッジャトル・イスラーム」という称号を与えている。またマハディー軍に関してサドル派グループとナジャフのハーイルー事務所とは協調行動を採っている。サドルは、「この軍の設立をハーイリー師は私に許した。我々の事務所とナジャフのハーイリー事務所とは位置は異なるが精神的には同一の事務所のようなものだから、同師の事務所に志願してきた人たちを我々の事務所に送ってきている。同意して無ければ師の事務所が送って寄こす筈が無いではないか」。(2003年9月11日付アル・ハヤート紙)
このことは、イランの最高宗教権威界はこの軍の設立をムクタダ・サドルに承認若しくは黙認したことを意味する。後述するようにハーイリーはコムの学術本山の重鎮なのだからだ。
イランの宗教都市コムの学術本山のシーア派高位筋によると、伝統的宗教権威路線を代表するシスターニに対峙するのにムクタダ・サドルは、イランの治安、諜報機関の高官たちから支援の確約を得た。同筋によると、支援する見返りに、シーア派の最高権威としてイラン革命最高指導者(ハムネイ師)をサドルが認めることをイラン側は条件とした。
同筋は語る。「宗教権威であった故ムハンマド・バーキル・サドルの子息であるムクタダ・サドルは、イランの治安、諜報機関の高官たちと会談した際に、物心両面の支援をするとの確約を手に入れた。(2003年6月12日付アシャルク・アルアウサト紙)
革命の最高指導者の承認を条件付けた動機は、宗教権威に関してサドルが彼の師匠と意見が異なっていたからだ。(イランの)コムではなく(イラクの宗教都市)ナジャフに宗教権威が置かれることをサドルは固執していたのだ。
前述の訪問時にムクタダ・サドルと彼の師匠であり、イラン革命最高指導者アーヤトッラー・ハメネイの顧問でもあるハーイリーとは何度も会談した。(イラクの)シーア派最高権威としてのアーヤトッラー・シスターニの地位を揺さぶることを目的とするコムで準備されている計画の協議が、この一連の会談の目的であった。
その理由は、シスターニが(イランの統治形態である)神学者による神権統治という考えに反対で、ナジャフの本山を、イランの神権統治者による実質的な支配に服従させようとする試みに抵抗しているからだ。(2003年6月12日付アシャルク・アルアウサト紙)
なおニューズ・ウィーク誌によるとサドルは4月7日に、「政権奪取を狙うサダム(元大統領)一派の殺戮を呼び掛け、「最大の悪魔(米国)」の計画を人々に啓蒙するよう求めるハーイリーの書簡を受け取っている。(2003年5月18日のアルクドゥス・アルアラビー紙)
このイラン訪問中にサドルは、イランのクドゥス(エルサレム)軍の司令官で警備隊の諜報機関の責任者であるカーシム・スレイマーニ准将と会談している。このことは彼が治安、軍事方面の任務をも委任されたことを示している。また、ラフサンジャーニ(元大統領)とも会っていることは、その後政治的役割を任されるかも知れないことを明らかにしている。(2003年6月12日のアシャルク・アルアウサト紙)
無論彼が任されるのはイラクでの政治的役割であってイランではない。何故ならサドルは、アラブ人を先祖に持つ生粋のイラク人で、イラクで生まれ、国外に出たことが無く、このイラン訪問が初のイラク国外旅行となったほどだ。
ムクタダ・サドルはホメイニの追悼際へ招待された唯一のイラクの宗教権威者だ。(2003年9月11日のアル・ハヤート紙)
このことは、イラクの将来計画実行に当たってイランが彼を信任しており、サドルはイランから継続的に金銭や武器の援助を受けていることを示している。
このような理由から、彼がバース党に敵対し、矛盾した姿勢を採っている真相は、彼が自己の行動に決定権を持たず、それどころか、パトロンであるイランの要求に屈せざるを得ないことなのだ。丁度、SCIRIのハキームや彼の傘下のバドル旅団、ジャーファリの一党を初めとするイランの支援でイランで設立された政党や民兵組織のように。
それではサドルはイランの手先であるという非難と、占領軍に対する彼の英雄的な行動、特に2004年3月の(米軍との)激戦とは矛盾無く理解できるのか?
イランは紐の両端を持って彼を操っているのだ。米国に圧力を加える必要があると、イランはサドルと彼の(マハディー)軍を動かす。そして適当な時期を見計らって、越えてはならない一線の限界点でサドルの動きを抑えるて、自らが乗り出してくるのだ。彼がイランの指令に従わなければ、嵐が通り過ぎるまでの間一時的に、イランは彼に敵対的姿勢を採らざるを得ない場合もある。そのようなことは、彼がナジャフで蜂起した時に起きた。
従って、イラク南部諸州の連邦結成を呼び掛けたハキームの提案を支持することが自国の利益になると見たイランは、シーア派統一リストの議席が国会で圧倒的多数を、或いは少なくとも過半数を占めさせるために、統一リストに加盟するよう(反対論者の)サドルに指令したのだ。
http://www.albasrah.net/ar_articles_2006/0306/abdal_160306.htm
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【短報】
* イラクのイスラム軍:占領軍が市民爆破の黒幕 イラク人政府高官とは交渉せず 米国との交渉条件は、時期を限定しイラクから撤退するとの米国政府が確約することと、抵抗勢力をイラク国民の正統で唯一の代表と認めること 「im」
http://www.islammemo.cc/news/one_news.asp?IDNews=104328
【アラビア・ニュース】 齊藤力二朗