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「政治的発言、被爆者は自粛を」平和推進協の要請に波紋
2006年03月22日11時31分
長崎市の外郭団体・長崎平和推進協会(推進協)が証言活動をする被爆者に「政治的発言」の自粛を求め、波紋が広がっている。関係者は「言論の自由の侵害だ」と方針撤回を求めるが、推進協は拒んだままだ。
1枚の文書が発端だった。タイトルは「より良い『被爆体験講話』を行うために」。推進協が1月20日、継承部会に所属する被爆者29人を集めた総会で手渡した。
「意見が分かれる政治的問題についての発言は慎んでいただきたい」と記し、具体例として(1)天皇の戦争責任(2)憲法(9条等)の改正(3)イラクへの自衛隊派遣(4)有事法制(5)原子力発電(6)歴史教育・靖国神社(7)環境・人権など他領域の問題(8)一般に不確定な内容の発言(劣化ウラン弾問題など)の順で示している。
危機感を抱いた被爆者らがつくった「被爆体験の継承を考える市民の会」は今月13日、推進協に方針の撤回を求めた。
代表の舟越耿一(ふなこえ・こういち)長崎大教授(60)は「原爆は戦争という時代の中で落とされた。いま日本は戦争への準備を始め、核戦争の脅威も迫る。『政治』を抜きに語れない」。8項目を選んだ理由も不透明だと指摘する。
推進協によると、以前から被爆者の証言について「話が聞きにくい」「主張が偏っている」という声が、学校などから寄せられていた。丸田徹事務局長(60)は「このままでは話を聞いてもらえなくなるし、中立性を保つことが必要だと考えた。文書は撤回しない」と話す。
推進協は83年、原水爆禁止運動の分裂をきっかけに官民一体の幅広い組織を目指して生まれた。政治的に意見が違っても、核兵器の廃絶と平和の実現という「最大公約数」で団結しよう。今回の要請はその方針の再確認が狙いだったという。
だが、推進協の設立に深くかかわった前長崎市長の本島等さん(84)は「一つの価値観への忠誠を強いて戦争へと突き進んだかつての道が現れた」と危機感を示す。
88年12月に市議会で「(昭和)天皇の戦争責任はあると思う」と発言。90年1月、右翼団体のメンバーに市庁舎前で銃撃されて胸に重傷を負った。「民主主義は少数の意見も尊重し、議論を交わせること。社会全体が言論の自由を軽視するようになるのは心細く、寂しい」
http://www.asahi.com/national/update/0322/TKY200603220146.html