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ユーゴスラヴィア大統領の獄死について(IAC)の声明
元米司法長官のラムゼイ・クラークが代表する国際行動センターは、ユーゴスラヴィアのスロボダン・ミロシェヴィチ大統領の死を、ハーグの裁判所と刑務所当局に殺害されたとしている。
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国際行動センター
http://www.iacenter.org
email: mailto:iacenter@action-mail.org
ラムゼイ・クラーク国際行動センター元米司法長官の(IAC)の声明
2006年3月11日
スロボダン・ミロシェヴィチ・ユーゴスラヴィア大統領の獄死について
IAC Statement on the Death in Prison of Slobodan Milosevic, President of
Yugoslavia
国際行動センターは、ハーグの裁判所と刑務所当局に殺害されたユーゴスラヴィアのスロボダン・ミロシェヴィチ大統領の死を悼むご家族、友人、同僚、バルカンの人々に謹んでお悔やみを申し上げます。私たちはこの旧ユーゴ国際刑事裁判所(ICTY)の犯罪に抗議する世界の人々に合流します。スロボダン・ミロシェヴィチ大統領の死に対するすべての責任は、まさしく、米国とNATO諸政府によりハーグに設立された不正な法廷ICTYにあります。私たちはミロシェヴィチ大統領の死の状況に対する独自調査の要求にも加わります。
ICTYは、欺瞞的な戦争犯罪の告発で2001年6月にミロシェヴィチ大統領をセルビアから不法に誘拐し、シェヴェニンゲン刑務所に強制的に拘留して以来、一貫して適切な医療を拒否してきました。ICTYは、この4年間、バルカンにおけるNATOの犯罪的な戦争をミロシェヴィチとユーゴスラヴィアの責任にしようとし、欺瞞的な裁判を行なっています。
今や4年を経たこの裁判で、検察当局は、ミロシェヴィチに不利な説得力のある論拠の提示に失敗しています。その上、彼の活発な抗弁は、破壊と直接の軍事攻撃によってユーゴスラヴィア社会主義連邦の破壊を企む帝国主義者の勢力、特に米国とドイツ、の犯罪をあらわにしてきました。
ミロシェヴィチ大統領が亡くなる前、国際行動センターは、スロボダン・ミロシェヴィチ弁護国際委員会(ICDSM)の尽力に参加し、国連安全保障理事会加盟15ヵ国の大使に、危機的な健康状況にあるミロシェヴィチ大統領を治療するためにロシアに移すべきだという要請書を送りました。この法廷はいま−少なくとも−このユーゴスラヴィアとセルビアの政治指導者に対する裁きを確立できない自らの無力を晒すよりもむしろ彼に死を与えたのです。彼を保護する責任があったICTYは、少なくとも犯罪的な怠慢で有罪です。
NATOの指導者たち−そのリストのトップはビル・クリントン(米国)、トニー・ブレア(英国)およびゲアハルト・シュレーダー(ドイツ)−は、戦争犯罪で裁かれるべきです。ミロシェヴィチ大統領は誘拐されたその日から、ユーゴスラヴィアを防衛するために自分で英雄的な抗弁をしてきました。彼はこれらの大国の指導者たちの犯罪を等しく世界に向けて暴き出しました。このために、バルカンと世界の人々は彼に恩恵を受けているのです。
2006年3月11日 サラ・フランダース・国際行動センター共同議長
この裁判が開かれた時のミロシェヴィチ大統領の冒頭陳述の全文は、IACの本「隠された意図:米国/NATOユーゴスラヴィアの乗っ取り」(Hidden Agenda: The U.S./NATO Takeover of Yugoslavia)に掲載されています。2年後の被告側の抗弁で彼はついに法廷に対する反駁を開始しました。その陳述の全文は、IACの本「被告は歴史と未来を語る」(The Defense Speaks For History and the Future)に掲載されています。両書はLeftbooks.comで購入可能。
* 訳注:ラムゼイ・クラーク元米司法長官とサラ・フランダースが共同議長を務める
国際行動センターは、1999年に空爆下のユーゴを調査し、米国/NATOの戦争犯罪を裁
く国際民衆法廷を呼びかけ、世界各地で民衆法廷が開催された。サラはミロシェヴィ
チ側証人としてICTYに出廷する予定だった。
国際行動センター http://www.iacenter.org email:
mailto:iacenter@action-mail.org
米国/NATOにはスロボダン・ミロシェヴィチ大統領の死に犯罪的怠慢の責任がある
US/NATO Charged with Criminal Negligence in Death of Pres.Slobodan Milosevic
2006年3月11日 国際行動センター (*訳注:日付けは原文ママだが、下の文章
からして3月12日か?)
スロボダン・ミロシェヴィチ・ユーゴスラヴィア大統領がハーグの刑務所で死去した
ことを知り、3月12日に、米国の国際行動センター(IAC)は、世界中の組織や個人と
協力して、旧ユーゴ国際刑事裁判所(ICTY)、刑務所当局および彼らの背後にいる勢
力を囚人の医療を無視した犯罪的な怠慢で非難しました。IACは、また、ICTYが「バル
カンにおけるNATOの犯罪的な戦争をミロシェヴィチ大統領とユーゴスラヴィアの責任
にしようとして、過去4年間に渡り欺瞞的な裁判をしてきた」と非難しました。
IAC共同議長のサラ・フランダース(Sara Flounders)は、「スロボダン・ミロシェ
ヴィチ大統領の死に対するすべての責任は、直接、米国とNATOの政府がハーグに設立
した偽の法廷ICTYにある」と語りました。「ICTYは欺瞞的な戦争犯罪の告発で、2001
年6月にミロシェヴィチ大統領をセルビアから違法に誘拐し、シェヴェニンゲン刑務
所に強制的に拘留して以来、一貫して適切な医療を否定してきました」。
フランダースは、重病の被告の命を救う努力をしてきたスロボダン・ミロシェヴィチ
弁護国際委員会(ICDSM)の最後の活動について言及しました。同委員会は、3月8日
に、国連安全保障理事会加盟15ヵ国の大使に要請を行ないました。要請書は、ミロ
シェヴィチが戻るという保証のもとに、緊急医療を受けるためにモスクワに移送され
るべきであるとし、著名な支持者が署名したものであり、ICTYがこの措置を拒否した
後に出されました。IACはこれらの要請書を国連安全保障理事会のメンバーに配布し
ました。
フランダースは「いまや4年を経たこの裁判の間に、検察当局はミロシェヴィチ大統
領に不利な論理的な論拠の提示に失敗した」と述べた。「その上、彼の活発な抗弁
は、破壊と直接の軍事攻撃によってユーゴスラヴィア社会主義連邦の破壊を企む帝国
主義者勢力、特に米国およびドイツの犯罪を着実にあらわにしてきました。この裁判
の結末が描かれて、ICTYは恐ろしいジレンマに陥りました」。
フランダースは、1999年春の米国-NATOによる爆撃の最中に国際的な人権弁護士であ
るラムゼイ・クラークとユーゴスラヴィアに行きました。彼女はこの旅に基づき、
ハーグのシェヴェニンゲン刑務所でミロシェヴィチ大統領に会っており、被告側証人
としてNATOの爆撃の衝撃について証言する予定でした。
1993年に国連安全保障理事会は、オルブライト米国務長官に強要されて、ICTYを設立
しました。その役割は始めから、ユーゴスラヴィア連邦の人々だけを起訴することに
制限されました。ほとんどすべての裁判がセルビア人に対するものであり、またすべ
ての裁判が米国/NATOの責任をそらすことに貢献しました。ICTYは、ユーゴスラヴィ
アで主に市民を標的にして78日間の爆撃を行なった米国に対し戦争犯罪を科そうとす
る国際的な弁護士グループの試み(複数)を拒絶しました。
ラムゼイ・クラーク(元米国司法長官、IAC共同議長)は、しばしば、ICTYの設立は
「明快に国連憲章違反であり、政治法廷はユーゴスラヴィアの人々に対する戦争の道
具として使われた」と評しています。
ノーベル賞受賞者ハロルド・ピンター(Harold Pinter)も、「スロボダン・ミロシェ
ヴィチを裁こうとするこの米国/NATOの裁判所はいつも全く違法でした。それが正義
の裁判所として真摯に受け止められることは決してないでしょう。ミロシェヴィチの
抗弁は力強く、確信に満ち、説得力があり、斥けることは不可能です」と評しまし
た。
ICTYは、米国、その他のNATO勢力および東欧の社会主義の敵である億万長者ジョージ
・ソロスと関係しているような国際的金融組織から資金を受け取りました。ICTY検察
当局の財政とミロシェヴィチ抗弁の募金活動を比べれば分かるように、資金調達は極
端に不平等なものでしたが、NATO諸政府は依然として、ユーゴスラヴィア大統領の抗
弁を支援するために人権組織から資金を集めようとするあらゆる試みを妨害しまし
た。ドイツとオーストリア両政府は、ミロシェヴィチの死の数ヵ月前に、両国にある
ミロシェヴィチ弁護委員会の銀行口座を閉鎖しました。
ミロシェヴィチは、常駐のスタッフも持たず、検察側の50万ページにおよぶ文書に対
処する法律問題のアシスタントも僅かしかいないにも関わらず、検察側証人の信用性
を失墜させながら、彼に対するあらゆる告発を政治的に論駁しました。NATO勢力は、
最初にミロシェヴィチ裁判を世紀の裁判だと発表し、見世物裁判にする計画でした
が、ミロシェヴィチが反撃して逆にNATOを戦争犯罪で告発すると、この裁判に関する
報道はほとんど尽きてしまいました。
ミロシェヴィチは起訴に答えて行なった2つの主な陳述−2001年の裁判の開始時と
2004年の抗弁の開始時−で、歴史的な記録を作りました。2001年の陳述は、2002年に
出版された「隠された意図:米国/NATOユーゴスラヴィアの乗っ取り」(Hidden
Agenda: The U.S./NATO Takeover of Yugoslavia)に、2004年の陳述は、「被告は歴
史と未来を語る」(The Defense Speaks For History and the Future)に掲載され
ています。どちらもIACが出版しました。(*両書はLeftbooks.comで購入可能)。
スロボダン・ミロシェヴィチ弁護国際委員会(www.icdsm.org)は声明を発表し、
ICTYの活動は「新世界秩序に対する抵抗とユーゴスラヴィアの人々の独立と主権のシ
ンボルとして世界の社会的正義のために立っていた人物を殺したにも等しい。それこ
そが彼の唯一の罪だったのだ。」と宣言しました。そして、次のように要求しました
:「彼の死の状況と原因についての国際的な独立した調査がなされるべきであり、彼
の家族、彼の党および彼の支持者はその調査に関与すべきです。私たちは、また、彼
の妻および家族が迫害、逮捕あるいはその他の妨害の恐れなしに彼の葬儀に参加する
権利、彼らの最愛の夫であり同僚であり父親である人を偲ぶ権利を要求します」。
ミロシェヴィチは2005年11月29日に発表された声明で、彼への不適当な医療に関する
法廷の不誠実さを暴いています; ミロシェヴィチは、イアン・ボノミイ裁判官(英国
人)にICTYに対する考えを明らかにしました:「この法廷全体は、我が国に対する戦
争の道具として目論まれました。それは、違法な決定に基づき違法に設立され、我が
国に対して戦争を行なった軍隊によって維持されました。共同犯罪事業があるのは本
当ですが、ベオグラードにあるのではなく、ベオグラードをセンターとするユーゴス
ラヴィアにあるのではなく、1991年以来ユーゴスラヴィアを破壊した戦争を行なった
者たちにあるのです」。
参照:ICTY裁判部(ICTY Trial Chamber)の決定:
http://www.un.org/icty/milosevic/trialc/decision-e/060224.htm