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□頭脳流出で深刻化する国力低下 イラクを見限る知識人たち [アルジャジーラ]
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1783650/detail
頭脳流出で深刻化する国力低下 イラクを見限る知識人たち
【アルジャジーラ特約16日】より良い生活を求めてフセイン下政権下から単身脱出し、懸命に働いてきたイラク人男性ラアドさんは、米軍のイラク侵攻から数日後、ヨルダンの首都アンマンで家族と無事再会を果たし、今、一家そろって「難民」として米国へ渡航できる日を待っている。
「当時は職もなく、生活ができなかった」と、イラクの伝統的なお茶を飲みながら話すラアドさんは、同国北部モスルの出身。「この国にはもう希望は持てない」と思い、妻、2人の息子を故郷に残し、1人でヨルダンに向かい、アンマンで毎日懸命に働いてきたという。
ラアドさんがアンマンで家族と再会して既に3年がたつが、イラクには今でもラアドさんと同じ道をたどる者たちが後を絶たず、それどころかその数は増え続けている。
イラクの現状に絶望、より安定した生活を求めて祖国を後にするのは、そのほとんどが若者たちで、職業も芸術家、音楽家、大学職員、医者といった専門分野に広がっている。
バグダッドで医療関係の専門家だったゼヤド・アルワンさん(30)=仮名=もその1人で、首都で毎日のように起きる殺りくを目の当たりにして「祖国脱出」を決心したという。
「無知な、スラムに住むような者たちや警官を装った民兵、米テキサスからやって来て平常心を失った若い米兵、イエメンやサウジアラビヤからやって来たひげ面の原理主義者に殺されるのはまっぴらご免だ」と話すアルワンさん。
フセイン元政権の圧制を嫌い、自由を求めていたアルワンさんは本来、2003年の米軍侵攻前に祖国を出たかったという。同政権が倒れた後も混乱は続いた。「多くの者が拉致され、殺され、粉々に吹き飛ばされるのを、嫌になるほど目にしてきた。友人や同僚、それに親類の者たちの多くが国を離れていった。この国はもう以前のイラクとは別の国になり、もう分からなくなった」と、祖国を捨た決心の理由を話してくれた。
国連機関に勤めていたオマール・ファルークさんがイラクを離れる決心をしたのは、03年8月19日、バグダッドにあった国連事務所本部が自爆テロで破壊され、デメロ事務総長特別代表らが死亡した事件がきっかけだった。
この事件を機にイラクでは暴力が一段と拡大し、国連機関の多くが同国から撤収を余儀なくされ、ファルークさんも国連開発計画(UNDP)の職を離れ、何とかロンドンに脱出したという。
イラク統治が混乱を続ける中、祖国を捨てたという負い目はあるものの、ファルークさんに「後悔の念」は全くない。
ファルークさんは「祖国イラクは今、混乱の極みだ。汚職のまん延に加え、国家の運営資金も不明朗な状態。これでは復興など全くの夢物語。貴重な天然資源も枯渇するばかりだ」とため息をつく。
さらに、「イラクでは03年以来、数百人にも上る専門家たちが殺害された」と懸念を表明するのは、ブリュッセルに本部を置き、知識人らで構成する民間団体だ。
同団体はまた、「生命に危険を感じている何千人もの人たちが今、イラク脱出を試みており、その結果、同国では深刻な『頭脳流出』が起きているばかりでなく、米軍駐留を嫌う中間層の存在も大幅に減っており、イラクの将来にとり大きな打撃を与えることになるだろう」と警告している。
一方、イラク教育省の統計によると、イラク侵攻開始以降、約100人にも上る学者が国外に出たという。同国の元核物理学者で今はカナダの大学で教えているイマド・ハッドゥーリ教授は、こうした頭脳流出が将来、イラクの教育システムをだめにするだろうと指摘するとともに、「若い世代を教育できる者たちがいなくなれば、イラク復興の希望はなくなる。イラクの将来にとり、最悪の事態だ」との懸念を示している。
先のアルワンさんも「イラクに平和が回復すれば、海外にいるわれわれもイラクに戻って再建に取り組みたいが、今はその時期ではない」と話し、深刻化する現状の混乱に心を痛めている。
アルワンさんに比べ、ファルークさんの思いはもっと悲観的で、バグダッドやそこに住む家族、友人らを心配するが、と言って、イラクに将来戻る考えは全くないという。
ファルークさんは最後に次のように話す。「イラク・イラン戦争、2回にわたる中東戦争、さらに13年間に及んだ経済制裁を経験してきたが、イラクで現在起きていることは、それらをはるかに上回ってひどいものだ」(翻訳・ベリタ通信=志岐隆司)
2006年03月18日00時36分