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(回答先: Re: URL自動チェックの外し忘れ・投稿失敗再度挑戦 ⇒ われわれはアメリカ人を一人でも多く殺さねばならない 投稿者 gataro 日時 2006 年 3 月 11 日 12:06:43)
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-asyuracom-228.html から転載。
きのうは東京大空襲の日だった。
1945(昭和20)年3月9日深夜から10日未明にかけて、東京・下町を、焼夷弾を満載した戦略爆撃機B29、約300機が低空から襲った。
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その爆撃は手の込んだ方法だった。
被災者を火災で閉じ込めるように周囲に焼夷弾によって火の壁をつくり、その輪の中にさらに焼夷弾の雨を降らせる爆撃が行われた。非戦闘員の民間人を殺すことだけが目的の爆撃だった。
季節風によってあおられた火災は下町全域をなめつくし、百万を超える人々が家を焼かれ、焼け跡は死者で埋めつくされた。死者数およそ10 万人といわれる。
この爆撃を指揮したのは、カーチス・ルメイ。
前年からの日本本土空襲が思い通りの効果を挙げていなかったことで、軍は彼に日本本土攻撃の任務を与えた。
アメリカ軍はこれより2年前、ユタ州の砂漠に日本家屋を再現し、焼夷弾爆撃実験を繰り返して焼夷弾に改良を重ねていた。木造の日本家屋を効果的に焼失させる集束焼夷弾の製造である。
ルメイは、この焼夷弾をつかっての「実験」をくりかえし、東京に季節風の吹く日をえらんで爆撃を敢行したのだ。
ところが、原爆投下もふくめて、明らかにこれは非戦闘民への攻撃・虐待を禁じた戦時国際法違反だが、東京裁判でそのことは問われなかった(それどころか日本はルメイに勲一等旭日大綬章を授けたのである)。
この非戦闘員を殺傷することをねらった戦略爆撃は、1937年4月16日の、ドイツ軍によるゲルニカ爆撃が初めだとされる。
スペイン人民戦線の戦意をくじくために、フランコ反乱軍を支援していたナチスドイツは、スペイン北部の古都ゲルニカに対して戦略爆撃をおこなった。死者1654人。
この残虐な爆撃にたいしてピカソが怒りの抗議をこめて書き上げたのが、「ゲルニカ」であることは有名な話である。
焼夷弾をつかっての戦略爆撃をおこなったは日本軍である。
1939年5月3日、4日、日本軍は国民党政府の首都・重慶に対して、無差別爆撃を敢行した。史上初めて戦略爆撃で焼夷弾が使用された。死者は2日間をあわせて4091 人にのぼった。以後43年8月までの重慶爆撃での死者は11889人に達した。
無差別爆撃は、その後も朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、ユーゴ内戦、イラク戦争などでもくりかえされた。
われわれは、無差別爆撃をおこなった連中を許してはならない。
★参考サイト★