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株式日記と経済展望
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現在の日本は第一次世界大戦後の「空想平和主義」の
蔓延による思考停止という情況が非常に似ているのだ。
2006年4月9日 日曜日
◆「中国の『核』が世界を制す」伊藤貫著を読んで 4月4日 西村眞悟
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi
この度、「中国の『核』が世界を制す」(PHP)を読んだ。
実に、私にとって待望の本である。
よって、是非,諸兄姉にお読みいただきたいと念じて、ここに紹介したい。
この本は、日本の核武装の必要性を正面から取り上げた初めての論考ではないか。少なくとも,私は他に知らない。
そして、この一点を取り上げても、我が国は「特異」であったことが分るであろう。
何故なら、
我が国は世界唯一の被爆国である。
そして、我が国は,北から南にロシア、北朝鮮、中国という二つの核兵器を保有する独裁国家と一つの独裁国家的傾向を強める核保有国に囲まれ、これら三国の核は既に昔から我が国に照準をあてて実戦配備されている。
さらに、海の向こうには我が国に二発の核爆弾を落した核保有国アメリカが存在し、我が国に核爆弾を落したことは正統だと未だに大統領が言明している。
斯くの如き核の真下にいるような状況にある国家は,世界広しといえども、我が国だけである。まさしく,六十年前に核爆弾を落されてから今に至るまで、核の現実的脅威により包囲されている国など我が国以外にあり得ない。
従って、このような状況下に置かれた国家なら、
核の脅威から自国民の安全を如何にして確保するかという課題、
即ち、いかにして「核抑止力」を獲得し確保するかという課題が、
政治の中心的責務として議論の中心でなければならない。
しかるに,我が国では「核抑止力」獲得の為に政治家が議論することも、マスコミが特集を組むこともなく打ち過ぎてきた。正逆である。
つまり、我が国では「核についての議論」はタブーであって封印され、石に「過ちは繰返しません」と刻んでおれば核の脅威は無くなると信じられてきたのだ。
これを「特異」と言わずして何が特異であろうか。核一発で数十万人の国民が死亡することを考えれば、その核の抑止を考えないということは、まさに、政治の犯罪的不作為であり思考停止である。
そこで,本書であるが、
今までの我が国の状況が特異であり異常であることを示すと同時に、この長い思考停止の後にもかかわらず、読者の「核」に関する認識を一挙に国際政治の水準にまで引き上げる力をもっているのだ。
本書は,我が国の思考停止の空白を見事に埋めて遅れを一挙に取り戻してくれるのである。つまり、一書で、新次元を啓いたのだ。
アメリカのワシントンDCに二十年以上住んで日本とアメリカと世界を観察している著者は、東京にいるより日本をよく知っている。恐らく,既に述べたように、「特異」な日本の東京にいるよりもタブーのないワシントンの方がよく見えるのだろう。
著者は,アメリカの国防総省や国務省やCIAの役人や、議会人また研究者と議論し彼らの本音をつかみ出してくる。加えて、中国軍や中国政府の要人の発言の真意を見抜いたうえで,核を中心とするアメリカと中国の力関係の現在と近い将来を解析していく。
本書に結実した著者のたった一人の情報収集の努力には、使命感に裏打ちされた執念が感じられ、読んでいる者は、まるで著者と共に国際的スパイになってアメリカや中国という核保有国の偽善のベールに隠されている剥き出しのエゴイズムを掴み出したような達成感を感じることが出きる。
これは実は、非常に貴重で歴史的業績であると思う。
第一,六十年間封印されてきた国家の存亡を左右する「核」の分野に光をあてたこと自体が歴史的であろう。
さらに、戦後日本人がともすればコロリと誤魔化されてしまう中国人やアメリカ人の本音とエゴイズムを日本人の前に提示したこと自体が貴重である。
何故なら、我が国においては、今でも中国大好き爺さんは若い者を引き連れて中国詣でをして天安門のうえに登る権力者と会談してもらって悦に入っており、他方、アメリカ追随者はアメリカの「核の傘」の盲目的信者であるからだ。
この点,マスコミもマスコミになっていない。同じ追随者に過ぎない。
著者は,本書のなかで、チャーチルやド・ゴールを引用している。
それは、著者が,祖国日本を愛しているからである。
大東亜戦争後の祖国日本を見て、この異常な危うい情況からの再興を念願するとき、少しでも歴史を学んだ者ならば、第一次世界大戦後の祖国イギリスやフランスの脆弱な情況に警鐘を鳴らし続けたチャーチルやド・ゴールのことが想起されるのである。
大戦後の「空想平和主義」の蔓延による思考停止という情況が非常に似ているのだ。
その空想が支配するなかで、チャーチルやド・ゴールは,信念に基いて祖国に警鐘を鳴らした。しかし,それによって祖国の大勢から排除され痛めつけられた。
彼等が,志にふさわしい役割を与えられたのは、祖国が彼等の警鐘どおり危機に瀕してからであった。
現在の日本において、著者のように「核武装による抑止力獲得」を説くことは、チャーチルが紅茶一杯の節約による軍備増強を説いて戦争屋と罵られ、ド・ゴールが機械化師団の創設を説いてフランス陸軍から排除されたのと同じことをすることである。
従って,それをまさに本書でしているということは、著者がチャーチルやド・ゴールと同じ愛国心を有していることを意味するのだ。
(事実、本書の出版をはじめは請け負っていて大手の出版社は、間際になって出版を辞退して逃げたという。我が国のマスコミ界とは未だこういう情況にある)
さて、平成十一年になるが、私が「日本も核武装するか否か議論せないかん」と発言してマスコミが狂奔したことがあった。
その時、圧倒的な数の賛同と共鳴の手紙やファックスのなかに、忘れ得ぬ無礼な手紙がきた。アメリカ人からであった。
そこには、自分は日本に二十年以上住むアメリカ人で妻も日本人であるが西村の考えは間違っていると前置きして次のように英語で書いていた。
「五十年前は,おまえたち日本人は悪でありアメリカ人は正義であった。だから,日本人には原爆を落されるのが当たり前である。
そして、これからも、アメリカは正義であり日本は悪であることに変わりはない。従って、お前がこの度のような発言をすることはまったく馬鹿なことであり、アメリカから離れてアメリカと戦いたいのか。喜んで戦ってやる。そして、アメリカは再び勝利するであろう。
何故ならアメリカは正義であり日本は悪だから。」
この手紙に接して,親日家ぶっているアメリカ人のどうしようもない日本人に対する偏見を知ったのである。
その後しばらくして,本書の著者である伊藤 貫氏に会ったとき、
彼も,日本人なら誰でも親日家として心を許すアメリカ人が、如何に人種的偏見を日本人に対して有しているかをとうとうと述べた。伊藤氏は、日本核武装に関して議論した産経の正論に時々論文を載せるアメリカ人の偏見を私に説明してくれたのである。意気投合した。
伊藤氏と西村は,当然のこととしてアメリカ人に頼っていて祖国防衛はあり得ない、祖国防衛は日本人自身によってなされるべきであるという,当たり前の結論を共有している。
その後,伊藤氏は「諸君」等に「日本核武装論」を展開し、心強く拝読しているうちに本書出版となった。
先月三月に短期間だけあわただしく帰国していた伊藤氏に会って昼飯を共にしたが、私自身もあわただしく,不覚にも本書出版のことは伊藤氏と会うまで知らなかったのである。
昼食時の会話は、ただ、日本核武装の必要性と、アメリカの欺瞞と中国の欺瞞を見ぬけない日本政治の貧困である。
本書は、四月二日の大阪から熊本に向かう機中で読了した。
「日本が独立国であるために」と題した最終章の最後には、ド・ゴールのことが出てくる。
ド・ゴールはアメリカの「核の傘」を信用せずフランス独自の核を保有する。ド・ゴールがケネディーにアメリカのフランスに対する「核の傘」が信用できるのか否かと問い詰めたとき、ケネディーは顔面蒼白になった。彼は言う。
「アメリカ人はしょせん,アメリカ人だ。彼らはヨーロッパ人ではない。我々は,欧米の同盟関係を維持しなければならない。しかし,ヨーロッパ人がアメリカの覇権主義をそのまま受け入れるならば、我々は自分自身に対する信念さえ失ってしまうだろう」
このド・ゴールにおなじ頃に会ったアメリカのフランス駐在大使は、次のように報告したという。
「私にいわせれば、ド・ゴールは反米だなどというのは、とんでもない誤解だ。ド・ゴールは反米でも何でもない。彼はフランスの運命を真剣に考えているだけだ」
このド・ゴールに対する報告文を読んだとき、私は不覚にもこみ上げてくる思いを押さえることができなかった。
戦後日本は,このド・ゴールのように外国の駐日大使から報告される政治家を生み出しているのだろうか。これが,現在の我が国の低迷に繋がっている。無念である。
この西村は、平成九年の尖閣諸島魚釣島上陸以来、マスコミから「過激」だとか未だにろくなレッテルを貼られていない。しかし、私もただ,「日本の運命を真剣に考えてきただけだ」
そして、ド・ゴール将軍の域に達するのを目標にして、逆境は天の恩寵であることを自分の人生で実証していきたい。
(私のコメント)
西村眞悟氏や平沼赳夫氏などは、親米派や親中派の左右からの攻撃にあって自民党や民主党から追い出されて無所属となり、国会でも隅に追いやられてしまいましたが、これが現代の日本の状況をよく現している。国会議員でも経済人でもジャーナリストでも、アメリカの手先になるか中国の手先にならないと日本では出世が出来ないシステムが出来上がってしまっている。
この事は一昨日にも書きましたが、日本の国家主権を放棄させて、中国やアメリカは裏では手を組んで日本を植民地として利用しているだけなのだろう。だからアメリカは日本に憲法を押し付け、中国は必死に日本を反核運動を煽っているのだ。日本が非核武装国家である事はアメリカにとっても中国にとっても利益であるからだ。
日本が見習わなければならないのは、西村眞悟氏が言うようにフランスのドゴールなのだ。フランスは第一次世界大戦で大きな被害を出し多くの戦死者を出した。その結果「空想的平和主義思想」が蔓延して、ヒトラーのナチスドイツが台頭してきても、何の手も打つことが出来ずにアットいう間に征服されてしまった。
現代の日本も中国と言う独裁国家に核の脅威にさらされているのに、日米安保を頼りに思考停止状態が続いている。このままでは日本は米中の軍事的緩衝地帯となり米中両国に監理された状態になってしまうだろう。既にそうなっているのですが、日本人の多くが見て見ぬふりをしているのだ。
そうなってしまったのも、戦後の日本で徹底した反戦平和教育がなされて、軍事のことを考えることもまかりならんと言う風潮が蔓延してしまった。しかしアメリカは国力が衰えてきたので、少しは軍事的な協力も必要になってきて、兵器なども買って欲しいから自衛隊などと言う中途半端な軍隊が出来ましたが、毎年5兆円もの予算を使いながら、何の役にも立たない国家機関なのだ。
その結果、毎年思いやり予算を6000億円もアメリカに供出し、海兵隊のグワム移転に対しても7000億円もの金をアメリカから要求されている。常識的に考えれば日本がアメリカに軍事基地を提供してあげているのだから、本来ならばアメリカが軍事基地の借地料を日本に支払うべきものだ。しかしその発想が日本の国会議員にはない。
もし本当に核戦争を覚悟してまでアメリカが日本を守ると考えているのなら、本当に日本人はオメデタイ人間である。アメリカは核をもっていないイラクを攻撃して、多くの国と戦争をしてきましたが、核保有国とは一度も戦争をしていない。北朝鮮を攻撃しないのも核を持っているからできないのだろう。だから中国が核戦争を覚悟して日本に攻めて来たらアメリカは日本を助けないだろう。