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http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/america/news/20060228ddm007030094000c.html
反米・従米・親米・嫌米:第18部 米国・星条旗はどこへ/1
◇「母国に愛想尽きた」−−ダレル・アンダーソンさん(23)
◇兵役逃れカナダへ イラクの罪ない人、殺したくない
01年米同時多発テロから間もなく4年半。底知れぬ恐怖の中で米国民が感じた一体感は、もうない。米軍駐留3年を経て出口が見えないイラク問題など、そこここで世論の分裂・対立は深まっている。「自由と民主主義」を象徴する星条旗の下で揺れる米国の今を、このシリーズの終章として報告する。
04年4月。闇に覆われたバグダッド市内の米軍検問所に1台の車が近づいた。スピードを落とさず迫る車を見た上官が大声で命じた。「撃て!」
装甲部隊所属のダレル・アンダーソンさん(23)はその車のフロントガラス越しに、子供2人を抱いたイラク人らしい夫婦の姿を見た。「ノー!」と絶叫して銃撃を拒否し、車は検問所の脇を通過した。銃を握る手は汗でぬれていた。
そのころ、検問所の米兵を狙った自爆攻撃が頻発し、速度を落とさず検問所に近づく車への発砲が許されていた。「子供がいた」と言うアンダーソンさんに、上官は色をなして怒った。「今度同じことをしたら懲罰だ」
アンダーソンさんは04年1月、バグダッドに派遣された。何度か武装勢力と交戦した。路肩爆弾が爆発し、わき腹を負傷して勲章ももらった。だが検問所での出来事以来、悪夢にうなされるようになった。やはり検問所に近づく車への発砲を命じられてイラク人の女児3人と父親を殺害し、ふさぎ込む同僚もいた。
同年末のクリスマス。一時帰国したアンダーソンさんは両親に戦争の内情を打ち明けた。母がインターネットで見つけた民間団体「戦争抵抗者支援キャンペーン(WRSC)」(事務局・カナダ東部トロント)の助言で、アンダーソンさんは05年1月、カナダに出国し難民申請した。
軍を無断で離れ米国内で拘束されれば、軍法会議にかけられる危険がある。参戦を拒む「良心的兵役拒否」を申し立て除隊する方法もあるが、「反戦の意思」を立証するのは困難だ。
WRSCのコーディネーター、リー・ゾスロフスキーさん(61)はベトナム戦争当時、カナダに脱出した5万人を超える無許可離隊者の一人。良心的兵役拒否を2度申請したが却下され、70年にカナダに逃れた。「イラク戦争でも無許可離隊者が増えている。100人以上がカナダに逃れたようだ。メキシコなどにも逃れている可能性がある。『兵役拒否新世代』と言える」と語る。
トロントでカナダ人女性と暮らすアンダーソンさんは今でも星条旗に強い愛着を持つ。だが「罪のない民間人を殺すためイラクに兵士を送る母国に愛想が尽きた。後悔はない」と語る。
トロントに、米国を逃れた元米兵と家族3組が暮らす大きな一軒家がある。パトリック・ハートさん(32)は、開戦後の03年4月、クウェートの後方支援基地に派遣され、04年3月まで戦車部隊の整備担当兵として勤務していた。ハートさんはクウェートで、同僚が前線で撮影したビデオを見た。同僚は「この戦争はウソばかりだ。前線でどれほどひどいことが起こっているかメディアは取り上げない」と語った。
「同時多発テロを受けたアフガニスタン攻撃は理解できる。だがイラク戦争に大義はない」。米ケンタッキー州の基地に戻ったハートさんはそう考え始めた。
ハートさんは昨年8月、妻ジルさん(35)にも相談せずカナダに出国した。軍でボランティアとして働いていた妻に止められると思ったからだ。トロントからの電話に出たジルさんは戸惑った。だが、軍の上司に「おまえがレイプされたといえば、彼は戻ってくる」と言われ傷ついたジルさんは1カ月後、長男(3歳)とともに夫に合流した。
カナダ当局から労働ビザを得たハートさんはこう語る。「私は反米でも反軍でもない。名誉な戦争でなら死ぬ覚悟はある。だが、この戦争は米国の恥であり無益だ」
【カナダ東部トロントで高橋弘司】=つづく
毎日新聞 2006年2月28日 東京朝刊