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(回答先: 自衛隊イラク派遣「米国の言いなりなだけ」 差し止め訴訟に箕輪登(81才)さん出廷【道新】 投稿者 どさんこ 日時 2006 年 2 月 28 日 19:15:54)
小森陽一さん(東京大学教員)が語る
――いまこそ憲法と教育基本法の改悪をとめよう!
2004年11月1日(日) 東京都中野区勤労福祉会館 大会議室
http://www.hankaikennet21.org/kaudou/katudou20b.htm から転載。箕輪氏にふれた部分のみを以下に引用。
【2,3年前。まだお元気なころの箕輪登氏(新聞労連ホームページから)】
「自己責任」論は、ねじれた意識の発露
(小森)
次に、いわゆる「自己責任」論みたいな気分・感情がなぜ、いまの社会に出てきてしまうのか、ここは、いまお話しした憲法の問題とも深く関わっています。
みなさんもご存知だと思いますけれど、北海道の箕輪登さん、防衛族のドンと言われ、郵政大臣も務めた方で、自民党タカ派の政治家ですが、この方が、今年一月に、小泉純一郎によるイラク派兵差し止めの裁判を始められました。私は、1972年から82年まで北海道大学におりましたから、箕輪登といえば、こいつを選挙で落とすことができたら、どんなにうまくビールを飲めるのに、とかと思ったくらいの、それほどの、いわば不倶戴天の敵みたいな人だったのですが、この箕輪登さんとは、シンポジウムなどで同席して、毎回、あなたのことを「天敵」だと思っていましたと言っているわけですが、箕輪登さんは、歴代自民党政権が、最高裁判所にプレッシャーをかけてきたことを知っていらっしゃるわけです。だから、いきなり違憲立法審査権ではなく、民事訴訟で裁判をやっているわけです。自分の平和的生存権が、自衛隊のイラク派兵によって侵されたという裁判なんです。
その箕輪さんは、本気で怒っています。それは、保守本流、自民党のタカ派と呼ばれている人たちは、本気で日本を守るために自衛隊をつくってきた。そのために、お金も出し、いろいろな設備も整えてきた。その自衛隊をアメリカの軍事的な、世界戦略のコマとして使うのか、そんなものに命を捧げられないと怒っているわけです。その怒りは、もちろん、私たちとは違う立場からのものです。しかし、そうやって怒っている保守本流の人たちもいるんです。
この箕輪さんのように、元保守政治家だが、裁判をするというように踏みきった人は、すっきりしています。あるいは、河野洋平衆議院議長、彼は、例えば、パウエルが常任理事国入りをしたければ憲法九条を変えろといったら、翌日すぐに、そんな必要はない、九条は守るべきだとはっきり言っていますが、そのように発言し行動している人たちは、すっきりしています。
しかし、そうでない人たちもたくさんいます。例えば、それまで〃自衛隊の海外派兵は違憲だが、「専守防衛」の自衛隊は合憲だ〃と言ってきた人たちの中には、小泉政権のもとで自衛隊が海外に派兵されたことに直面して、〃何か自分は悪いことをしているな〃とか〃悪いことに加担しているな〃という思いや、〃悪いことだと思っているのに、悪いことだと言ってない〃とか〃自衛隊のイラク派兵に反対するデモにも行っていない〃という負い目が、心の中にあらわれてきている。
つまり、自分が何らかのかたちで、罪なことをしてしまっているということを半分自覚しながら、にもかかわらず、それを明確に自分の意識の前面にのぼせることができずに、しかし何とかして、自分を正当化したい、そういうねじれた気持ちになったときに、〃お上〃に楯突く者へのバッシングに向かうわけです。
高遠さん、今井さん、郡山さんについて政府が、「自己責任」論を出した日に、私はちょうど、青山のNHK文化センターというところで漱石の講義を終わって出てきましたら、シルバー・コンピューター講座とかいって、何の不自由もないようなお洒落な格好をした老人たちがどやどやと出てきて、みんな「自己責任」論について喫茶店でしゃべりまくっているんですね。
「そうだよな、俺だって百万貰ったって、あんな危ないところには行かないよ」とかという具合に…。
あの「自己責任」論が出てきたときに、何もしていない自分、ちゃんと反論すべき時に反論したり、正しいと思っていることを口に出したり、外に出して言えなかった自分に対してもやもやした気分になっている。いま保守系の人たちはみなそれを持っているわけです。
そこを、もはや保守も革新もなく、アメリカに追随して他国に自衛隊をだして、日本の若者の命を危険に晒されることについてどう思うの、と、例えば、一緒に酒を飲んで保守の人と一緒に考えればいいんです。そして、結論を自分自身で出せば、バッシング的な気分にはならないです。つまり、自分たちの罪障感を認めずに、それにフタをして、自己正当化したときに、必ず、被害者に向かって攻撃が行われる。これが、すべての人種差別の発端です。
自分たちで殺しまくったネイティブ・アメリカンに対して、アングロ・サクソン系のアメリカンたちは、あんた方は、文明がなくて野蛮だからといって、居留地に囲い込んで人種差別をやったわけです。アフリカンアメリカンにやった差別も同じ構造です。
その、人種差別的意識が、実は、日本においては、かつての天皇制のもとでの「非国民」という意識であり、きちっと天皇制を組み換えなかったために多くの人には払拭したまま残っていて、自分は「非国民」と呼ばれたくないから黙っていようとか、そういう気分・感情が働きやすい社会構造であることは確かだと思います。
「自己責任」論というのは、そこのところをうまく利用しているわけです。