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(回答先: やっぱり日系なのかなあ? ユダヤ系みたいに悪魔主義に徹底できないのかもしれない。 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2006 年 2 月 26 日 07:45:30)
バルセロナさんの「フランシス・フクヤマの方向転換は彼が日系人だから?」という御意見に対してですが、それは大いにあると思います。
東のフランシス・フクヤマに対抗するかのように西(カリフォルニア)にはスタンフォード大政治学教授(または今は名誉教授?)のダニエル・オキモトと言う人がいますが、彼の著作に「American in Disguise」(「仮面のアメリカ人/日系二世の精神遍歴」)という今では日本学を学ぶ人たちの古典的書物と言われている本があります。
彼は、1942年日系人収容所のキャンプで生まれた2世ですから、フクヤマより少し年代が上だと思いますが、日系人がホワイト・アメリカの中でのし上がって行くことの困難さ、その過程においていかに「イエロー」の部分をそぎ落として、「ホワイト」化しなければいけないかということについて、理解しやすい本だと思います。
彼は、「アメリカ本土の日系人が成功したのは、白人中産階級の基盤に徹底的に適応したからである」と書いてあり、さらに彼の妻は白人ですが、これに関しては、「白人の価値体系が最高の判断基準とされる社会で、私が育ったと言う事実のためである。この白人が支配する社会では、白人女性が性格的にも肉体的にも魅惑的な存在に見えるのも、恐らく自然な現象だろう」と書いています。
日系人について話す時によく言われる言葉に「1世は竹、2世はバナナ、3世は爆竹」と言うのがあります。
1世は木村愛二さんとか救国の草莽の志士さんのように(笑・・失礼!)、とにかくまっすぐ、サムライ・スピリッツで毅然と生きる。2世は、ライス国務長官が黒人たちから「オレオ・クッキー」と呼ばれるのと同じで、「バナナ」と言うのは「外は黄色で、中身は白」。そして3世の「爆竹」と言うのは、そうして白人化する親を見て、逆に祖父母世代の生き方に自らのアイデンティティーを見出し、反体制的になる(といっても、皆が皆、そうではありません)ということです。
そこでフクヤマに話を戻すと、彼は2世か3世か知りませんが、バルセロナさんがおっしゃるように、いくら頑張っても所詮、日系人は日系人。アメリカのメイン・ストリームの中にはユダヤ系ほど日系人の数はいませんし、アメリカ社会は「メルティング・ポット」ではなく「サラダボウル」です。最終的には、同一の民族同士が群れをつくり、その中で助け合うものです。
従って、フクヤマが野望を達成しようと精一杯頑張ってきたけれど、どうにも超えられない「強固な民族の壁」にぶつかったのではないかと思います。
それと年をとれば、「自分が生まれ育った食文化に戻る」といわれているのと同じように、彼も日系人としての意識に目覚めたのかもしれません。
(オキモトも、最後の方では、「自分の子供達が、アジア人としての豊かな財産を学び、そして受け継いでいけるだけの選択の余地を残してやりたい」と書いている)。
http://cisac.stanford.edu/people/2189