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横浜事件:元特高「時代に翻弄された」 拷問は否定
戦時下最大の言論弾圧とされ、9日に再審公判で免訴判決が言い渡された横浜事件で、当時、元被告らの取り調べを担当した横浜市在住の元神奈川県警特高課警部補の男性(92)が毎日新聞の取材に応じた。男性は「自分たちも時代の流れに翻弄(ほんろう)された」と語り、元被告らへの拷問については「やっていないし見てもいない」と否定した。横浜事件の再審公判を巡り、元特高警官が取材に応じたのは初めて。
男性は元特高課左翼係の取り調べ主任で、主に全国から集まる情報のまとめ役を担当。検挙者に書かせた手記から、治安維持法違反の犯罪事実に関する部分を抜き出し、調書を作成するなどしていた。戦後の47年、元被告らに特別公務員暴行傷害罪で共同告訴され、52年、最高裁で実刑判決が確定。サンフランシスコ講和条約発効に伴う恩赦で服役はしていない。
この判決では、男性はほかの2人と共謀して43年5月、世界経済調査会の故・益田直彦さんを自白させようと横浜市内の警察署で1週間拷問したとされたが、男性は取材に対し「やっていないし見ていない。当時は検事が認める限り拘置できたので、暴行してまで取り調べを急ぐ必要はなかった」と否定。「取り調べは思想検事の命令だった」と話した。さらに「戦後2年たって、共産主義革命が今にも起きそうな社会情勢で初めて暴行を受けたと言い出した」と告訴について批判的な見方をした。
治安維持法での大量検挙には「(証拠として)思想や会合の日時などを記した手帳や手紙があった。当時の法律では、自分の思想を話し合うこと自体が互いに啓蒙しているということになり犯罪だった」と話し、法の規定に従ったとの見解を示した。一方、当時を振り返っての現在の心境については「時代が違うし今さらどうってことはない」と言葉を濁した。
男性は戦後に公職追放となり、進駐軍の廃材を売りさばくなどして混乱期を生きてきたが、「一生やるつもりの(警官という)職業を追放になった。時代の流れに翻弄されたなと思う」とつぶやいた。
◇戦前と同様の姿勢を感じる
▽ 特高や治安維持法に詳しい荻野富士夫・小樽商大教授(歴史学)の話 事件について悪びれもせず、拷問も強く否定することに戦前と変わらぬ姿勢を感じる。今回の再審で免訴を求め続けた検察の姿勢、それを実質的に支持した裁判所の姿勢と共通する。当時「話し合うこと自体が互いに啓蒙(けいもう)し合うことだ」と緩やかな集団まで標的にしていたことが裏付けられた。拷問する緊急性はなかったと強調するが、それが拷問否定の理由とはならない。【内橋寿明】
毎日新聞 2006年2月20日 3時00分
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20060220k0000m040121000c.html