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[再掲] 911 WTC6内部爆発を目撃した救急隊員(全訳出)
http://www.asyura2.com/0601/war78/msg/463.html
投稿者 kamenoko 日時 2006 年 2 月 16 日 09:31:05: pabqsWuV.mDlg
 

[再掲]911 WTC6内部爆発を目撃した救急隊員(全訳出)

 初訳から数箇所訂正があります。
 間違い等のご指摘がいただけましたら幸いです。

 [参考]
911 WTC6ロビー内部の爆発を目撃した救急隊員
http://www.asyura2.com/0601/war78/msg/442.html
投稿者 kamenoko 日時 2006 年 2 月 15 日 03:56:55

感謝! 写真で見ると第6ビルも爆破された様子ですね。証言もこれと一致する
http://www.asyura2.com/0601/war78/msg/443.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2006 年 2 月 15 日 09:52:41

補足資料 WTCタスクフォースによる救急隊員の報告書リンク
http://www.asyura2.com/0601/war78/msg/453.html
投稿者 kamenoko 日時 2006 年 2 月 15 日 22:48:04

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 ソース http://killtown.blogspot.com/
 
February 10, 2006

9/11 Rescuer Saw Explosions Inside WTC 6 Lobby

Killtown独占インタビュー。グラウンドゼロにいた救急隊員Patricia Ondrovicさんが
9月11日の悲惨な光景を語った。 サウスタワー倒壊から数分後、命がけの脱出を
試みながら、彼女は爆破で吹き飛ぶWTC 5、車、そしてWTC6のロビー内部の爆発を
目撃した。Patricia can be reached at: fieldangel911@yahoo.com

 現場到着

Killtown(インタビュアー 以下K)

 :あなたは911救助隊員としてグラウンドゼロにいたひとりですね?

Patricia Ondrovic(救助隊員 以下O) : はい

K: あなたの所属と仕事の内容は?

O:私はNY消防署のEMT(Emergency medical technician)でした。

K:9月11日はどのように始まりましたか? WTCに呼ばれたのは何時でした?

O: あの日はいつもと同じように始まりました。Bellevueの患者のところに寄ると、
   医師のひとりがWTCの要請に答えるかと訊きました。私のエリアではないと
   答え、”なぜ?何が起きたの?”と訊ねると、”ヘリコプター”がビルの
   ひとつに激突したとの報告を受けたとのことでした。 これは2機の飛行機が
   ぶつかった後のことでした。 私が現場に到着したのは、最初のタワーが
   倒壊するおよそ45分前です。

[2機目の激突はおよそ午前9時03分。サウスタワーの倒壊はおよそ9時59分]

K:WTCのエリアはあなたの通常ルートでしたか?

O:いいえ。私の受け持ちはタイムズ・スクエアのエリアでした。WTCエリアは
  私のいた場所から遠いダウンタウンです。

K:現場に到着したあなたが真っ先にしたことは? 正確にどの位置に到着したか
  覚えていますか?

O:現場のチーフからVesey Streetに救急車を停めるように言われ、他の救急車と
  一緒にVesey Street沿いの6 World Trade の前に停めました。燃えるビルから
  運び出される怪我人を病院に移送することになっていた。馴染みのない場所
  なので、どこから入ったかは覚えていません。

 別の飛行機警告

K: サウスタワーが9:59に倒壊するまで、基本的にあのエリアにいらしたのですね?

O: ええ。トリアージュチーム(*kame注 傷病者の優先順位をつける)が私たちの
  ところに怪我人を運んで来るのを待っていると、白いシャツに青いズボンの
  オフィサー(どのエージェンシーかはわからない)が”別の飛行機がこちらに
  向かっている!”と無線が伝えてきたと言いました。車に乗って、すぐに動かせる
  準備をするよう言われたのですが、そういうわけにもいかなかった。 複数の
  エージェンシーからの活動隊が、一気にそれぞれの車に急いだものだから。

K:別の飛行機が向かってくると言われたのは、サウスタワー倒壊の前でしたか?

O:おそらく3-5分前でした。これが正確かはわからないけれど、しばしみんなで
  空を見上げて、何かが見えるかどうかぐるりと見渡す余裕が数分あったのは
  覚えています。

K:空に飛行機は見えましたか?

O: いいえ。空にはその時何もなかった。

K: 何かが、ヘリコプター、軍用機、非軍用機が周辺を飛んでいるのも見なかった?

O: その時はヘリコプターも見ませんでした。

K: 彼らはあなたの車輌をどこに移動するように言いました?特定の場所、それとも
  ただWTCから”遠ざかれ”と?

O: 私の覚えていることばは"Just get ready to move fast"。

K: すぐにそのエリアから遠ざかるようにと?それとももし別の飛行機が向かって
  来るなら動くようにと?

O: わかりません。彼らはただ自分の装備を持って車輌に戻すようにと、そして
  "get ready to move...fast"。 その時の彼らは、あの場所が安全でないことを
  確信しているように見えました。

K: その回想によると、彼らはタワーが倒壊する直前にその場所にいた救急隊員
  たちにすぐに移動するよう伝えたのはあまり偶然の一致とは思えないのですが。

O: 同時に少し不気味でもあった。私たちのような仕事では、誰かに”動け”と
  言われたら疑問を挟む余地がないのです。ただ動くだけ。現場に到着してから
  準備を整えて怪我人を待っていた。そして突然に、色んな動きがあった。
  現場で時間を過ごしてから突然みんなで逃げる準備をするなんて少し奇妙に
  思えました。個人的に、ビルが倒壊するなんて想像できませんでした。

K: 警告を直接受けたのですか?それともタワーのどれかが倒れるかもしれない
  との噂を耳にした?

O: ビルが倒壊する可能性があるとは聞きませんでした。ビルの倒壊について
  何も聞かなかった。 あの時にエリアのビルのどれかが不安定な状態にあると
  いったことを誰かが言うのも聞きませんでした。私たちは単に車に戻って
  移動の準備をするように言われただけです。

K: Church St とWest Stの間のVesey Street は閉鎖されていましたか?

O: はい。そこにいたのは消防、警察、EMSとOEM(Office Emergency Management)
  だけだったと思います。

K: あの日、誰かがビデオやカメラを押収されるのを見ましたか?

O: いいえ。

K: Veseyで何かを撮っていたニュースキャスターかメディアの人間を見ましたか?

O: いいえ。誰も見ていません。

 爆発で飛ぶ車

K: サウスタワーが倒壊し始めた時、何をしましたか?

O: 何が起きているのかわからなかった。でも’轟音(roar)’と衝突音が
  (lots of crashing sounds)聞こえました。 私は自分のストレッチャーを
  車輌に入れようとしていたところでした。地面が揺れて、人の渦、ほとんどが
  現場にいたエージェンシー、消防、警察、 EMSの人たちでしたが、みんなが
  私に向かって走ってきた。 何から逃げているのか全くわからなかった。
  でも彼らについて行くことにして、川に向かって西に走りました。 すべてが
  大きなひとつの雲になった。West Side Highway の近くにいた私には、何も
  見えなかった。

K: サウスタワーが倒壊する大きな音(rumbling)を聞く前に、銃声やクラッキング
  音など、おかしな音を聞いたかどうか覚えています?

O: いいえ。

K: あなたはWTC Task Force のインタビューで吹き飛ぶ車のことを話していますね。

O: はい。

K: あなたのまわりで何台くらいの車が吹き飛びましたか?

O:少なくとも3台、走りながら見た数台は燃えていた。その時はまだ、Vesey
  サウスサイドを西に走っていたのですが、燃えている車輌を見たのは、
  私の救急車と6 World Trade の中間くらい、ロビーのドアがあるあたりでした。

K:走っていたのは車道?それとも歩道?

O:歩道の上です。

K:その炎上する車ですが、映画に爆発の火柱をあげながら宙を吹っ飛ぶ車が出て
  きますが、そのように見えましたか?

O: パーツが宙に飛んでいたのを覚えています。飛んできた車のドアに当たったと
  思う。パーツも燃えていた。映画で見るようなタイプの火柱だったかどうかは
  詳しく思い出せないけれど、私が走っていたすぐ脇の車から、大きな破裂音(bang)
  とともに(*外れた)ドアが宙に飛んだ。

K: それは車に火がついたからでしょうか?それとも爆発?何かお考えがありますか?
  車の脇を走っていた時に異常な高温を感じました?

O: 車が blow upした原因は全くわからない。その時の私は、頭上から降ってくる
  摩天楼から逃げていたなんて知らなかった。後からわかったの、自分が何から
  逃げていたのかが。 ビル倒壊の衝撃と何か説明のつかないことの影響だと
  思いました。 エンジニアではないので、可能性のありそうな原因を推理する
  しかできません。 異常な高温は全く感じなかったと記憶しています。

K: 路上で吹き飛んだのは、WTC 6のすぐ近くに停めてあった車だけでしたか?

O:私は自分の周囲だけに注意を払っていたから、自分のすぐ近く以外のところで
  車が吹き飛んでいても気付かなかった。

K: 炎上もしくは吹き飛んだ車のタイプ(普通車、SUV、トラック、民間車輌、
  非民間車輌)は?

O: マークの入っていない車、自家用車に見えました。炎上するSUV、トラック、
  ’公的’車輌は見ていません。

K:それらの車は並んで(parked next to each other) 駐車していたのですか?

O: 並列駐車(parallel parked) 。燃えている車がきっちり並んでいたわけでは
  なく、ごちゃごちゃでした。

 WTC6 ロビー内部の爆発

K: Vesey Streetを走っていたとおっしゃいました。その後何が起きましたか?

O: ひたすら走り続けました。他の人たちが走っているのにも気付いた。炎上する
  車を通り過ぎた後、どこか安全な場所を探そうと、6 World Tradeのロビーに
  逃げ込もうとしました。 でもそこには連邦警察、おそらく4-6人、が開いた
  ドアウェイの前にいた。 駆け込もうとしたら入れてもらえなかった、手を
  ひらひら振りながら”ここには入れない、走り続けなさい”と言われました。
  再び西に向かって走り出そうとしたら、一連の閃光が、ちょうど模様を描いて次々
  点灯するクリスマスライトのように、ロビーの天井辺りで光るのを見ました。
  私はその時点で足取りを速めたと思います。

K: WTC6ロビーからの閃光は、その都度爆発音(popping sounds)が聞こえましたか?

O: ええ。映画の一場面のようでした。爆発音(*kame 複数形)は閃光と同時でした。

K: あなたがロビーの内部で聞いた閃光と爆発音は幾つくらいだったかわかりますか?

O:私が向きを変えるまでに少なくとも6回。

K:向きを変えて走り出してからも、その爆発音は聞こえましたか? 外の騒音が
  大き過ぎたとか?

O:走り出してからその音を聞いたかは覚えていません。非常に混乱していました。
  (*kame 主語はit 彼女ではない)

K:より明解にするために、爆発のようなもの目撃した時、あなたはWTC6ロビーの中に
  いたのですか? それとも建物の外に?

O: ドアウェイにいましたが、ロビー内部ではありません。ビルの中から流れてきた
  よりきれいな空気を吸うことができたのを覚えています。 戸口をまたごうと
  したら彼らに止められたのです。

K: 爆発が起きたのはあなたがロビーに入ろうとした時? それとも警察があなたを
  追い返そうとした後ですか?

O: 全てが同時に起きました。ドアウェイに近づくと入るなと言われた。オフィサーが
  私にそこには入れないといった瞬間に、閃光が始まりました。

K: 警官がいたのはロビードアのところですか、それとも少し内部に?

O: ドアウェイにはたぶん4-5人のオフィサーがいて、その後ろのロビーエリアに
  他に数人いたのが見えました。

K: ”連邦警察官”を見たとおっしゃいましたが、それは正確には何を意味する
  でしょうか? 彼らがそこにいてあなたに入れないというのは、何か奇妙に
  感じませんでしたか?

O: そう、彼らは明るいブラウンの制服を着て”Smokey the bear”帽子を
  被っていた。連邦警察と判断したのは、NYCの警官はそういう格好をしていないし、
  WTCとその周辺に事務所を構えるFederalは多いので、彼らがそこにいてもおかしく
  ないと思ったからです。それでも避難しようとする私を中に入れてくれないのは
  少し奇妙に思いました。でも、先ほど申し上げたように、誰かに行き先と反対側に
  行けと言われても、質問せずに従うのが私の職業なのです。小規模の爆発を見た
  時に、彼らも外に出ていてくれと願ったたことを覚えています。だって彼らは
  中にいたのですから。 一斉避難、もしくはそのようなものが行われた後にも、
  彼らはドアを閉鎖していなかった。

K: WTCにいたのはどの政府機関だったかわかりますか?

O: WTC複合棟にたくさんのフェデラル・エージェンシー・事務所が入っていることは
  知っていましたが、特にどれかというとわかりません。

K: WTC 6ロビーで続けざまに爆発が起きた後、警官たちは外に避難しましたか?
  それとも?

O: そのようには思えませんでした。彼らは中に誰も走り込ませないためにそこに
  立っていたように見えた。私がそうしようとしたように。ドアウェイにいたのを
  見たことは覚えているけれど、その後の彼らに何が起きたかはわかりません。

K: 彼らはイアープラグや見慣れない防具を着けていたでしょうか?

O: そういったものは何も。 シンプルに、ロビーでの任務のような服装をしていた。
  flack wearもオーヴァーコートも、ヘルメットも着けていませんでした。
  今でも考えています。彼らは避難できただろうか って。

K: ロビーの爆発は、electrical surgeの火花の閃光?それとも、タイマーによる
  爆破のようなものに近かったですか?

O: 真っ先に頭に浮かんだ印象はタイマーによる爆破でした。当時も今も、それ以外の
  考えは浮かびません。

K: テレビでビル解体シーンを見たことがありますか?閃光と炸裂音はそれと似たもの
  でしょうか?

O: まさにそれです。以前見たラスベガスのカジノか何かの解体を思い起こさせるもの
  でした。

K: あなたが聞いた”炸裂音”(pops)を表現できますか?

O: 電球が破裂するような音でした。でも爆発があった場所には照明器具(light
  fixture)はなかったのです。音はそんなに大きくありませんでした。

K: あなたが聞いた爆発音は、道路からも聞き取れるほど大きかったですか?

O: あのような状況で”炸裂音”が道路からも聞き取れたとは思いません。
  外の騒音の方が間違いなく大きかった。

K: その時のあなたは、誰がそこに爆発物を埋め込んだと思いましたか?

O: それ自体が誰の仕業かという考えは全くありませんでしたが、93年にビル爆破を
  試みたのと同じ組織である可能性を考えたことを覚えています。彼らが仕事を
  完遂するために戻ってきたのだと、そう判断しました。その時走りながら、
  ”彼ら”がエリア全体をwiredしていると考えたのを覚えています。その時の
  私は、ビルが燃えている原因が旅客機の突入とは知らなかったのです。
  ビルの置き爆弾が爆発したと思いました、あの日は。ペンタゴンをあげるまでもなく、
  一機ならずニ機の飛行機だったと完全に理解するまでしばらくかかりました。

K: サウスタワーが倒壊する大きなrumblingを聞いてから、WTC6の爆発を目撃する
  までどの位の時間が経過していたでしょうか?

O: ええと、全ては私が車輌を停めた道で起こりました。沢山のことがいっぺんに
  起きたため、正確な時間を計るのは難しいのですが、倒壊、地面、車、炎、
  そしてWTC6に避難しようとするまで、そこで爆発を目撃したのですが、おそらく
  2-3分経過していたでしょう。

K: 誰か、あなたのそばにいた人や警官がWTC6ロビーの爆発を目撃したでしょうか?

O: 他にも目撃者はいると思うのですが、通りを走っていたのは私だけではないから。
  避難場所を探していたのが私だけだったとも思えないのです。6のロビーには
  ”民間人(civilians)”は見当たらず、ブラウンの制服を着たオフィサーだけ
  でした。

 モトローラ通信機障害 (Motorola Radio Troubles)

K: WTC6ロビーで爆発を目撃した後、どの方角に走り、何が起きましたか?

O: Veseyを西に走り続け、6 WTCを曲がったすぐ後に煙にぶつかった。たぶんVeseyと
  West Street の交差点にいたのでしょう。そこから走った。West Side Highwayに
  向かって、駐車場エリアがある地点ですね。草地を横切って走ったのを覚えている
  のですが、もう灰色と黒の煙に取り巻かれていました。水辺まで行きたかった。
  そこから見えた限りでは、爆発も炎もなかったから。その地点ではたくさんの、
  たくさんの人が走っていました。

K: 粉塵(dust cloud)から逃げられたのはいつで、その後なにが起きましたか?

O: 水際(water's edge)まで到達しました。ボートが1台も見当たらなかったので、
   West Side Highwayに沿って南の方角に走りました。 West Side Highwayと
  north of Vesey 9か10ブロックのあたりで、最初に見つけたのがFDNY EMS の
  車輌でした。私と同じ署からのクルーがいたのがわかった。呼吸が、まるで誰かが
  胸に乗っかっているみたいに、苦しかったのを覚えています。振り返ると
  黒煙の中から人々が出てくるのが見えました。次々と走り出てきて、West Side
  Highway を北に向かって歩いて行った。

K: モトローラの通信機、もしくはそういった装備にテクニカルプロブレムが
  起きていた消防士や救助隊員に気付きましたか?

O: ええ、ええ。その時に大きな”buzzing”がしていて、どのEMS通信もたぶん
  30秒くらい稼動しなかったのではないかしら? 私たち全員が使っている
  モトローラ通信機の中継地はタワーのてっぺんにあるのではないかしら。
  タワーが倒壊したから私たちの通信機もダウンしたのでしょう。それで自分の
  携帯電話を使ったのですが、やはりかかりませんでした。

K: 携帯電話を使用できて、誰かに繋がった人はいたでしょうか?

0: 同僚の何人かがNextelを持っていました。それは使えましたが、Nextelの人に
  しか繋がりませんでした。その時他のサービスは全てダウンしていたからです。

K: 帰宅のためにそのエリアを離れたのはいつでしたか?

O: 私は救急車から離れました。 FDNY EMS supervisorが私と同僚のところにやって
  来て、"持ち場に戻れ(go back in)"と言いました。未だ自分が何から避難して
  きたのかわからなかった私は、逃げ切れなかった人は助かっていないと、戻るに
  安全な場所ではないと彼に言いました。すると我々3人に”持ち場に戻れ”と
  怒声で要求した。胸の痛みと呼吸困難を訴えると、同僚がSt. Vincent's 病院に
  運んでくれました。ストレッチャーに乗って酸素マスクを着けたまま運ばれる
  途中で、後部窓越しに他のタワーが倒壊するのを見ました。それまでは他の
  タワーも倒れる寸前だったとか、私が逃げてきたのはあの場所だったなんて
  思いもしなかった。いつ帰宅したかは覚えていません。クィーンズボロ橋を
  歩いて渡らなければならなかった、その時はもう暗闇でした。 Bellevueの
  私の部署から歩いて帰りました。当時はクィーンズ地区のAstoriaに住んでいた。
  家に帰って猫たちに会いたい、それが唯一の望みでした。

 グラウンドゼロのBAG&TAG

K: その後グラウンドゼロに戻らなければならない機会はありましたか?

O: ええ。たぶん3日後だったと思います。

K: どんな任務で戻ったのですか?

O: 私たち全員は、遺体安置所の交代任務に就いていました。瓦礫の場所に行って
  怪我をした誰かのために待機していたのです。 遺体安置所の任務を数回こなし
  ました。

P: それは"bag & tag" と呼ばれるもの?

O: ええ、あらゆるボディパーツ、遺留品の記録を残す遺体安置所の仕事ですね。
  私たちが発見した全てのものの記録を残すのは重要なことでした。

K: おそらく非常に混沌とした状態だったでしょうに、そこであなたが発見した
  証拠に何か奇妙な点はありましたか?

O: ええと、遺体安置所の記録のために発見物、歯、腕、そういったもののカタログを
  作る作業をしたのを覚えています。腕時計や財布、宝飾品のカタログ作業は
  ありませんでした。

K: 犠牲者の遺体(parts)から宝飾品などは見つからなかったと?

O: ええ、私は見かけませんでした。でもその点については、ブルックリンか
  スタテン島に作られた瓦礫(debris)集積施設で、証拠品のより分けが人手に
  よって行われたはずです。9/11からおそらく数週間後に開始されました。

K: あなたは地上や瓦礫の下から個人の所有物を発見しましたか?

O: いいえ。

K: オフィス家具、コンピュータ、写真など普通のオフィスビルにあるような
  ものはどうでした?

O: すべてが灰色/黒の瓦礫のようなものでした。個人的には、椅子、机、電話と
  定義できるようなものは何も見なかったけれど、私はビル自体の基礎があった
  場所に入ったことがないので、そこにはあったかもしれません。 とにかく
  すべてが灰色のすすと灰、まさに瓦礫といった有様だったのを覚えています。
  ひとつだけ識別できたのは、タワーのcorner adjacent にあった、ランプ
  ポストに鎖で繋がれたまま灰を被っていたメッセンジャーボーイの自転車です。

K: あなたはricover任務に就いて、そこが火災現場としましょう、個人の所有物や
  家具のようなものが一切見つからなかったという経験はありますか?

O: それ以前にricover任務の経験はありませんでした。EMSの通常任務ではありません
  でした。時折、調査が完全に終わった後で、遺体が公衆の目に留まるような場所に
  ある場合は遺体安置所に運ぶことはありました。私はミッドタウンで仕事をして
  いました。12年間EMSにいて、そのような場面に対処した経験はありません。

K: 攻撃の1年後に、ノースタワーに激突したフライト11に乗っていたと思われる
  ある犠牲者の家族が遺品のATMカードを受け取りました。グラウンドゼロの
  レスキュー隊員によって比較的原形を留めたまま発見されたという。あなたは
  どんな状態でもいいのですが、誰かの所有物を発見しましたか?

0: 個人の所有物は一度も見ていません。私が発見したのは灰を被った炭化物、
  燃え残り、瓦礫です。思うに、それ(ATMカード)は干草の山から針を見つける
  ようなものでしょうね。

K: では、あなたの考えではプラスチックのATMカードのようなものが、グラウンド
  ゼロで発見された、それもほとんど無傷でというのはありえないということで
  正しいでしょうか?

O: 奇跡だったと、そう言うでしょうね。

 飛行機の残骸

K: 9/11後のグラウンドゼロで飛行機の残骸を見ましたか?

O: 9月11日ではなくその少し後、スタンバイ中のことでしたが、長い平台式
  トレーラーがシルバーと黒焦げの長い金属パーツ、およそ2人乗り乗用車ほどの
  長さのものを運んでいるのを見ました。私たちと一緒にスタンバイしていた
  警官が私の注意をひいて、あれは飛行機のかけらだと言いました。

K: 近づいてくるトラックの上にあなたが見たその残骸が飛行機のどの部分でしたか?
  窓や識別できる目印などはありましたか?

O: いいえ。それが何だろうと注目しただけで、実際あなたに聞かれるまで見たことを
  忘れていました。翼やシート、それらしき何かであれば記憶に貼り付いている
  はずです。エッジが曲線になっている長い何か、胴体の一部のように見えました。
  航空会社のマークも見ませんでした。

K: ピースの色はシルバーだったとのことですが、あなたが見たシルバーの残骸は
  あなたの知っているアメリカンエアライン機のような”光沢のあるシルバー
  (shiny silver)に見えましたか?

O: 私が見たのはその色ではありませんでした。全体的に鈍い色で、黒炭色がかった
  シルバーでしたが、明らかに飛行機の一部分に見えました。

K: 9月11日か事件後のグラウンドゼロで飛行機の残骸を見たか、見つけたという
  知り合いはいますか?

O: いいえ、気付いた範囲では。 誰もそのようなことを私に言いませんでした。

 WTCタスクフォース インタビュー

K: その後あなたはWTCタスクフォースのインタビューを受けています。 他に
  あなたのグラウンドゼロでの経験をインタビューしに来た人はいますか?

O: WTCは私にインタビューもしくは任務の報告を聞きに来た唯一のグループです。

K: あなたにインタビューに来たWTCタスクフォースは誰でしたか?

O: FBI、D.O.I.(Dept. of Investigations)、P.D.から各1名と聞きました。
  関係者は4-5人いたと思います。彼らは音声を録音しながら書き取っていました。
 
K: あなたはWTCタスクフォースインタビューの9,12,13頁に黒塗り箇所がある
  理由をご存知ですか?

O: いいえ、自分のインタビューのコピーを受け取っていませんし、一度も読んで
  いません。 私がしたことは、彼らとの1度のインタビューだけです。

K: そのオフィシャルによるdebriefingですが、事故後の通常業務でしょうか?

O: (そう多くはありませんが)犯罪現場、若しくは犯罪を目撃したとか進行中の事象
  などの場合、警察から事件後の業務報告の呼び出しを受けることもありますが、
  通常はEMSのスーパーヴァイザーです。

K: WTCタスクフォースとのインタビューは、通常の業務報告以上のものでしたか?
  もしくは尋問を受けているように感じましたか?

O: あらゆる角度から分刻みの詳細を拾い上げようとしているように感じました。

K: 何か奇妙に感じられた点、とりわけあなたの動きを逐一地図上で辿られたのは
  どうでしたか?

O: 多くの人が亡くなった犯罪現場です。パズルのかけら(equipment)を回収して
記録しておく必要があるのだろうと判断しました。熟考するには、少々ショックの
  殻に閉じこもり過ぎていたように思う。当時はおかしな事が多すぎて、普通のこと
  なんてなかったのです。

K: あなたはWTC6ロビーで発生した閃光と爆発のことを彼らに伝えましたか?

O: ええ、伝えました。私が飛び込もうとしたビルで起きたことを詳しく表現するよう
  努めたのですが、インタビューの写しにその記述を見ませんでした。

K: その爆発について、彼らはあなたにフォローアップの質問をしましたか?

O: いいえ。今あなたにしているように、事件を供述するよう求められた。
  フォローアップの質問をされた記憶はありません。彼らは終始ノートをとって
  いただけです。私が覚えている限りの唯一の特定質問は、救急車を停めた位置と
  私が走った道筋についてでした。

 WTC5 Blowing Up

K: あなたはWTCタスクフォースのインタビューで、”私はまだVeseyにいました。
  爆発が私に降りかかってきた(building that blew up on me)ビルはVeseyに
あったからです”と答えています。どのビルを指しているのでしょう?

O: わかりませんが、あの一帯はWTCの不動産です。確信はありませんが、6か
  WTC複合ビルの一部だったのかもしれません。

K: ビルがあなたに”blew up”と言った時のあなたは、WTC6ロビーの爆発について
  話していたのですか?

O: いいえ、私の車輌にストレッチャーを戻そうとしている時に、真後ろにあった。
  それが6の一部分だったかもわかりません。blowing up している何かから
  走りだしたのは、6のロビーに駆け込もうとした時です。車輌(*複数形)は
  カーブに後ろを向けて停めてあり、並列駐車ではなかったので、救急車(*複数)
  の後部ドアはVeseyサウスサイドのビル(WTC6)に向いていました。

K: blowing upしていたビルはWTC5か6のいずれだった気がしますか?

O: はい。

K: それは車輌に火がついて爆発する前でしたか、それとも同時に?

O: すべてが同時でした。すべてが非常に短い時間に起きました。どれが最初だったの
  かは言いようがありません。

K: あなたはあのインタビューの中で、後方にあったビルのロビーのどれかが爆発
  したと思うとおっしゃっています。 それはWTC5、6のいずれかでしたか?

O: 確信はありませんが、おそらく5だったと思います。6は私の西側にあり、
  そのロビーに駆け込もうとしたのですから。

K: あなたにblew up したというビルについてもう少し詳しく教えて下さい。
  爆発のショックウェーブや/もしくは、破片が近くに落ちてきた?

O: ええと、まず救急車にストレッチャーを戻そうとして、次は地面が揺れて
  投げ出された。車輌を停めたまん前のビルから破片が落ちてきた。大きなガラガラ
  音が続く間に四方から破片が落ちてきて、それから辺り一帯が黒と灰色の煙に
  包まれた。

K: もう一度急ぎで再生しましょう。あなたの救急車はWTC5と6の間の路地のあたり、
  6の角の近くにWTC6に後ろを向けて停めてあった。ストレッチャーを戻していた
  時に、爆発のショックで地面に投げ出された。それはWTC5のロビーからだったと
  思った。立ち上がるとVesey St の歩道を西に、West Side Hwy に向かって走り
  出し、それから道沿いに停めてあった車(*複数)が爆発し始めるのを脇を走り
  ながら見た。その時あなたはWTC6ロビーに避難しようとしたが、中にいたあの
  警官たちが入れてくれなかった。それからWTC6ロビーの内部での爆発を見た。

O: そうです。

K: サウスタワー崩壊音が聞こえたと同時に、WTC5か6で爆発があったという
  あなたの見解は、知り合いの誰かと一致しましたか?

O: いいえ。話し合いになったことはありません。

K: 攻撃後に物事が収まり始めてから、政府やメディアが我々にすべてを語り始め
  てから、あなたは過去を振り返って目撃したWTC5,6の爆発は何だったのか、
  公的には一切言及されたなかった理由は何なのかと考えたことはありますか?

O: いいえ。ニュースは見ませんでした。ショックの殻に閉じこもっていて、
  最悪のこと(the least)を話せる状態ではありませんでした。実際のところ、
  あの日を初めて振り返ったのは、あなたのサイトを見つけた時でした。

 WTC 7

K: あなたはノースタワーが倒壊する前にWTCエリアを離れたと言いました。
  あなたが車を停めた道の反対側のWTCが倒壊するのを聞いたのはいつでしたか?

O: あなたのサイトを偶然発見した3週間前でした。

K: その後WTC7も倒壊したことをこれまで聞いた事がなかった。驚きませんでした?

O: 実際驚きました。多少混乱させられた。ニュースでそれについて見た記憶がないし、
  なんにせよ不安定な状態にあったことすら知らなかったから。

K: では遺体安置所の任務でグラウンドゼロに戻ってからも、別のビル(WTC7だった)
  が倒壊したのに気付かなかった?

O: 気付きませんでした。瓦礫や残骸だらけでそれ以上の何かがあったなんて。

K: あなたがVesey St にいた間、最初から最後までWTC7の近くで何かの騒ぎか
  おかしなことが起きているのに気付かなかったのですね?

O: 気付きませんでした。

 失った同僚

K: 9/11調査委員会のヒアリングに招かれたことはありますか?

O: いいえ。

K: 9/11について話さないよう誰かに口止めされたことはありますか?

O: いいえ、今のところは。

K: グラウンドゼロで仕事をしてから、何か健康上の問題はありましたか?

O: 肋骨を数本降りましたが、気付いたのは3日後です。多くの同僚と同じく
  数ヶ月間”WTC咳”が出ました。なんら生産性のない非常にしつこい空咳で、
  咳というより発作に近いものです。(It was an extremely annoying dry hack
  that didn't produce anything, but acted more like "spasms" rather than a
  cough)夜中に咳で目覚めるくらい、that sometimes would have you near
  passing out and unable to catch your breath. 時間の経過と共に消えました。
  神に感謝。

K: グラウンドゼロで同僚を失いましたか?

O: 60人で数えるのを止めました。

See also:


Patricia Ondrovic's WTC Task Force interview (10/11/01)

Killtown's 9/11 Oddities - Suspicious vehicle fires and things blowing up.
Killtown's: Was the WTC 6 blown?

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