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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu113.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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軍隊は敵軍を撃破するためにある。よほどのことがないかぎり
敵国を占領するのに軍隊を使用するな。――ナポレオン
2006年2月9日 木曜日
◆不本意な妥結/日露講和交渉(EJ1757号) 1月20日 Electronic Journal
http://electronic-journal.seesaa.net/category/816454.html
朝河貫一は、韓国の扱いについては、次のように述べて、日露戦争後の祖国に一抹の不安を抱いていたのです。
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日本は韓国を効率的な前進部隊とすることによって外国の攻撃に対し、日本の立場を強化しようとするのか、それとも韓国は 弱く、頼りにならないので韓国を日本帝国の一部であるかのご とく武装し統治するのか。(一部略)いずれが改革の指導原則になるかによって政策の実際の差異は、長い間には巨大な差異になるであろう。
――清水美和著、『「驕る日本」と闘った男/日本講和条約
の舞台裏と朝河貫一』、講談社刊
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/406213103X/qid%3D1137375801/sr%3D8-4/ref%3Dsr%5F8%5Fxs%5Fap%5Fi4%5Fxgl14/503-6993428-8131915
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朝河の懸念は不幸にして的中するのです。日本はポーツマス条約で賠償金も領土割譲も得られなかったことの反動から、朝鮮、中国大陸の権益獲得にのめり込んでいき、米国との関係が緊迫の度を増していったからです。
朝河は、この日本の動きを国運の危機と称して次のように述べています。
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東洋の平和と進歩とを担保して、人類の文明に貢献し、正当の優勢を持して永く世の畏敬を受くべき日本国が、かえって東洋の平和を攪乱し、世界憎悪の府となり、国勢とみに逆運に陥るべきことこれなり。(中略)日本もし不幸にして清国と戦い、また米国と争うに至らば、その戦争は明治37、8年のごとく世の文明と自己の利害との合わせる点にて戦うにあらず、実に世に孤立せる私曲の国、文明の敵として戦うものならざるべからず。 ――清水美和著、前掲書より
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朝河貫一、まさに慧眼であるといえます。・ [日露戦争51]
◆米英両国を敵に回した原因(EJ1758号) 1月23日 Electronic Journal
http://electronic-journal.seesaa.net/category/816454.html
19世紀の末、米英両国は西洋列強が争奪戦を演じる中国(清国)に対して2つの原則を確立しています。
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第1原則:中国の領土保全
第2原則:商業機会の均等
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朝河貫一は、東洋政策に関して「旧外交」と「新外交」を次のように対比させています。
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≪旧外交≫
・列強が中国を苦しめながら相争って自利を計る政策を展開
≪新外交≫
・中国の主権を尊重し、機会均等に各国が経済的競争をする
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日露戦争において日本が米英の協力を得られたのは、ロシアが満州で旧外交を展開したのに対し、日本が東洋の正義を掲げて戦いを挑んだからなのです。 しかし、戦後日本は基本的にはロシアと同じことをやっているのです。朝河の言葉でいうと、次のようになります。
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満州に新外交を強制したる日本が、同じ戦勝の功により、同じ満州において自ら旧式の利権を作為し、また自ら請いて露国より旧外交の遺物を相続したること
――清水美和著、『「驕る日本」と闘った男/日本講和条約
の舞台裏と朝河貫一』、講談社刊
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米英両国は、日本が戦前に公言していたことは一時世を欺くことばに過ぎず、ひとたび戦いに勝利すると、満州および韓国において、私意をたくましくしている――といって厳しく日本を批判したのです。
日本が戦前と考え方を変えた具体的な例を上げるとしたら、米国の鉄道王エドワード・ハリマンが、日本に提案した南満州鉄道共同経営計画の中止があります。この計画については桂首相自身は前向きだったのですが、小村外相の強硬なる反対によって頓挫したのです。せっかく苦労して手に入れた経営権を米国などに渡してなるものかという小村の偏狭な考え方が原因です。
さらに日本は満州で軍政を継続し、日本企業を優遇して米英両国から非難されるという一幕もあったのです。軍政は桂内閣が代わる1906年まで続いたのです。
このようにして、日本はしだいに米英両国から距離を置くようになり、その関係はだんだん悪化していくのです。これについて朝河は自分の米国留学を支援してくれた大隈重信に対し、次の手紙を送っています。朝河の母校は東京専門学校(現早稲田大学)であり、大隈重信は彼が最も期待した政治家だったからです。
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米国将来の対清利益は、清国が独立富強、自ら主権を遂行するを得るに至りて、始めて最も増進すべし。故に清国の開進独立を妨ぐるものは、米国の利益を害するものなれば、(中略)清国を助けて侵害者(日本のこと)に抗せざるべからず。
1909年9月27日、朝河貫一
――清水美和著の前掲書より
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朝河が頼りにしていた大隈重信は、第2次内閣を組閣後、第1次世界大戦が起こると強引に参戦し、敵の備えのないことに乗じて、かつてドイツが清国から強引に99年間租借した膠州湾を占領してしまい、朝河の期待を大きく裏切るのです。
朝河は「膠州湾を中国に返してやることによって日本は大きな利益を得る」と大隈に説いたのですが、大隈は聞く耳を持たなかったのです。本当に当時は日本全体がおかしくなっていた暗黒の時代であったといえます。かくして朝河のいうように日本は「東洋平和を乱す張本人」になっていったのです。
このように、日露戦争の勃発前の時期から戦争終了までの日本の動きを逐一追ってみると、太平洋戦争が起こった原因、現在の日本とロシア、中国、韓国との関係が見えてきます。
それにしても朝河貫一は、日本から遠く離れた米国の地にあって、ひたすら祖国日本のために研究生活のかたわら講演や論文によって日本の進むべき正しい道を説き続けたのです。
1948年8月11日、朝河はバーモント州の静養先で心臓発作を起こし他界しています。朝河の訃報はAPやUPIなど外国通信社がわざわざ「現代日本で最も高名なる世界的学者」と紹介して世界に打電したのに対し、当の日本のプレスは、外電として片隅に小さく報道しただけだったのです。それも「朝河」を「浅川」と姓を間違って伝えたのです。日本人がいかに朝河について何も知らなかったかを物語っています。
当時の政治家で朝河を知り、比較的その意見を買っていたのは伊藤博文です。伊藤は1901年にニューヘイブンを訪れ、朝河に会っているのです。イェール大学から名誉法学博士号を受賞したときのことです。しかし、その伊藤も韓国併合を結局は推し進め、ハルピンの駅頭で暗殺されてしまったのです。そのとき、伊藤は朝河の著書『日本之禍機』を持っていたといわれています。
日露戦争のテーマで書き出した途中の時点で、何回も引用させていただいた清水美和氏の著作『「驕る日本」と闘った男/日本講和条約の舞台裏と朝河貫一』(講談社刊)を入手し、読めたことは幸いであったと思っています。EJの読者にぜひ一読をお勧めするしだいです。
50回にわたる長期連載にもかかわらず、最後まで読んでいただいた読者に感謝の意を捧げます。 ・・・・[日露戦争52]
(私のコメント)
2005年は日露戦争100周年だったのですが、ほとんど話題にもならずに過ぎましたが、現在の極東アジアの状況は日清戦争前の状況によく似ている。だから再び戦略的間違いを犯さないためには当時の状況をよく知るべきなのですが、当時の状況については司馬遼太郎の「坂之上の雲」と言う小説で知るくらいで、歴史学的に分析があまり行なわれていない。
「エコノミックジャーナル」のブログでは当時の状況が詳しく解説されていますが、「株式日記」でも「日本は戦略的に大陸に手を出してはならない」として日清、日露戦争も戦うべきではなかったと書いたことがあります。日本は水際で防衛すればいいのであり、朝鮮半島や満州に緩衝地帯を設けても無駄であった事は歴史が証明しています。
大陸に手を出さないといっても軍事や政治の事であり、経済的なことは地理的に近いのだから利益が見込める。日清、日露戦争は当時の日本の国力からすれば常識外れのことであり、勝てたからいいものの負ければ日本という国が無くなる恐れもあった。戦略としては水際で守ればいいことであり外国に長期間の軍隊を派遣する事は国の利益にはならない。
冒頭の表題の言葉はナポレオンの言葉ですが軍隊の原則の基本中の基本ですが、戦争に勝って兵を引くのは一番難しい。日本は日露戦争の頃からその原則を守らなくなり、日韓併合や満州国の建設などで大陸の奥へ奥へと引きずりこまれていくようになった。これでは軍隊を縮小させる事もできなくなる。
一番良い例としては湾岸戦争の時のアメリカ軍とイラク戦争の時のアメリカ軍ですが、湾岸戦争の時はイラク軍を撃破して撤退させた後はアメリカ軍も引き揚げた。しかしイラク戦争ではそのままイラクに駐留して引くに引けない状況に陥っている。アメリカ軍はナポレオンの言葉の意味をよく噛み締める必要がある。
現在においても朝鮮半島や台湾海峡は緊張状態が高まりつつありますが、日本としては一切関わりにならずにアメリカのやりたいようにさせておけばいいのだろう。しかし台湾が中国に併合された場合には海洋通商路が遮断される恐れがあるから水際防衛戦略を発動しなければならないだろう。水際とは日本の海岸線の事ではなくて大陸の水際である。