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(回答先: 「愚か者」…イラン大統領が米欧挑発、核開発を強調(読売新聞) 投稿者 熊野孤道 日時 2006 年 2 月 06 日 23:38:27)
2006年2月7日 田中 宇
「イラン核問題:繰り返される不正義」
http://tanakanews.com/g0207iran.htm
あらすじ
イランは核開発をしていないし、今後10年は開発できない技術レベル。イランは常にIAEAの監視下でウラン濃縮をするのは、アメリカを警戒する故。
爆弾にするウランは90%以上の高濃度。発電に使うウランは低濃度。イランの遠心分離機で濃縮していたのは低濃度(=数パーセント)だった。
日本はアメリカの支配下にある傀儡政権だが、イラン国内のアメリカ傀儡政権は1979年に倒れ、それ以来、アメリカはイランを敵視している。
EUはアメリカに逆らえないから、イランに圧力をかける現実路線を採っている。最大の問題はアメリタカだ。
武装解除されたイラクにアメリカは侵攻した。イランは武器を手放さないだろう。
IAEA内でイランを非難しているのは、IAEAの理事会の「欧米代表」であり、エルバラダイ事務局長ら事務局ではない。
本文開始===========================================
最近の国際情勢は、表向きに見えている状況や筋書きと、事態の流れを詳細に見ていくと見えてくる真相とが大きく違っているものが多いが、それが特に顕著なものの一つが、イランの核開発をめぐる問題である。
この問題について表向き報じられているのは「イランは核兵器を開発しようとしており、欧米はそれを阻止しようとしている」という筋書きである。ところが実際には、イランは核兵器を開発する試みを行っていない。イランは、国際的に認められていない核兵器開発が行われていないか監視する国連組織IAEA(国際原子力機関)の査察を必要に応じて受け入れており、IAEAはこれまでに何回か「査察したが、イランが核兵器を開発しているという証拠は見つかっていない」という主旨の報告書を発表している。(関連記事)
IAEAとアメリカ、イスラエルのいずれもが「イランは核兵器を持つまでに10年かかる」という分析で一致している。「10年」という長さは、現在のイランはほとんど何の核技術も持っていないことを意味している(逆に、原子力発電で核の技術や物資が豊富な日本は「その気になれば数カ月で核兵器を持つ」と欧米から分析されている)。「イランは間もなく核兵器を持つ」という見方は全くの間違いで、イランを攻撃するために故意に流されているとしか思えない。(関連記事)
▼パキスタンから引き継いだ残滓が問題に
欧米がイランに対して「核兵器を開発している」と非難し始めたのは、2002年にブッシュ政権がイランを「悪の枢軸」の一つに指定し、政権転覆する対象国として名指ししてからのことだ。欧米と仲が悪かったイランは、それまでIAEAの査察を拒否していたが、自己防衛のため、これ以降IAEAの要求に応じて査察を受けることにした。(関連記事)
その査察の中で03年8月、イランのナタンズ(Natanz)という場所にあるウラン濃縮施設から、高濃度のウランが存在していた痕跡が見つかった。遠心分離器を使うウランの濃縮は、原子力発電の燃料を作る際に必要であると同時に、核爆弾を作る際にも必要な工程である。発電燃料を作る場合には、それほどの高濃度にはしない(ウラン235が5%以下)。だが、爆弾を作るには、非常に高濃度(90%以上)にまで濃縮する必要がある。(関連記事)
ナタンズ核施設で見つかった高濃度ウランの痕跡について、イラン政府は「うちでは高濃度のものを作ったことがない。遠心分離器の以前の所有者だったパキスタンが高濃度にまで濃縮し、その残滓がこびりついていたのではないか」と主張した。イランは、パキスタンで秘密裏に核兵器開発を手がけた「カーン研究所」から、中古の遠心分離器を買った経緯がある。(関連記事)
数カ月後、イランの主張が正しいことがIAEAの調査で分かったが、当初、欧米はイラン政府の説明に納得せず、米政府は「イランの核施設を空爆することも辞さない」と言い続けた。EUにとってイランは重要な貿易相手国だったので、アメリカがイラクに次いでイランに戦争を仕掛けることをおそれたEUのイギリス、ドイツ、フランスの3カ国は、外交で問題を解決しようとした。英独仏はイランに対し「核開発をやめたら、経済援助や、イランを攻撃しないという約束をしてあげる」と提案した。(関連記事)
イランは英独仏と交渉することを決め、ナタンズとイスファハンという2カ所の核施設での作業を凍結し、IAEAが施設を封印することを許した。交渉の期間は半年間で、それで交渉がまとまらなければ凍結を解除する方針だった。(関連記事)
▼米英の支配に対抗するイランの自衛行為
2004年11月に交渉が開始されたものの、対立は解けなかった。イランは「核燃料用の低濃度のウラン濃縮は、核の平和利用として国際的に認められており、ウラン濃縮が高濃度にならないようIAEAがイランの核施設を監視する仕組みを作れば、問題は解決される」と主張した。イランは原子力発電所を建設中で、核燃料が必要な時期だった。これに対して英独仏は、イランが平和利用も含めたウラン濃縮工程を永久にやめることを条件にして、両者とも、この一線を譲らなかった。(関連記事)
IAEAの存在意義は、核を平和利用している世界の国々が、技術をこっそり核兵器開発に転用しないよう、監視の目を光らせることにあり「IAEAの監視を受ければ、どこの国でもウラン濃縮をする権利がある」というイランの主張は正しかった。IAEAのエルバラダイ事務局長は「遠心分離器を500台に減らし、濃度は3・5%までしか上げず、濃縮工程をIAEAが監視し続ける」というイラン側の提案を評価した。(関連記事)
イラン政府は「ゆくゆくは抑止力として核兵器を開発したい」とこっそり思っていたとしても、実際には、IAEAの監視を受けつつ低濃度のウラン濃縮だけをやる態勢をとり続けている。その態度を変えたり、こっそり別なことを始めたりしない限り、欧米から批判されるべき状況にはならない。(関連記事)
「アメリカから政権転覆すると脅されているイランは、抑止力をつけるためこっそり核兵器を開発したいに違いない。だから信用できない」とアメリカは主張しているが、これは本末転倒の話である。誰かに「殺すぞ」と何十年も脅され続けている人が、自衛のために武器(抑止力)を持ちたがるのは当然である。イランをめぐる話は、相手が自衛の武器を持ちたがっているのを見て、脅した側(アメリカ)が「こいつはおれを殺そうとしている。やっぱりこいつを先に殺さねばならない」と言っているのと同じである。(関連記事)
アメリカは、1950年代からイランに傀儡政権を置き、この反動として79年にイスラム革命が起きた後、アメリカは一貫してイランを敵視し続け、イラン側(ハタミ前大統領)が「ある程度の政治改革をするから敵視をやめてほしい」と呼びかけても無視し、イランを先制攻撃の対象として名指した。こうした歴史から見れば、問題なのはイランの自衛行為ではなく、アメリカ(米英)の支配行為の方である。(関連記事)
▼対ナチス宥和策を思わせるEUの対米宥和
問題の元凶は、イランの核開発疑惑ではなく、先制攻撃や世界民主化の戦略をとるアメリカの方である。だが、もしEUがアメリカを批判してやり方を変えさせようと思ったら、アメリカと戦争する覚悟を持たねばならない。少なくとも、アメリカとの相互経済制裁が始まるのは確実である。EUの軍事予算はアメリカの3分の1で、アメリカよりはるかに弱いし、経済的にもアメリカ市場に頼っている。EUがアメリカを本気で批判することは、EUを自滅させ、欧米中心の「国際社会」をも崩壊させることになる。
EUがイランに対して何もせず、イランがウラン濃縮を続けると、アメリカはそれを口実に、イラクに対してやったように、イランにも侵攻する恐れがある。EUはブッシュに対して「イラクで懲りたのでイランには侵攻しないだろう」といった常識的発想を当てはめられないと感じている。EUは中東との経済関係が緊密で、中東からの移民も多く受け入れており、EUは中東をこれ以上混乱させることを何とか避ける必要があった。しかし同時に、混乱の元凶であるアメリカを非難することは、あまりに危険でもあった。(関連記事)
結局EUは、イランが主張する正論を認めず、イランをアメリカの意に添うかたちに変化させるべくイランに圧力をかけるしか、方法はなかった。EUは、自国の生存と国際秩序の維持のために、正義を追究することをあきらめたのである。第二次大戦の直前、イギリスなどがナチス政権のドイツを挑発することを恐れて宥和策をとったが、EUは今、それと同じ思考法でアメリカに対して宥和策をとっている。(関連記事)
EUはすでに、2003年のイラク戦争のときに、正義の追究をあきらめている。フセイン政権は、1991年の湾岸戦争後、欧米から圧力をかけられて大量破壊兵器を破棄したが、その後もアメリカは「イラクは大量破壊兵器を持っている」と言い続け、それを口実にイラクに侵攻した。侵攻前、EU諸国の中からは「イラクはもう大量破壊兵器を持っていないはずだ」という指摘が出て、独仏は侵攻に反対したが、反対は通り一遍で終わった。ブッシュ政権は戦争犯罪を犯した疑いが強いが、独仏などは、そのことほとんど非難していない。
▼マスコミの歪曲
この点は、ロシアや中国なども同じである。どの国も、アメリカを正面切って非難することの危険性をよく知っている。日本は最初から「アメリカがどんなに悪いことをしても、アメリカの味方をするのが国益だ」という立場をとっているが、ふだんは威勢の良いことを言うフランスやロシアも、いざというときには日本とほとんど同じ態度しかとれていない。
しかもフランスもロシアも、米英との対立でイランが有利になってくると、すかさず原子力技術をイランに売り込んだりして、狡猾である(この程度の狡猾さは国際社会では当然だという考えに立つなら、日本の方が過度に臆病だということになる)。(関連記事)
(ロシアは、イランがウラン濃縮をロシアに外注すれば欧米の懸念は解けると提案し、仲裁を申し出たが、イランは自国でのウラン濃縮を主張し、ロシアの提案を断った。もはやイランでは、自力で核燃料サイクルを作ることが、ナショナリズムに基づいた国民的な要求となっており、政府がウラン濃縮を外注することはできなくなっていた。その後、南アフリカも似たような提案をしたが、イランに断られている)(関連記事)
悪の枢軸の当事国以外で、威勢の良い正論的なアメリカ非難を言い続けている為政者は、ベネズエラのチャベス大統領ぐらいである(彼は石油の財力と反米感情を使って、中南米を結束させようとしている)。(関連記事)
EUがイラン問題で正義の追究を捨てたといっても、これは政府間の話であり、もしEUの一般市民がこのような自国政府のあり方を知ったら、強い世論の反発が出るのは必至である。そのため、欧州各国はマスコミに「イランよりアメリカの方が悪い」という報道をさせないよう、隠然と情報操作をしている可能性がある。アメリカのマスコミも「イランが悪い」という報道しかせず、アジアなど他地域のマスコミの多くも欧米の報道を翻訳するだけなので、世界のどの新聞を見ても「イランが悪い」という論調しかないという、情報が歪曲された状況が出来上がった。(関連記事)
▼イラクの悲劇を見て譲歩しなくなったイラクや北朝鮮
イラク侵攻を機に、国際社会からは「正義」や「道理」が消えた(以前の国際社会には、表向きだけだが、正義や道理の追究があり、それが国際社会での欧米の優位を支えていた)。このことは、イランにとっても態度の転換をもたらした。イラクのフセイン政権は「言われたとおりに大量破壊兵器を全廃すれば、もう侵攻されることはないだろう」という道理を信じて全廃したが、その結果起こったことは、丸裸にされたイラクを米軍が簡単に潰すという侵略戦争だった。(関連記事)
フセインは、大量破壊兵器を廃棄した後も、自国の安全保障のために、あたかも兵器を保有し続けているかのような言動を繰り返していたが、これが逆に命取りとなった。こうしたイラクの悲劇を見て、イラクと並んで「悪の枢軸」に指定されたイランと北朝鮮は、欧米に武装解除を求められても、一歩も譲歩しなくなった。武装解除に応じても、アメリカは「まだ武器を持っているはずだ」と言いがかりをつけ、いくら「もうないです」と言っても信じてもらえずに潰されるのが落ちだからである。
イランにとって「ウラン濃縮をやめたら、経済援助や不可侵の約束をしてあげる」というEUの提案は、受け入れられるものではなかった。ブッシュ政権は「武力侵攻も辞さず」という態度を変えておらず、EUとだけ不可侵条約を結んでも、イランの安全にとって何もプラスがなかった。(関連記事)
▼形だけの外交努力をしたアメリカ
交渉が進展しないので、EUや国連は2005年初め、アメリカもイランとの外交交渉に参加するよう求めた。これを受けてブッシュ政権は05年3月、交渉に参加する方針を発表した。(関連記事)
だが、そのすぐ後でブッシュ大統領は「あらゆる国に核の平和利用権があるという考え方は間違いだ。悪用しそうだと最初から分かっている国には、平和利用権すら存在しない」と発言した。ブッシュはイランという国名は出さなかったものの、平和利用権を主張するイランを指した発言であることは明らかだった。(関連記事)
それと前後してアメリカは、イランとの交渉で「経済インセンティブ」として「ウラン濃縮を永久にやめるなら、WTOに加盟申請することを認めてやる」と提案した。だがイラン側は、WTOは申請してから加盟まで何年もかかり、核開発停止の見返りとするには小さすぎると言って断った。これでアメリカの「外交努力」は終わった。(関連記事)
イランでは05年6月に選挙があり、大統領が、欧米との交渉を重視する現実派のハタミから、反欧米的な強硬派のアハマディネジャドに交代した。その後、イランは態度を硬化させ、05年8月に「EUとの半年間の交渉の期限は終わった。凍結していたウラン濃縮作業を再開する」と宣言し、実際にイスファハンの施設で濃縮を再開した。だがこのときもイランは、欧米側に付け入る口実を与えぬよう、IAEAに依頼して監視カメラを再稼働してもらい、IAEAの監視を受けずにウラン濃縮を行ってはならないという規定に違反しないようにして、濃縮を再開している。(関連記事)
イランがウラン濃縮の再開を宣言したことで、EUとの交渉も頓挫したが、交渉終結に合わせるように、IAEAは、イランのナタンズ核施設で見つかった高濃度ウランの痕跡について「遠心分離器の以前の所有者だったパキスタンが行ったウラン濃縮の残滓であり、イランが作ったものではない」という、イラン側の主張を認める報告書を発表した。(関連記事)
IAEAの事務局は、以前からイランの主張が正しいと言い続け、これを認めない欧米側を批判する言動をとっていたが、すでに書いた事情により、このことは欧米マスコミではほとんど報じていない。一般には「IAEAも欧米と一緒にイランを非難している」と軽信されているが、イランを非難しているのは、IAEAの理事会の欧米代表であり、エルバラダイ事務局長ら事務局ではない。(関連記事)
▼繰り返される騙しの開戦事由作り
欧米のイラン非難は「ナタンズで高濃度ウラン濃縮が行われ、核兵器が作られた」という主張に支えられたものだったので、その支えが崩れた後、05年の秋から冬にかけて、イラン問題は膠着状態となった。原油価格が高騰し、大産油国のイランに圧力をかけるのが難しくなった。(関連記事)
アメリカ国務省は「イランは、IAEAに査察を許していないパーチン(Parchin)軍事基地で、こっそり核兵器を開発しているに違いない」と言い、イギリスのブレア首相は、アハマディネジャド大統領がイスラエルを非難する発言を繰り返したことを受けて「この発言だけで、イランは経済制裁を受けるに値する」と主張した。(関連記事)
これらの出来事は、米軍のイラク侵攻前に、侵攻の理由として、米英が「イラクには、まだ隠された化学兵器工場がある」「80年代のクルド人殺害だけで十分大きな国際犯罪だから、侵攻理由となる」などと、何とか開戦事由を作ろうとして、いろいろ述べ立てたときとそっくりである。国際社会はもはや、もうこの手の騒ぎには動じず、事案は静かに無視された。(関連記事)
イラン側は、IAEAにパーチン基地の査察を許可し、その結果、同基地には核関連の設備が何もないことが確認された。イラクのときには、アメリカは「基地に何もないということは、イラク政府がどこかに問題の設備を隠したということ示しているのだ」と言い募ったが、今回はもうそこまでは言わず、沈黙した。(関連記事)
イラク侵攻前には、ブレア首相がイラクの兵器開発の証拠として示した文書が、インターネットからコピーしてきた大学院生の論文だったことが明らかになったり、稚拙なニセモノの契約書に基づいて「イラクはニジェールからウランを買った」と主張されたりしたが、それらの再現を思わせる事件も起きた。(関連記事)
05年11月、イランはIAEAの求めに応じて、自国の過去の核開発に関連する文書を提出したが、その中に、核弾頭の作り方を示した2ページの文書が紛れ込んでおり、アメリカ側は「これこそイランが秘密裏に核兵器開発している証拠だ」と騒ぎ出した。イラン側は、文書の中身はインターネットからとってこれるような一般的なものであり、しかも関係ない文書の束の中に不自然に紛れ込んでいるため、何の証拠能力もないと反論し、IAEA事務局もイラン側を支持し、騒ぎは短期間で収束した。(関連記事その1、その2)
この事件で思い起こされるのは、イラク侵攻前のニジェールウラン文書の事件である。この文書は、イタリア当局が米当局に提出した文書の束の中に紛れ込んでおり、どこかの時点で誰かが故意に紛れ込ませた疑いが指摘されている。諜報機関の世界では、このようなニセ文書による攪乱が行われることがあり、ニジェールウラン文書も、イランの核弾頭文書も、IAEAなどの組織の中に潜伏している諜報関係者が、すきを見て紛れ込ませた疑いがある。
【続く】
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