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□インタビュー:「ビンラディンは生きている」 P.バーゲン氏 [アルジャジーラ]
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1685957/detail?rd
インタビュー:「ビンラディンは生きている」 P.バーゲン氏
【アルジャジーラ特約3日】「私が知るウサマ・ビンラディン」(仮訳)を出版したばかりのテロ問題専門家、ピーター・バーゲン氏がこのほど、ニューヨークでアルジャジーラネットのインタビューに応じ、「ビンラディンは生きており、パキスタン領内にいると思う」などと話した。ビンラディンの現状については「死亡」「生存」が入り交じりなぞに包まれたままだ。1997年にビンラディンに取材した数少ない西側のジャーナリストでもあるバーゲン氏との一問一答は次の通り。(翻訳・ベリタ通信=志岐隆司)
―ビンラディンと側近のザワヒリ副官の2人が最近、音声テープとビデオテープを相次いで公表したが、ここで注目すべき点はなにか。
「(死亡説も流れた)ザワヒリ副官が生存していたことに驚いてはいない。このテープが作成されたのは、明らかに米軍が同副官を狙った爆撃を行ったという日からわずか一両日中だった。2本のテープで伝えようとしたのは2人が生存していることだろう」
―ビンラディンは米国を標的にした新たなテロを実行できると思うか。
「テロ実行能力は大きく落ちている。2001年9月11日の米中枢同時爆弾テロでは人材のリクルート、資金調達などは実に大掛かりなものだった。現在のアルカイダでは同様のテロを実行することは難しい。アルカイダはいま、分断状態に置かれているからだ」
「アルカイダはムシャラフ・パキスタン大統領を暗殺できるかと問われれば、答えは『イエス』だ。ロンドンでの爆弾テロの可能性も『イエス』だ」
「アルカイダがイラクで欧州人、例えばベルギー人女性を自爆テロ犯に仕立てことはできるだろうが、米国をテロ攻撃するのは一段と困難になっている。テロの現場は欧州に移っている」
―米国はビンラディンを捕まえるチャンスがあったと思う。米国は2001年、アフガニスタン東部トラボラでビンラディンを取り逃がしてしまったのか。
「人とひとり探すのは難しい。米国はトラボラで大失敗を演じた。後にも先にもビンラディンを捕まえる唯一の機会だった。とてつもなく長いアフガニスタン・パキスタン国境での捜索は難しい。用心深いビンラディンは衛星電話、携帯電話を使わない」
「周囲にいる者たちは金では動かず、ビンラディンを裏切ることはない。逮捕するのは極めて難しいが、平均化の法則がある。ビンラディンも人間であるため、成功してばかりではなく、いつかは失敗する」
「報道機関に送りつけるテープがそのきっかけをつくるだろう。世界中に広がる聖戦戦士を鼓舞するテープの作成は不可欠だが、これで居場所を突き止められ、命取りになる可能性もある。ザワヒリ副官が爆撃攻撃を受けたのも、テープの公表から数週間後だった」
―ブッシュ米大統領はビンラディンを必死に追っている。西側にとりビンラディンを捕まえ、裁判にかけるのが最善なのか。
「フセイン裁判は茶番だが、ビンラディンの裁判はそうはいかない。だが、ビンラディンが法廷に引き出されることはないだろう。常に『闘いのために殉教する覚悟はできている』と話しているからだ」
「その言葉通りだと思う。殉教するだろう。今回の著作のあとがきの内容を紹介しよう。ビンラディンは『絶対に捕まりたくない』とした上で、警護員に弾丸2発入りの拳銃を持たせ、万一の場合、自分を射殺するよう言い渡していたという。これは事実だと思う」
―1980年代、旧ソ連のアフガン侵攻を食い止めたい米中央情報局(CIA)が、ビンラディンを使ったとも言われる。それは事実で、ビンラディンは飼主の手をかんだということか。
「CIAがビンラディンの存在を知ったのは95年のことだった。ビンラディンがCIAに協力したとの証拠は何もない」
―フセイン元大統領とは関係を持っていたのか。
「関係は全くない。ビンラディンは『あのような人物は信用できない』として、フセインを嫌っていた」
―(イラク聖戦アルカイダ組織を率いる)ヨルダン人ザルカウィのイラクでの行動を操っているのはビンラディンなのか。
「独自に活動していると思うが、ザルカウィは04年にビンラディンに忠誠を誓っている。思想的指導者ともいえるが、ビンラディン自身はイラクに行ったことはない」
―イラク戦争によりアルカイダの脅威は減少したのか。
「そうではない。その逆だ。この戦争でテロが減少したとは思えない。04年のテロ件数は前年に比べ3倍を記録した。世界ではイラク戦争が原因のテロ事件が起きている。イラク戦争はアルカイダを活性化させているのだ」
―あなたは1997年にビンラディンと初めて会ったが、その際、彼が世界から最も恐れられるテロリストになるだろうと想像できたか。
「それはなかった。ビンラディンは知的、情報通で、集中力もあり、信心深い人物だった。冗談を口にするタイプではない。意志が強く、考えを変えることはない」
「最初に会った際、ビンラディンは米国の中東政策を強く非難し、米国を攻撃したいと口にした。1998年にアフリカにある米国大使館でテロ攻撃が起き、ビンラディンが真剣だったことを知った」
―ビンラディンの居場所は分かるか。
「ビンラディンが洞窟のような所にいるとは思わないし、新聞を読んでいるとしても驚かない。最新のテープを見ると、ビンラディンが着ている服にはアイロンがきちんとかかっていた」
―では、ビンラディンはどこにいるのか。
「パキスタン領内だ」
2006年02月03日23時38分