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特報
2006.02.03
最新イラク取材 山本美香さんの眼
テロとの戦いを掲げ、「大量破壊兵器の保有」を名目に米軍がイラクへ侵攻してから約三年。民主政治を目指し昨年十二月、国民議会選挙が行われたが、武装勢力によるテロなどで死傷者は後を絶たない。世界各地の紛争地帯を駆けめぐり、最新のイラク情勢を取材した「ジャパンプレス」の山本美香さん(38)が見た現地の今とは。 (竹内洋一)
■毎日爆発音…細心注意払う
山本さんは昨年十二月十二日から先月十六日まで、イラクの首都バグダッドと自衛隊が駐留する南部のサマワに入った。イラク訪問は七回目。イラク戦争当時から三年近くたち、最も変わったのは、治安だった。
「バグダッドは坂道を転がるように治安が悪くなっている。毎日どこかで爆発音がしている。空港から市内のパレスチナホテルに入るのにも警戒して、目立つような車には乗らないし、米軍車両の後は走らないようにした。爆発に巻き込まれてはいけないので。誘拐される恐れがあるため護衛も雇った。自分の行動に関する情報が漏れるのを警戒し、明日の予定もスタッフにしか明かさないほど細心の注意を払った」
自身の安全に気を配りながらの取材。バグダッド市民の一番の願いも「侵略軍の即時撤退」から「治安の安定」に変わっていた。
「バグダッド市民から、『多国籍軍には責任を取ってほしい。このままいなくなったら、混乱をつくるためだけに来たんじゃないか。せめて治安を安定させる労を惜しむな』という声をたくさん聞いた。その後に『早く出て行ってほしい』という話になる。以前はとにかく『撤退』と言っていた。家族が街に買い物に行けば、爆弾テロの被害に遭うかもしれない恐怖が、米軍は嫌いだという思想を押し殺している」
最初にバグダッドに入ったのは、二〇〇三年のイラク戦争開戦(三月二十日)三日前。ホテルのレストランでは、三種類あったメニューが一種類になり、味付けはすべてケチャップ味になった。テレビは国営の三局だけ。フセイン大統領(当時)の演説が映り、「戦え、戦え」と歌が流れたが、市民は誰も目を向けていなかった。それが今ではすっかり様変わりした。
「街は以前に比べ、電化製品やおいしい食材が外国からどんどん入ってくるようになった。街のレストランもイラク戦争当時と比べ、格段においしい。街にはパラボラアンテナがあり、市民も米CNNやFOXなど三十チャンネルくらいの放送を見ることができる。特にハリウッド映画のチャンネルを夜通し見てる」
滞在中、イラク国民議会選挙の投票が行われた。結果はイスラム教シーア派の「統一イラク同盟」が第一党を維持したものの、単独過半数を下回った。現在、他会派との連立協議が進んでいる。シーア派に過半数を与えなかったイラク国民の心情を、山本さんはこう解説する。
■テレビ見たい 音楽聴きたい
「シーア派が単独過半数を取ってイスラム教色の強い国になり、がんじがらめになるのは嫌だという声をよく聞いた。本当の意味での過激な宗教家は一握りしかいない。みんなおいしいものを食べたいし、テレビも見たい。音楽も聴きたい。自由を謳歌(おうか)したがっている。シーア派が単独与党になると、イランと結びつき自由を抑圧されると恐れている人が多かった」
自衛隊の駐留するサマワには派遣前の〇三年十二月から四回訪れた。もともとサマワ市民の間では、自衛隊の復興支援に賛否両論があるが、今回あらためてサマワを訪ね、来るたびに不満の方が大きくなっていると感じた。政府は三月にサマワの陸上自衛隊の撤退を始める方向で、英豪両政府と調整に入っている。
「今回、サマワ市民にも撤退するという話が伝わっていたが、『撤退しても影響ない』『いてもいなくても変わらない』という意見が多かった。『これからもっと積極的に街づくりをしてくれると思っていたのに、どういうことなんだ』という声も聞いた。彼らからしたら、復興支援は始まったばかりで、二年でもう帰るのかということなんでしょう」
復興支援が市民の多くから評価されないのは、自衛隊の「アピール下手」が原因ではないかと感じる。サマワの自衛隊は、相次いだ宿営地への砲撃や車両が爆発に巻き込まれた事件の影響で、宿営地にこもりがちで、市民から姿の見えないことが多いという。
「給水活動はキャンペーン的な形で自衛官が配ることもあったが、通常はイラクの人にやらせている。自衛隊は安全上の問題から、給水に積極的に参加して、どこに行っても自衛官がいるという感じではない。時々、給水設備を復旧している場所に行って、工事がうまく行っているか監視するという感じなので、支援がなかなか伝わりにくい。市民からは『自衛隊はどこにいるの』『いつ宿営地から出てくるんだ』とよく聞かされました」
自衛隊の復興支援が着実な成果を挙げていると評価できる点もある。今回のサマワ訪問で、自衛隊が改修した浄水場を取材した。新たな貯水タンクが設置され、さび付いた配管も取り換えられていた。これで浄水の蓄えが六倍になったと説明された。
「その浄水は給水車に積んで、イラク人がサマワの市周辺の水道がひかれていない地域に配っている。そうすると、市の中心部では『自分のところには水が来ない』『自衛隊はどこで何しているの』となる。市内に水道はあるが、すべてのエリアに行っていないし、水量は少なく、水質も悪い。その辺が改善されないので、早く水を何とかしてくれと不満が出てしまう」
日本の政府開発援助(ODA)で建設される大規模発電所の予定地も訪れ、所長になるイラク人にもインタビューした。だが、こうした日本の取り組みは市民にうまく伝わっていない。
「今はサマワの家庭では、二時間電気が来ると、五時間は来ないという状態。所長は『発電所ができれば、不満も解消する』と言っていた。さらに『これで五千人くらいの雇用になる』とすごく期待していた。なぜこれが最初にできなかったんでしょう」
■接した市民は『ピースフル』
それでも、多くのイラク人は親日家だと実感している。実際に自衛隊と接した市民は「フレンドリーだ」とか「ピースフルだ」という印象を話すという。その日本が今後のイラクのためにすべきことは何か。
「日本がイラク戦争に参加したことを、イラク人は分かっている。だから責任を持ってまず後始末をし、国造りをサポートしないといけない。このままではあまり評価されない。単に『プロジェクトをやりました、帰ります』では、米国との関係で自衛隊を派遣するために復興支援という名目を利用したんだと思われても仕方がない」
やまもと・みか 1967年生まれ。山梨県都留市出身。都留文科大を卒業後、CS放送記者を経て96年、フリージャーナリストに。01年9月11日の米中枢同時テロ前後にはアフガニスタンを取材。戦時下のイラク取材で、03年度の「ボーン・上田記念国際記者賞」の特別賞を受賞した。03年から04年まで日本テレビの報道番組でニュースキャスターを務める。著書に「中継されなかったバグダッド」(小学館)がある。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060203/mng_____tokuho__000.shtml