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イラクの産油都市の手ごわい相手/ワシントン・ポスト (後半) [イラク情勢ニュース]
http://www.asyura2.com/0601/war77/msg/782.html
投稿者 white 日時 2006 年 1 月 22 日 00:03:40: QYBiAyr6jr5Ac
 

□イラクの産油都市の手ごわい相手/ワシントン・ポスト (後半) [イラク情勢ニュース]

 http://www.freeml.com/message/organizer-news@freeml.com/0001118;jsessionid=iwpig73fj1

URUKNEWSイラク情勢ニュース           (転送・紹介歓迎)
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2006/01/21(土)

[飛耳長目録 today'snewslist]

☆イラクの産油都市の手ごわい相手 (後半)
☆イラク議会選挙の「開票結果」 −−選管発表

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☆★イラクの産油都市の手ごわい相手 (全文)
  InIraqiOilCity,aFormidableFoe
ワシントン・ポスト 2006年1月19日
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http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/01/18/AR2006011802562_pf.html

※訳注: 前半と後半との区切りを入れ、全文を掲載した。

※産油地の地図: アクセス後、右下をポイントすると拡大ボタンあり。
 
http://www.lib.utexas.edu/maps/middle_east_and_asia/iraq_oilfields_1992.jpg
 (バイジ=Bayjiと表記されている。地図によってはBeyjiという表記も)

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ゲリラから奪還しようと空挺部隊が戦う
AirborneSoldiersStruggletoBreakGripofInsurgents

 バイジ発:

 自分の乗ったハンビー(軍用特殊車両)がハイウェイにあいた穴を回避し
て大きく揺らいだとき、ロビン・ヒューストン上等兵は空にむけて銃弾を連
射した。彼の車列は対向車線にはみ出て、イラク人の車両が舗装してない路
肩に追いやられた。

 ハンビーを指揮するシーン・デイビス2等軍曹(30歳、フロリダ出身)
は、銃声とハンビーのうなる音に負けず、道路脇爆弾は「ほんとに厄介だ!」
と叫んだ。「彼らを道路から追い払うために警告射撃をしてるんだ!」

 長いあいだ米軍に干渉されず今でもゲリラに掌握されているスンニ派アラ
ブ人の都市であるバイジ市では、デイビスと彼の小隊がとった戦術は爆弾で
命を落とすことを回避するために毎度のこととなっている−−兵士たちが説
明した。昨年秋、米陸軍の第101空挺師団がイラク北部の安全確保任務を
受け持ってから1ヶ月のあいだに、34人いた小隊の4分の1以上が道路脇
爆弾によって死亡もしくは負傷した。

 バイジ市は米軍にとって危機的なまでの最重要性を帯びることになってい
る。それはイラクの石油産業にとっての重要性ゆえであり、事実として、ゲ
リラの脅威によって政府がここにあるイラク最大の石油精製所(1日あたり
20万バレルを処理する)の閉鎖に追い込まれることになった。

 しかし第187歩兵連隊第1大隊ブルドッグ中隊に所属するデイビスの小
隊と第101空挺師団の数百人の兵士が最初にバイジ市に派遣されたとき、
同市は実質的に未知の領域であった−−当地の米陸軍将校が言った。知識の
欠落は明らかに致命的だった。

 米軍の司令官たちが限られた部隊をバグダッドやモスルのような大都市に
集中させていたとき、イラクにある多くの小都市および町と同様に、約6万
人の人口を抱えるバイジ市は長期にゲリラの天国となっていた。以前の米軍
部隊はほとんど市外に駐屯し、情報も最小限のものしかなかったと将校たち
が話した。

 結果として、多くの兵士がイラクとアフガニスタンで戦場体験を積んでい
た第101空挺師団の歴戦の部隊でさえ、ゲリラ勢力が彼らを不慣れの地形
に誘いこんだために、イラク戦争の最初の6週間に多くの犠牲者を出した陸
軍部隊と同じ目にあうことになった。

 今月、爆弾、地雷、そして最近では自動車爆弾を使った自爆攻撃による死
亡者に悩まされた陸軍司令官たちは、ブルドーザーを動員して砂の壁を築
き、塹壕を掘り、市内への出入りを厳しく制限するための障壁を設置し始め
た。彼らはバイジの一角であるシニヤー村を長さ6マイル、高さ8フィート
の塀で完全に封鎖した。

 他方、デイビスの小隊は自前の戦術で安全を確保しようとしてきた。彼ら
は基地内のコンクリートを捜してまわり、ゲリラが自家製爆弾を隠しそうな
穴という穴に水で溶かして注ぎ込んだ。「コンクリートまがいのものまで捜
したぜ」とダニー・キッド1等軍曹(36歳、ニューヨーク出身)が言っ
た。同じ部隊の他の兵士同様に彼も攻撃の激しさに驚いている。別の兵士た
ちは、イラク人の車両を道路から追い散らすために、自分たちのハンビーに
警察のサイレンを搭載していた。

 「今度ばかりは危険が増しているのは確かだ」と特殊部隊のデイビッド・
ジョーンズ(24歳、ニューヨーク出身)が言った。彼も彼の所属する小隊
もイラク派遣は2度目である。「こんなに早く多くの同僚を失うとは思って
なかった」。

 ◆強まる敵意

 チグリス川をバグダッドから北へ120マイル遡(さかのぼ)ったところ
に、バイジ市の巨大な工業設備は砂漠の風景から生えでた金属のジャングル
のようにそびえている。人口の98%がスンニ派モスレムであるバイジの街
は、石油と電気設備の運営と保護を協力的な部族にまかせたサダム・フセイ
ンの時代に繁栄した。

 2003年の米軍侵攻ののち、これらの保護された仕事は消え、アメリカ
軍に対する敵意とゲリラへの志願者が集まっている、と、バイジ住民は話し
た。2003年と2004年におこなわれた米軍による激しいバイジ掃討作
戦は、多くの住民を怒らせ、脅かし、屈辱を与えることとなった−−住民た
ちが説明した。

 「アメリカ軍と戦っている人々のほとんどは、彼ら(米軍)はわれわれの
ためには何もせず、民家を破壊し住民を捕らえただけだと私に語った」とバ
イジ石油精製所の理事アディル・ファエズ・ジールが言った。「仕事はな
く、水もなく、電気もない」。

 そうしたなかで、地元の指導者によると、バグダッドからモスルへ南北に
走るハイウェイ沿いのバイジ市を通過する米軍車列は、ヒット・アンド・ラ
ン(撃っては逃げる)攻撃で住民たちを殺してきた。バイジ最大の部族の1
つであるカイシ部族の指導者ガエブ・ナフース・ハミド・ハラフは、「私の
部族でも多くの人々が殺され、語るべき言葉を知らない」と話した。

 石油取引から資金を獲得する一方で、ゲリラはバイジをモスルおよびバグ
ダッドへの出撃基地としてきたと米軍将校は言う。犯罪的なネットワークと
ともに、彼らはパイプラインを切断し石油製品をブラック・マーケット(闇
市場)に流すことによって利益を得始めた。「ティクリートに駐屯する第
101空挺師団の作戦参謀マイク・ゲッチェル中佐は、「石油が流通してい
るときは金にならないが、それが妨害されると彼らは金を手にする」と語っ
た。

 バイジでは、ガソリンの闇市場が活発で、売り手たちは米軍に拘束されて
も何時間か何日かすれば再び姿をあらわす。「彼らはいたるところにいる」
−−ヒューストン上等兵(20歳、シンシナティ出身)が街をパトロ−ルし
ながら話した。


  ※訳注: 以上は<前半>として、前回紹介済み。2ヶ所で誤植訂正。
   以下は今回紹介する<後半>です。  ※※※※※※※※


 市を周囲の検問所は約150人のイラク軍兵士が監視しているが、攻撃を
防ぐことができないでいる。バイジ市内では、警察も役に立たない(彼らは
しばしば夜間の任務中に寝る)、と米軍将校が語った。バイジにいる米陸軍
諜報将校のビリー・ボビット中尉(24歳、ニュージャージー出身)は、イ
ラクの警察と軍は「日和見主義で、有志連合軍もゲリラも好きでなく、ただ
生き長らえたいだけなんだ」と指摘した。「われわれは既に2人目の警察署
長を就任させた。前任者は解雇するところだったが、道路脇爆弾で吹っ飛ば
された」。

 米軍が成果をあげたこともあり、最近では重要な武器密輸業者を追跡して
捕らえ、弾薬の大規模貯蔵庫を摘発した。しかし住民はバイジ市の治安はフ
セイン政権下よりもはるかに悪くなったと指摘する。多くの住民が、ゲリラ
の脅迫を恐れ、彼らの近所で誰が爆弾を仕掛けているのか米兵に告げること
を拒否している。ゲリラはアメリカ軍のために働くイラク人を攻撃目標にし
ており、最近では、米軍基地でトイレを掃除した男が斬首された−−バイジ
住民と米軍将校が語った。

 退職教師のサラハ・アウブ・ラマダン・オバイディ(65歳)は、バイジ
市内にある自宅のカーテンのある居間で訪問した米兵に紅茶を注ぎながら、
「サダムが権力を持っていたとき、私たちはモスルにもティクリートにもバ
グダッドのも・・・よく出かけたものだよ。まったく安全だったな」と話し
た。今では「人々は毎日銃撃に遭遇するうえに、治療する者もいない」。

 そのほか、ゴミだらけの通り沿いの壁にはこんな落書きがある−−『レジ
スタンス万歳』、『われこそバイジの英雄、レジスタンスに参加している』

 人物を特定するための退屈な任務の一環として、兵役年齢の全男性を確認
し写真を撮るために米兵は家から家へと捜索する。イラク人はしぶしぶ従う
こともある。だが誰1人として攻撃に関する情報を提供する者はいない。

 キッド1等軍曹はゲリラについて、「彼らには他人を入れさせない場所が
ある」と話した。「われわれは地元住民からほとんど何の支援も受けられな
い。1000人に話しかけて、応じるのはやっと1人だ」。

 ブルドッグ中隊のロバート・グッディ1等軍曹は、とらえどころのない敵
との戦闘に対する兵士たちの不満を要約してこう言った−−「まるで象(ゾ
ウ)がネズミを捕まえようとしているようなもんだ」。

 ◆死者がでた策略

 カイシ部族の指導者であるガエブの家では、マット・バートレット大尉が
身をかがめて刺すような視線を彼に向け、ガエブは金色の房のついたローブ
をまとって赤い格子じまの頭被りをつけている。

 バートレット(29歳、中隊長、ニュージャージー出身)は、「知ってる
だろうが、あの橋を渡ったところで4人の部下が殺された」と言った。その
声は低く、緊張している。

 ガエブは早口のアラビア語でまくしたてる。中庭のむこうに流れるチグリ
ス川にむかって身振りをまじえながら、「その橋から中洲までは私の土地で
はない」と彼は答えた。

 バートレットは苦々(にがにが)しく思った。彼はあとで「奴らは俺たち
を怖がっているが、俺たちの同伴者だと見られることも怖がっているんだ」
と説明した。「彼らは現状維持をつづけるだろう」と。

 2〜3週間前のことをバートレットたちは思い起こした−−、爆弾製造組
織に関する情報をガエブから得ようとして、バートレット大尉とその部下で
ある小隊長の1人デニス・W・ジリンスキー中尉(ニュージャージー出身)
がこの界隈を訪れた時だった。愛想のよい若い将校ジリンスキーと、ウェス
ト・ポイントでは水泳チームに所属していた大尉は、ガエブの子どもたちに
オモチャを持参して子どもたちとはハイタッチ(high-fives)をした。

 だがこの部族指導者は大きな会合を開いていて、面会することができなか
った。そしてアメリカ兵の車列が戻ろうとすると、イラク人の車両が行く手
をふさいでいて、住民は手を振って米兵たちを「密輸業者の道」という別名
を持つチグリス川沿いのホコリっぽい迂回路(うかいろ)へ誘導した。

 バートランドは「なにか変だった」という思いが頭をかすめたことを思い
だした。2〜300ヤードも進むと野原に出て、車列は大きな爆発に見舞わ
れたのだ。

 爆発の背後では、グッディ1等軍曹がハンビーから飛び降り、たちのぼる
煙と残骸のある方角へ走りだした。明らかに彼は自分の目にした光景に混乱
していた。

 「俺は大きな肉片を見て、てっきり山羊(やぎ)か牛だと思った。『こい
つら、動物の死体にIED(自家製爆弾)を隠しやがって』と思ったんだ」
−−そのときの記憶がよみがえった。彼はトラックに乗っていた部下を見つ
けようと前進した。だが近づくと、「トラックは見当たらなかった。手足や
身体の断片が目に飛び込んできた」。グッディは1人の兵士が残したものに
足をとられた。その時、ハンビーに乗っていた5人の兵士のなかの唯一の生
存者が、目が見えなくなって悲鳴をあげているのを発見した。

 「恐ろしい光景だった」とバートレットが言った。「われわれは200メ
ートル先まで散らばった肉片を集めなければならなかった。ハンビーは巨大
な爆弾によって、「半分に切り裂かれ、木っ端微塵(こっぱみじん)にされ
た」と彼は言った。後に発見された巨大爆弾には、1000ポンドの爆発物
と対戦車用の地雷2個、一番上には155ミリ砲弾1個が収納されていた。

 この攻撃は小隊を激怒させた。

 「俺は怒りで熱くなった」とテネシー出身のグッディが言った。「みんな
バイジ市に出撃して、ドアを蹴破り、市民を銃撃し、モスクを爆破しようと
うずうずした」。グッディたちは、近くに住むイラク人が爆弾について知っ
ていたのに彼らに教えなかったと考えた。

 ジョン・コールマン軍曹(サウスカロライナ州出身)は、寝台の外側に設
置された木製のテーブルについて、機関銃を分解掃除しながら、僚友を失っ
たことを思い出していた。

 ジリンスキーは陽気で人を惹(ひ)きつける魅力があった。ハスキーな声
音で5・3フィートの身長を持つドミニク・J・ヒントン(24歳、テキサ
ス州出身)は息子2人のことを自慢し2〜3日に1度は家に電話していた。
エドワード・カロラス2等軍曹(25歳、ニュージャージー出身)は部下と
の友情を大切にする珍しい分隊長だった。だが1冊のノートを遺して部下を
元気づけたのは、刺青(いれずみ)をしてキツイ目つきの機関銃手ジョナサ
ン・F・ブレア伍長だった。

 (ノートには次のように書いてあった)

 「私が死んだことで、誰かを責めないでくれ。それは私が決めたことであ
り、私の人生、私の選択だったのだ。・・・今も戦闘中の兵士たちに−−前
進をつづけて、強くあれ。そして全員すぐに帰還することを忘れるな」。

 コールマンが銃を拭(ふ)く手を止めた。「もし俺たちが引き揚げ、この
地が敵の手に落ちたら彼らは無駄に命を落としたことになる」と言った。

 攻撃のあった日、この小隊は別の任務で基地から出撃した。2日後、彼ら
はちょっとした朗報を受け取った−−諜報部隊のレポートが、最近やってき
た米軍部隊は「何者をも恐れていない」とゲリラが語っていることを書き留
めていた。


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☆★イラク議会選挙の「開票結果」 −− 選管発表
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東京新聞 1月21日 国際
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kok/20060121/mng_____kok_____001.shtml

 選管によると各会派別の獲得議席数は
▽統一イラク同盟(シーア派)一二八
▽クルド同盟(クルド人)五三
▽イラクの調和(スンニ派)四四
▽イラク国民名簿(世俗派)二五
▽イラク国民対話(スンニ派)一一
▽その他一四−だった。
 ・・・ (略。改行は引用者が付けたもの)


◆アルバスラ・ネット紹介のイラク関連ニュース  英字報道
http://www.albasrah.net/maqalat/articles_E.htm


◆世界のイラク関連ニュース 英字報道/既存の通信・新聞社など
http://www.iraqdaily.com/p/83/be89d484be96f1.html?id=WNATe84a37faa33c63c79af5b5f8bbfefa4c


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※URUKNEWS イラク情勢ニュース(webサイト) 
    http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/  
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※イラク・レジスタンス・レポート
    http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/Iraqi_resistance.html
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