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有田芳生氏が木村久夫さんのことを取材している。
木村久夫さんは、1946年5月23日、シンガポールのチャンギー刑務所にて戦犯として処刑された(陸軍上等兵、28歳)。
彼は、田辺元「哲学通論」の余白に「遺書」「短歌」などを書きつけていた。
旧制高知高校から京都大学にはいり、1年生のときに応召された。
高知高校時代によくいった、高知県香美郡香北町にある猪野沢温泉には、吉井勇とともに、木村さんの歌碑が立てられているという。
学徒出陣兵の手記「きけわだつみのこえ」(岩波書店)の最後に、木村久夫さんのものがのっているが、それを読むと胸が締め付けられるような思いがする。
彼は、英語ができたために通訳として活動する。占領地支配のために反日ゲリラの摘発などに利用され、結果としてそれが戦犯として起訴されることになる。
しかも、上官は自分たちの罪を逃れるために、木村さんにウソの自白を求めた。自分が陥れられたことを知って、上申書を書くのだが法廷はそれを認めなかった。
もともと「自由主義」的な考えをもっていた木村さんで、上官からはそれをことあるごとに非難されていた。
彼は、日本軍の堕落、愚かさについて抑えた筆致のなかにも、怒りを込めて告発している。また、それはそうした軍隊を増長させてきた国民にも向けられている。
ここには、戦争指導者たちの罪を逃れるためにつくりだされたプロパガンダ、「1億総ザンゲ」論とは、まったく異なる重さをもって我々を突いてくる重いメッセージがある。
「きけわだつみのこえ」――いま九条改悪、自衛軍設立など、戦前への回帰が始まろうとしているとき、いま一度読み返したい文章たちである。
屈米ネット右翼たちにも、ぜひこの本くらいは読んでおいてほしいと思う。
それはそうと、木村さんに罪をなすりつけて生き延びた上官たちは、
どんな思いで戦後を生きたのだろうか。
知っている人がいれば教えてほしい。