★阿修羅♪ > 戦争77 > 591.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
2003年に【ピノチェト・ファイル】がアメリカのワシントンをはじめ外交問題評議会(CFR)を巻き込んでちょっとした騒動に発展した。
少し説明すると1973年9月11日にアウグスト・ピノチェト率いる軍部がチリ大統領官邸を攻撃し、ピノチェトがチリでクーデターを成功させた。
それから数年間、ピノチェトはサルバドル・アジェンデ前大統領派の人々を拉致したり逮捕したりして粛清した。この行動により数万人の人たちが殺害された。
そもそも、このピノチェト・クーデターにはCIAが中心的な役割を行っていたのだが、公開されたアメリカ政府の公式文書によればクーデターの黒幕はヘンリー・キッシンジャーの関与が明らかになった。
当時の米大統領ニクソンに提出されたヘンリー・キッシンジャーが書いた国家安全保障会議文書(NSC)によれば『チリのアジェンデ大統領は、アメリカの利益に対する重大な脅威でありペンタゴンとCIAで対処策を協議中であり、具体的な行動を起こす事をニクソンに命令している』
その後、1973年9月11日にキッシンジャーの命令を受けたCIAに支援されたピノチェト派が”アメリカの脅威”であったアジェンデ政権をクーデターを起こし追放した。という話です。
http://www.gwu.edu/~nsarchiv/NSAEBB/NSAEBB110/
ここで奇妙な一致が見られる。"9.11"という日付だ。
それから28年後の9月11日に新世界秩序(New World Order)が実行される。
アメリカを動かす人たちには"9.11"という日は、重要な意味を持つ日なのだろう(笑)