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□シャロン首相の後継者は? 5人の素描 [アルジャジーラ]
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1626539/detail
シャロン首相の後継者は? 5人の素描
【アルジャジーラ特約11日】医師団がシャロン・イスラエル首相の命を救う努力を続ける中、同首相のイスラエル政治における長期にわたる活動が終焉を迎えることが明らかになってきた。同首相は指導的地位にあっては極めて何でも自分で決断するやり方で指揮を取ってきただけに、その退陣は国内政治の心臓部に真空を生み出した。
3月23日に予定される総選挙で、シャロン氏が発足させた新中道主義運動「カディマ」がうまくやれるのか、また、リクード、労働党の新しい指導者たちが好機を生かせるのかどうかはさだかではない。
以下、シャロン氏の後継者となる可能性のあるイスラエルの指導的政治家の横顔を紹介する。
シモン・ペレス氏
82歳の元首相。長くイスラエル政界にあって1984〜86年、95〜96年の2回、この国を率いるとともに、多くの閣僚ポストを歴任した。2005年11月、労働党の党首選挙でアミール・ペレツ氏に敗れて驚かせたが、さらにカディマに移ったことも驚きであった。
シャロン氏の新中道政党への参加は、今後の政治改革と和平努力に向けて、全政界を挙げての支持を獲得するのに不可欠とみられた。
野心満々として、最高のポストを得ようとしているのは確かであるが、高齢に加えて、指導者として全国選挙に勝利した経験がないため、次期首相になるかどうかは疑問が残る。外相ないし副首相のポストを受け入れるだろうと考えられている。
ポーランドに生まれ、1934年に家族とともにイスラエルに移住。1994年、アラファト、ラビン両氏とともにノーベル平和賞を受賞。
エフド・オルメルト氏
イスラエルのサッカーチーム「ベイタル」の大ファン。シャロン政権で首相代理を務め、今や首相代行の地位にあるが、常に組織に忠実なプレーヤーだった。首相に従ってリクードからカディマに移ったが、常にシャロンの側近い政治的同盟者である。
ガザ地区からの撤退に緊密にかかわり、現在の地位を確保すれば、他の指導的政治家より以上に、現在の政治路線の踏襲路線を代表することになる。
首相の地位を正式に受け継ごうと望んでいるとうわさされているが、その評判はタフで決断力があり、メディアとの関係も円滑だというものである。
はじめ軍務に服した後、閣僚ポストを歴任し、1993年にエルサレム市長となって2期務めた後、2003年、国会議員に再選された。シャロン路線の継承を象徴するが、有権者に対する人望の点、カディマ内部での異なる政治的野心をまとめ上げられるかどうかでは疑問が残っている。
ベンヤミン・ネタニヤフ氏
リクードの新党首。国際的に最も知られている政治家の一人と言ってよい。1996〜99年に首相を務め、シャロン政権では外相の地位にあった。
しかし、ガザ地区からの撤退に抗議して2005年に閣外に去り、以降、シャロン首相の政策に対する強硬な反対派となった。オスロ和平合意にも「和平のための土地」政策にも反対している。
タカ派とみられ、シャロン氏がカディマを創設したため。リクードの党首となった。最近の世論調査では、リクードは第3位となり、シャロン首相とその支持者が望む中道政治路線で地歩を失ったと見られている。
アメリカンアクセントが残る英語をしゃべるのは米国で教育を受けたためで、メディアへの対応は申し分なしとされる。
アミール・ペレツ氏
昨年11月の党員選挙でペレス氏を破って労働党の党首になったのは、かなりの驚きであった。その後直ちにシャロン首相の連立政権から党を離れさせ、3月の総選挙に向けての態勢をつくっている。
モロッコに生まれ、1995年以降、労働組合連合「ヒスタドルート」の議長を務め、昨年11月、労働党党首就任で辞めた。
2004年、自己の率いるアム・エハド党を労働党に合併させたが、長くイスラエルの労働者階級の多くに人気を保ち、対パレスチナ問題ではハト派の立場をとる。
党首に就任した後、党を再活性化させているものの、選挙での投票につながるかどうかは明確ではない。今後、注目すべきは、労働党が、ペレス氏がカディマに走ったことをどう処理するのか、シャロン政権のガザ地区撤退とパレスチナ・イスラエル間の一方的分離という政策修正が有権者にアピールした事実をどうするかである。
セファラディ(非欧州系ユダヤ人)。もし3月に首相に選ばれればアシュケナージ(欧州系ユダヤ人)ではない最初のイスラエル首相となる。
ツィピ・リヴニ氏
リクードからカディマに移った著名政治家の一人で、評価の高い司法大臣。現在、カディマの選挙運動本部長である。他の首相候補に比べると政治歴は浅い。1999年に初めて国会議員に選出された。リクードの中ではハト派に属すると言われた。
ガザ地区からの撤退を差配したシャロン首相のチームの中心人物で、対立する派閥の説得に当たってきた。
カディマではオルメルト氏が果たした首相代理のポストを望んでいるといわれるが、将来のライバルと目される。
あらゆる政治各派から敬意を表されている弁護士出身の彼女だが、今はまだ国家指導者のポストには経験が足りないとみられている。
(翻訳・ベリタ通信=日比野 孟)
2006年01月12日16時11分