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731部隊隊長の「日記」初公開
2006年01月09日(月) 21時56分
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3199696.html
細菌兵器を開発し、使用していた旧日本軍731部隊の石井四郎隊長が、敗戦直後に書き記していた直筆の日記が、60年ぶりに発見されました。JNNは発見者のノンフィクションライター・青木冨貴子さんの協力のもと、初めてこの日記のすべてを撮影しました。ナゾに包まれていた石井隊長の戦後・・・その姿が浮かび上がりました。
「あれはもうA級戦犯として当然裁かれるべきことだったと思いますね。あれが裁かれていれば・・・」(元731部隊員 篠塚良雄氏)
元731部隊員、篠塚良雄氏は改めて歯噛みをする。捕虜の命を奪う人体実験に関わた。今でも細菌兵器の後遺症に苦しむ旧満州の人々がいる。その罪を悔い、償いの日々を送る。それにしても・・・と思う。
「もしあの男が裁かれていれば」と。
細菌戦を遂行した旧日本軍731部隊。その創設者であり、部隊長が石井四郎・軍医中将であった。部隊が行っていた人体実験まぎれもない「戦争犯罪」だった。しかし、厳重なかん口令や隠滅工作によって事実は闇に葬られようとしていた。発見された本人の日記は、隠された秘密を静かに、語りはじめている。
日記は、60年の一巡りを待っていたかのように発見さた。東京、羽田空港に近い運河沿いの街。石井四郎元中将が、ただ1人信を置いた女性は、戦後この街で暮らし続けてきた。
渡邊あきさん、92歳。家族の希望により、仮名である。渡邊さんは、一日中ほとんど寝たきりだ。認知症の症状が、進みはじめている。しかし、日記を手渡された時のことは、決して忘れていない。
「隊長が書いたんですね。これ」
Q.どうやって渡されたんですか?
「これはね『もしアメリカ人が来て没収すると困るからと』といって預けてくださいました」
Q.誰がですか?
「隊長が」
Q.石井四郎隊長ですか?
(うなずく渡邊あきさん【仮名】)
渡邊さんは、昭和7年(1932年)に石井家のお手伝いさんとなった。以来6年間、東京の石井邸で働いた後、石井元中将の勧めで満州に渡り、731部隊の総務部庶務課の軍属となった。仕事は隊長室周りであったから、終戦まで13年間、石井元中将に仕えた関係である。
「なんか満人(=満州国内の中国人)を使って色んな研究していたみたいですね」
Q.細菌の研究をしているというのはわかっていましたか?
「うん」(渡邊あきさん【仮名】)
石井元中将の日記は、表紙に『終戦メモ』と書かれたA5版の大学ノート2冊。敗戦時から同年末までの「部隊撤収」「対GHQ対策」「家族への仕送り」など日々の出来事が、鉛筆で書き込まれている。
ニューヨーク在住のノンフィクション作家の青木冨貴子さんはこのノートを発見し、苦労の末、解読した。そして去年『731』という本にまとめた。
「彼自身はあの戦犯に問われるということことを十分知っていて、それで隠れていた」
「証拠隠滅を指示していたこと自体が、何かやってたということを隠そうとしていたことになりますね」(金平茂紀)
日記の中に「焼却」の2文字がある。何を焼却したのか?目撃した部隊員は・・・。
Q.何を焼却した?
「丸太(=捕虜)を。約200名。殺すのはね2棟の倉庫に入れて、毒ガス」(元731部隊 鈴木進さん)
「12月14日 戦犯の件はどうなる、どうする」(日記より)
この時点ではまだ、戦犯免責は決定していなかった。石井元中将は、その後、しばらく怯え続けていた。
(09日14:46)