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CIAと熱烈カップル?:ボリビア新大統領エボ・モラレスの正体(IAR-Noticiasより)
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投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2006 年 1 月 05 日 21:35:09: SO0fHq1bYvRzo
 

CIAと熱烈カップル?:ボリビア新大統領エボ・モラレスの正体(IAR-Noticiasより)


マスコミは、ボリビアのエボ・モラレス大統領が何やら「左翼」らしいということで、やけにもてはやしているようです。

IAR-Noticiasは以前からエボ・モラレスをコンドリーサ・ライスの「子飼い」として警戒してきました。米国による中南米政策の切り替えの端的な例が、このモラレス「偽反米」政権誕生なのかもしれません。

ともかくIAR-Noticiasの記事をご覧ください。なお私からのコメントはこの投稿にレスをつけて公表しておきます。


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http://iarnoticias.com/secciones_2006/latinoamerica/0002_morales_embajador_eeuu_04en06.html

[カップル誕生]
CIAの鷹と「反帝国主義」インディオとの奇妙な出会

(IAR-Noticias)  06年1月4日
特別報道

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「社会主義への運動」(MAS)の新聞の報道は簡潔であった。

『この火曜日にボリビアの新大統領エボ・モラレスはラパスで、米国大使デイヴィッド・グリーンリー(David Greenlee)との初めての会談で、「反麻薬取引」に関しての対話を行った。』

MASは、デイヴィッド・グリーンリーとの会談は大使の自宅で「最大の丁重さと尊敬をこめて」行われた、と語った。

そして、専門家たちはその会談が予め新聞に「情報が流されていた」のではないか、という疑念を起こした。今まで常にだが、このような「ミスター」グリーンリーがその国の指導者(モラレスを含む)と会う場合、それが公衆に伝えられることが無かった。

3日前にエボ・モラレスは、「ミスター」グリーンリーが代表する帝国の長であるジョージ・W.ブッシュを、この世界の「最悪の殺人者」「テロリスト」と呼んでいたのである。

そのほんの数時間前に、大地主であり外国石油企業と米国の密接な同盟者である寡頭支配集団が、モラレスから鉄鉱山と世界最大級のマンガン鉱山を民営化するとの公式の約束を得て、地域の自治、投資および企業の私有や大土地所有の完全な保証の確約を受けた後に、モラレスに大喝采をおくったのだ。

彼は「コカが栄えればヤンキーは死ぬ」このように去る12月18日に叫んだ。53.7%の支持という歴史的な勝利を遂げた選挙の数時間後、演説の締めくくりである。

その2日後、ラパスで行われた新大統領としての初めての記者会見で、モラレスは米国に「反麻薬取引活動協定」を提唱したが、これは「生産者と消費者」を計算に入れるようにするものであり、コカの葉の合法化を推進すると繰り返した。

次に、CNN放送局とのインタビューで、米国国務長官のコンドリーサ・ライスに対して「お気の毒様」と皮肉を込めて呼びかけ、そしてコチャバンバ州エル・チャパレでの集会で、「コカ・ゼロ」計画の廃棄を宣言した。それは一時期ワシントンにとっての関心事だった。

2003年3月にミスター・グリーンリーはボリビア大使として2回目の任についた。当時上院議員だったエボ・モラレスは雑誌ナルコ・ニュースで「グリーンリーはチャパレで何度も弾圧作戦を指揮し、ビジャ・ツナリ(Villa Tunari)村の虐殺【脚注1を見よ】のようないくつかを計画した」とコメントしていた。この虐殺は1988年に子供と女性を含む12名が殺され20名以上が負傷したものである。

MASによると、このことは、モラレスと副大統領になるアルバロ・ガルシアが「ミスター」グリーンリーの自宅で1時間滞在し「外交関係と両国間の相互協力に関するテーマを全体に見通した」「丁重な」会話を交わすことの支障にはならなかった。

数時間後、モラレスはベネズエラで、チャベスと共に「ラテンアメリカにおける帝国主義に対する(世界的な)戦い」と形容する怪気炎を上げていた。

ボリビアでの帝国代表者との「丁重な」出会いを忘れて、モラレスは、「約束、戦い、そして勝利のシンボル」としてシモン・ボリバルの剣のレプリカをチャベスに手渡したのである。

そして決して無視できないデータがある。(「反帝国主義」のインディオということで大統領に選ばれた)モラレスの話し相手である「ミスター」グリーンリーは、『テロリズム・麻薬取引と戦う』米軍南方司令部のエージェントであり、この地のCIA支部を鉄拳を用いて動かしているのだ。

ボリビアの専門家によると、「ミスター」グリーンリーの司令部から、「モラレスの民主主義オプション」が、COB【訳注:Central Obrera Bolivianaボリビア労働者中央委員会】とエル・アルト【訳注:ボリビアの都市名】の秘密軍事組織の「テロリスト・オプション」に代って、働きかけられたのである。


★「ミスター」グリーンリーの手口

その伝記とその経歴を知る人々によれば、経歴以上にこの「ミスター」グリーンリー大使は多くのことを行っている。

彼の公的な履歴によると、デイヴィッド・N.グリーンリーは1943年6月3日にニューヨーク州ホワイト・プレインズで生まれ、2003年1月以来ボリビア共和国の米国大使を務めている。

2000年から2003年まではパラグアイの大使だった。その以前は様々な任務についていた。国務省のハイチ特別補佐官(1997〜99);イスラエルとレバノンの米国代表(大使に相当する)と調査グループの責任者(1996〜97);米国軍の政治顧問(1995〜96);米国大使館主席顧問としてスペインのマドリッド(1992〜95)、チリのサンチアゴ(1989〜92)、ボリビアのラパス(1987〜89)。

しかし、ペンタゴンと国務省によって作られた地域要綱【訳注:公務員の配置に関する公文書だと思うが詳しくは不明、原文はel decálogo regional】によると、その公的な資格をはるかに超えて、「ミスター」グリーンリーはCIAのタカ派局員なのである。「対テロ戦争」と「反麻薬取引の戦い」において専門家である。

国務省内の彼の知人たちは次のように明言する。「厳しさ」で有名だが、このCIA大使は麻薬に対する戦いの分野で複雑な秘密作戦の計画を立て実行する有能な「頭脳」であり、それによってボリビアにやって来た。

雑誌El Juguete Rabiosoが認めるところでは、グリーンリーは戦争政策を推し進めるために大使の指名を受け取ったのである。ただ一つの敵「コカ栽培者運動」の麻薬売買と戦うためだけを目指して。

インターネット情報誌Soberanía2003年3月号にWilson García Méridaが書いたころによると、『デイヴィッド・グリーンリーは、もし米軍南方司令部(そこは彼が90年代半ばに政治顧問を務めていた)がペルシャ湾岸での作戦に参加しないのならチャパレに米軍部隊がやってくるときが来ている、と信じている。この大使は、コカ栽培者の紛争がある我国への米軍の侵略を実現可能にするために好都合な環境を作り上げるための専門家なのだ。1986年から1989年までの間にボリビアのCIAの責任者で代理大使としての任期中に行ったように、政治不安と我々の民主主義を不安定化させるために不可欠な環境を盛り上げながら、である。

大統領ジョージ・ブッシュはデイヴィッド・ニコル・グリーンリーを2003年1月に美リビアの大使として配置した。その以前には、80年代の終盤にグリーンリーはこの国に代理大使という名目で赴任していた。そのときには外交代表部が、ボリビアの麻薬で起こった最大の事件であるウアンチャカ危機【脚注2を見よ】が原因で、トップがいない状態だった。

彼の最初の外交政策の下で(1987〜89)、ボリビアは深刻な暴力事件の中で生きた。南方指令部の部隊がチャパレにやってきたのだ。そこはコチャバンバ州にあるコカ生産地域だが、米軍は広範な軍事展開と農民に対する弾圧作戦に従事した。

グリーンリーはチャパレで米国軍人たちによる侵入を推し進めた。それは現地軍(ボリビア軍)の手を借りたものであった。

この米国兵士たちは1988年6月27日に軍用ヘリコプターから銃撃を行った。(パロターニが行ったわずか1年後であったにも関わらず)チャパレの村ビジャ・ツナリでは、100名ほどの村民が撃たれたのである。彼らはこのヘリコプターの使用はコカ農民を絶滅させるためであったと主張する。グリーンリーはラパスの米国大使館の主人だったのだ。

彼の経歴によると、彼はスペイン語、フランス語とグアラニー語【訳注:パラグアイのインディオの言葉】を話すのだが、そのボリビアでの外交官生活につながるものが1960年代にまでさかのぼる。1965年から67年まで「米国平和部隊(Peace Corps)」のボランティアとして来ていたのだ。

また以前には、ベトナムで米国軍に加わって、米国中央情報局(CIA)が指揮する部門である秘密作戦の専門家として専念していたのである。


★お互いに好都合なカップル

「ミスター」グリーンリーの行動便覧は何冊もの本になるのかもしれないが、彼の姿を取り巻く特徴の下側で、ボリビアでの存在がその権力の下での逸話か内緒話の一部になってしまった。彼の行動への知識が膨大なレベルになる以前に、である。

ボリビアの戦闘的な団体が語るところによると、2005年の5月から6月までの暴力的な抗議行動が続いていたときにグリーンリーがやってきたのは、超保守主義者であるバカ・ディエスとマリオ・コッシオが合憲的な権力引継ぎの断念を表明し、最高裁判所所長(そして米国大使館法律顧問)のエドゥアルド・ロドリゲスに辞任したカルロス・メサの後継者となる道を開いたことにとって、決定的なことだった。

その超保守主義者たちは紛争の解決策を用意していた。軍事力を用い(合憲的秩序を崩すことなくだが)、そして抗議活動集団の指導者を投獄して社会的な抗議活動を抑え、道を片付け国家非常事態を宣言するために抑圧的な強権を用いて、である。

このシナリオには、支配階級の「穏健派」と外国企業の支配人たちが、街頭にいる興奮したデモ隊による「衝突」を恐れ始めた。それはボリビア(そして彼らの商売)を決定的に麻痺させてしまう不測の事態を招くかもしれない。

闘士たちによれば、この状態が、社会的抗議運動の崩壊と分裂の中でモラレスが重責を引き受けることになったことに対して決定的であった。運動は「過激派」(闘争の継続を叫ぶ者たち)と「穏健派」(モラレスを先頭にしての選挙を提唱する者たち)に分かれていたのだ。

「ミスター」グリーンリーの大使館から奨励される「民主的な解決」の手段で、ネオ・リベラル派と改革主義派(保守主義者と支配階級の民主主義派)は民衆反乱が終了することを確信した。反乱はガスと石油の国有化を要求して高地から低地一帯にまで拡大しており、民衆蜂起の旗を掲げ始めてさえいたのだ。

ロドリゲスは、カトリック教会と、コカ栽培業者議員エボ・モラレスの改革主義派とインディオ集団と、寡頭支配階級の最も「穏健派」の部分とそして中産階級を、後ろ楯につけたもう一人のネオ・リベラルだが、彼は年末に全国選挙を執り行い新しい政府を作り議会を刷新するという任務を帯びていた。

このようにしてエボ・モラレスは、農民たちやインディオだけでなく、ボリビアでの寡頭支配階級最大の拠点であるサンタクルスで上流・中流階級の投票によって、祝福された大統領となった。

この火曜日の「ミスター」グリーンリーの住居への形式的で儀礼的なモラレスの訪問は、ただ単に「市場を安定させる」ためのメディアへのお披露目であった。そして、米国のこの地域における戦略に対する新ボリビア大統領の姿勢を国際的な勢力に対して示すような目的は持っていなかった。

モラレスはミスター・グリーンリーとは「旧知の仲」である。そして、ボリビアでの専門家と政治階級は知っていることなのだが、彼らは、インディオたちがボリビアのシステムを続けるための「民主的な代用品」になり始めたころから、ひんぱんにやり取りする仲になっているのである。

そして今からはずっと「互いに必要としあう仲」であり、それは両者による「丁重な」会見が二つの具体的な理由に集中することを示している。

1)米国は、ボリビア「平定作業」を終了させ、炭化水素の国有化と外国石油企業の追放を要求しながらますますボリビアを麻痺させる戦闘的なグループを葬り去るために、モラレスを必要としている。

2)エボ・モラレスは、COBと戦闘的なグループが新大統領に対して炭化水素の国有化と外国企業の追放――新大統領はそんなことは決して起きないだろうと言うが――という約束の実行を求める抗議と抵抗を無力にするために、「ミスター」グリーンリーとCIAを必要としている。

2005年5〜6月に炭化水素の国有化をめぐってMASと対立した戦闘的グループは、ボリビア労働者中央委員会(COB)書記長ハイメ・ソラレスの影響を受けているのだが、大統領選挙の前の90日間で、エボ・モラレスが政権を握る場合に炭化水素の国有化を行うように求めた。

これらの集団にとっては、米国国務省とペンタゴンの戦略にとってボリビアにおける新大統領の役割は明らかであり、政治的な対立など短期的な問題に過ぎない。

この状況は、明らかな理由によって、この「反帝国主義」インディオとCIAのタカ派外項との関係を「お互いにとって便利なカップル」に変える。

最初はおおやけに語られ、後でそれが寝室の中でカネの問題に変換される。

そして従来の習慣どおり、ミスター・グリーンリーと「反帝国主義」インディオ(当面は「飛び地の支配人」)との会談の未来は、厳かで民主主義的な50の星が付いた旗によって執り行われることになろう。それは全世界によって「約束、戦いと勝利のシンボル」とされているものである。

この「現実的な理性主義」(南米南部地域の進歩主義者によって学校でこう教えられている)に反対する者は、伝統的な形容詞を貼り付けられることになる。左翼小児病、と。

【訳出、終り】


脚注1:ビジャ・ツナリの虐殺は1988年6月に起きた事件。「麻薬対策」と称するCIAと米軍による虐殺で、レベリオン誌によると、28名の女性と子供を含む村民が死亡、50名が負傷した。このときの作戦を指揮していたのがグリーンリーである。

脚注2:ウアンチャカ危機:1986当時、CIAと米軍はボリビアで「溶鉱炉作戦」と呼ばれる麻薬対策を展開していたのだが、そのコカイン精製工場があると見なされたウアンチャカ山地に、9月にたまたま研究のためにヘリコプターで訪れていた高名なボリビアの生物学者ノエル・ケンプ・メルカドに率いられるスペインの研究者グループ一行が、麻薬密輸グループに米軍のスパイと勘違いされて、スペイン人操縦士1名を除く全員が殺害された。この件の処理をめぐってボリビア政府と米国大使館の内側で深刻な危機が起こった。

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