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(回答先: ロシアが恐れるフィン=ウゴル主義:ウラル山脈の向こう側まで拡がる大フィンランド-エコノミスト誌 投稿者 愛国心を主張する者ほど売国奴 日時 2006 年 1 月 02 日 03:13:32)
この記事が「エコノミスト」と言う西側のメディアによって掲載されたことに興味がある。なぜ、今、この時期にこれを掲載したのか。
結論からいうと、インド・ヨーロッパ語系に属さず、アジア系語族であるフィノ・ウゴル語族に属するエストニア語とフィンランド語を話す民族に対する、ヨーロッパ系の人々の差別心とやっかみがあるように私は思う(フィンランド人は、その昔、蒙古のフン族がハンガリーに移住し、フィン族となり、その後フィンランドに移住したと言われている。フィンランド語はハンガリー語と似ている)。
歴史的に見ても、フィンランドこそ西のスウェーデン、東のロシアの間に挟まれ、両国の植民地として苦しみながら、やっと独立を勝ち取り、世界的にもトップを争うほどの高い教育水準と豊かな生活を手に入れた。
スウェーデン王国の一部だったフィンランドは、1808年、帝政ロシアによって征服され、ロシア領となり、独立を獲得したのは1917年12月である。
しかし、その後も、常に隣の大国・ロシアの存在には、脅かされ続けてきた。
古い世代の方々の中には、多分、御存知の人もいるかと思うが、昔、スウェーデンのロック・バンド、「スプートニクス」が「霧のカレリア」という世界的ヒット曲で歌ったことで有名な「カレリア」は、元々フィンランド領であったが、1935年旧ソ連が宣戦布告なしで攻め入った、いわゆる「冬戦争」の悲劇を歌ったものである。
「フィンランドは、1週間ももつまい」といわれていたが、国を挙げて徹底抗戦し、森と湖の地の利を生かしゲリラ戦で、ソ連の領土要求には屈したが、独立は守り抜いた。
その後、フィンランドは西側自由諸国で唯一、旧ソ連との「友好協力相互援助条約」を結び、中立を守ってきた。
フィンランドの北に住む少数民族・サーメ人(ラップ人)に対する民族語での教育をはじめ、その他の少数民族に対する異文化理解教育にも高い定評がある。
フィンランド人は、西洋人が自然と拮抗し、征服しようとしてきたのと異なり、自然との調和を大切にするという点で、日本人とよく似ている。人々は、勤勉、実直、控えめで、物静か、恥ずかしがり屋の人が多く、アジア人的だ。
余談だが、「トーゴー・ビール」という、日露戦争時の大将、東郷平八郎(?)から取った名前のビールもある。高潔で、勇敢な「サムライ」的国民をアイデンティーとしているところが、日本人と似ている(笑)。
参考:
State and Revolution in Finland: Risto Alapuro (UC Berkeley Press)