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2004年9月にロシアの北オセチアで発生し、大勢の子どもを含む300人以上の犠牲者を数えたベスラン学校占拠事件。ロシアの上下院議員によって設置された調査委員会は、ロシア内務省が事前にこの「テロ」に関する情報を得ていながら惨事を見過ごしたと指摘する中間報告書を発表した。
以下に朝日新聞の記事
http://www.asahi.com/international/update/1228/013.html
を引用する。
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事前に情報、対応に不手際 ロシア学校テロで報告書
2005年12月28日23時01分
児童ら300人以上が犠牲になった昨年9月のロシアの学校テロについて、ロシアの上下両院議員で作る調査委員会は28日、中間報告書を発表し、事前に大規模テロについての情報があったにもかかわらず、地元の治安機関が適切に対応しなかったと指摘した。
報告書によると、ロシア内務省は8月3日の段階でテロの可能性を指摘していた。内務省の現地当局は、23日に警戒態勢を取るよう指示を受け、29日にはより具体的に、新学期を狙った学校テロの可能性も伝えられていた。
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当局が事前に情報を入手していながら、あれほどの大規模「テロ」が実行されたのはなぜか?その理由を考えるとき、もしかしたら参考になるかもしれないドキュメンタリーが「911 ボーイングを捜せ」
http://www.wa3w.com/911/
だ。しかし自作自演という謀略説に荷担しなくても、この「テロ」によって損をした者と得をした者を挙げることは容易い。
1200 人が人質になったベスラン学校占拠事件は、発生当時、ロシアの主要テレビ局にほぼ黙殺された。これを「ロシアのメディアの死」と批判したイズベスチヤ紙のシャキーロフ編集長はその翌日プーチン直々の意向によってリストラされるし、ノーヴァヤ・ガゼータ紙のアンナ・ポリトコフスカヤ記者は現地に向かおうとしてFSBに毒殺未遂されるし、グルジアのテレビ局の取材班の女性はロシア警察に逮捕されて全身をチェックされるしで、権力を監視するジャーナリストはとにかく散々な目に遭っている。
一方、この事件をきっかけに、プーチン政権はそれまでの州知事選挙を廃止し、大統領による事実上の任命制を敷くことで、より強圧的な中央集権化を推し進めることになった。政権にとって何かと目障りだったホドルスキーの下院選補欠選挙の立候補資格が、スピード審理によって剥奪されたのもこの時期だ。
では、この事件の背景にあるチェチェン戦争―その戦場に生きるチェチェン人たち―は、この「テロ」によって得をしただろうか?確かなことは、「ロシア政府の言う『テロとのたたかい』が、制度化された人権侵害への言い訳になっている」(アムネスティ・インターナショナル)ことであり、チェチェン傀儡政権による民間人への人権侵害も同様に国際人道法違反だということだ。
「テロ」によって利する者、それは「テロとの戦い」を誰よりも声高に訴える者なのかもしれない。
投稿者:kanti at 21:19