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特集 「米軍は何をしたか」
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投稿者 月読 日時 2005 年 12 月 29 日 08:05:35: ydTjEPNqYTX5.
 

(回答先: 女性米兵がひき逃げ、逮捕も「公務中」で即日釈放 (読売新聞) 投稿者 彗星 日時 2005 年 12 月 28 日 23:26:55)

以下、http://www.ryukyu.ne.jp/~silver/learn/silver/naiyou.htmlより

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特集 「米軍は何をしたか」

(5−1) 

反省の日を設けたとはいうが…

 人間、許せるものと許せないものがある。がまんにも限度がある。
 米兵は、3人がかりで、いたいけな少女をら致し、粘着テープで目や口をふさいで、襲いかかった。基地オキナワで9月4日に起きた米兵による少女暴行事件は、日本全国、アメリカ全土に伝えられ、強い衝撃を与えた。

 駐日米大使が、国務長官が、そしてクリントン大統領が、相次いで謝罪をし、在沖米海兵隊は「反省の日」まで設けて隊員の再教育につとめた。だが、県民の怒りはおさまらない。基地オキナワで起きた米兵犯罪が、これほど波紋を呼び、日米両政府を動かし、大きな政治問題にまで発展したことは、かつてない。復帰後、一方的に安保の犠牲を押しつけられてきた県民の怒りが爆発した、とマスコミは報じている。

 山が動き始めた。10月21日には、5万人規模の超党派の県民総決起大会が開かれる。日本政府はたかをくくって放置していたが、導火線には実は、火がついていたのである。

 復帰から4カ月が経ったばかりの1972年9月10日、ハウスボーイをしていた基地従業員のYさん(当時36歳)が、キャンプ・ハンセンで、若い海兵隊員に射殺された。理由なき殺人だった。沖縄県警は、被疑者の身柄引き渡しを求めたが米軍から拒否された。県警が身柄を拘束したのは、被疑者を殺人罪で那覇地裁に起訴したあとのことである。

 翌1973年4月12日、金武村のブルービーチ訓練場で、薬きょう拾いに来ていた73歳の女性が、米海兵隊の訓練中の戦車にひき殺された。米側は、公務中に発生した事件なので第一次裁判権を行使する、と那覇地検に通告。米軍に落ち度はなかった、と主張した。米側がどのように裁いたのか、その結果は明らかにされていない。

http://www.ryukyu.ne.jp/~silver/learn/silver/beigun1.html
 
 
(5−2) 

 1988年12月23日、クリスマス前でにぎわう沖縄市内のディスコに催涙弾が投げ込まれた。約200人の客が狭いフロアでイモを洗うように踊っていた最中の出来事だった。2人が意識不明、ほかの客ものどや目に激しい痛みを訴えた。米海兵隊は、催涙筒の使用を当面中止する、と発表した。
 県警は数カ月後に容疑者を特定したが、すでに米国へ帰国し、除隊していた。いまだに検挙されていない。

 1993年5月、19歳の女性が基地内にら致され、米兵に暴行された。禁足処分を受けていた米兵は、軍の文書を偽造して航空券を手に入れ、民間機で本国に逃亡した。容疑者は10月に米国内で逮捕され、沖縄に護送されたが、被害者が訴えを取り下げ、那覇地検は起訴を断念した。

 米軍人・軍属による刑法犯罪は、復帰後これまでに4716件にのぼる。
 原野火災に流弾、航空機の墜落−訓練に伴う事故も後をたたない。復帰後の米軍航空機墜落事故は、今年3月までに136件に達する。
 事件・事故のたびに、県議会は全会一致で抗議決議をする。抗議・要請決議は復帰後これまでに125回を数える。
 いったい、こんな地域が世界中、どこにあるだろうか。

http://www.ryukyu.ne.jp/~silver/learn/silver/beigun2.html
 
 
(5−3) 

全国の米軍基地の75%が集中
 沖縄は、沖縄戦で、本土作戦の捨て石にされた。
 1952年4月28日、対日講和条約が発効、日本の独立と引きかえに沖縄はアメリカの統治下に置かれた。米軍の直接統治の下で琉球警察には、軍人・軍属に対する捜査・逮捕権すらなく、軍事法廷で無罪になることもしばしばだった。

 基地は、制約のない自由な基地として使われた。だが、復帰後も広大な米軍基地が残り、日米で返還に合意した基地の返還すら遅々として進んでいない。0.6%の国土面積に今なお、全国の米軍基地(専用施設)の75%が集中している。

 冷戦が集結し、アメリカ本国では、基地が大幅に削減された。フィリピンのクラーク空軍基地やスービック海軍基地も閉鎖された。グァムからも米軍部隊が本国に引き揚げ、アンダーソン空軍基地は遊休化している。なのになぜ、沖縄だけがいつまでも基地の重圧を背負わなければならないのか。この素朴な疑問は、県民大多数が抱いている、しかしかなり根の深い、深刻な疑問である。

 軍用地主や基地従業員、基地関連業者にとって、基地返還は大きな痛手だ。しかし、この現実は改められなければならない。「いまに何かが起きる、何かが起きてもおかしくない」と、心の片隅で思っていたことが現実のものになってしまったのが、今度の米兵による少女暴行事件なのである。

 事件をきっかけにして、地位協定の見直しを求める動きが全国に広がっている。日米両政府は、協定の条文には手をつけず、容疑者の身柄拘置などを定めた17条の運用面の改善を図ろうとしている。だが、それだけで済むだろうか。地位協定には、いろいろと問題点が多い。

 1951年9月、サンフランシスコ平和条約(対日講和条約)が締結された。対日講和条約とセットで、日米両政府は、安全保障条約に調印し、駐留米軍の地位や特権を定めた行政協定を結んだ。
 1960年、日米両政府は、安保条約を改定するとともに、行政協定を廃止して新たに地位協定を結ぶ。これが現在の安保条約・地位協定である。沖縄に安保条約・地位協定が適用されるようになったのは復帰後のことだ。

http://www.ryukyu.ne.jp/~silver/learn/silver/beigun3.html
 

(5−4) 

改訂が可能な地位協定
 地位協定は第3条3項で「合衆国軍隊が使用している施設及び区域における作業は、公共の安全に妥当な考慮を払って行わなければならない」と定めている。ここで言う「施設及び区域」とは基地のことである。地位協定には基地という表現がなく、すべて「施設及び区域」という言葉が使われている。「作業」という言葉には軍隊としての演習も含まれる。

 第3条の規定にもかかわらず、戦車道建設による水源汚染やハリアー基地建設に伴う水源かん養林伐採、県民の水ガメであるダムでの湖水訓練、嘉手納基地内のPCB汚染など基地公害が相次いでいる。

 基地内で不法行為があっても、自治体職員は基地内立ち入り調査ができない。地位協定第2条で米軍に基地の管理権、排他的な使用権が認められているからである。国内法に基づいて立ち入り調査したくても、米軍がノーと言えば、それまでだ。

 地位協定は第5条2項で、基地から基地に移動する際、民間地域を通ることを認めている。那覇軍功に陸揚げされた物資を軍用トラックに積んで、国道58号を通って牧港補給地区まで運ぶ光景はよく見かける。問題になるのは、火薬類取締法などの国内法で規制されている物資を運ぶとき、規制を受けるか、という点である。現実には何の規制も受けていない。

 基地から基地へ、民間地域を行軍する光景もよく見かける。行軍は果たして、単なる基地間移動なのか訓練なのか。どう考えても行軍というほかない。だとすれば、施設外で訓練したことになるが、おとがめはない。
 
http://www.ryukyu.ne.jp/~silver/learn/silver/beigun4.html
 
 
(5−5) 

復帰後最大の約8万人が集結した10・21県民総決起大会
 以前から不平等条項と指摘されてきたのは刑事裁判権について取り決めた第17条である。米軍人・軍属が犯した公務中の犯罪は、米軍が第1次裁判権を持ち、公務外の犯罪については日本側が第1次裁判権を持つことになっている。  公務中か公務外かの判断は、重要な分かれ目だ。1974年7月10日、伊江島射爆場で起きた米兵による狙撃事件は、この点が争点になった。沖縄県警は、公務外の犯罪であることを立証できると主張したが、日本政府は、日米友好上、紛糾するのは好ましくないとの理由から裁判権の放棄を米軍に通告した。

 日米合意議事録によると、軍の指揮官が「公務執行中」の証明書を発行すれば、反証がない限り、十分な証拠資料とみなされ、裁判権は米側のものとなる。反証をあげることは容易でなく、米軍に有利に処理される仕組みになっている。

 日本に第1次裁判権がある場合でも、米側が容疑者の身柄を拘束していれば、日本側が起訴するまで身柄の引き渡しはできない。この17条5項のCは、外務省が1973年に出した文書の中でも「政治的妥協の産物であり、説得力ある説明は容易でない」と指摘されているいわくつきの条項である。

 このほか、地位協定には、米軍に対する優遇措置、特典、例外規定が数多く盛り込まれている。軍人・軍属は、旅券やビザなしで日本に出入国ができ、運転免許試験を受けなくても、日本で車の運転が認められている。生活に必要な物品の米国からの持ち込みは関税を免れ、日本で保有する財産には課税されない。有料道路の通行料や空港の着陸料なども免除される。

 県は今、地位協定見直しを要請するための点検作業を進めている。地位協定はこれまで一度も、改定されていないが、決して改定ができないわけではない。「この協定のいずれの条についてもその改正をいつでも要請することができる」と、第27条にはっきり明記されているのである。
 1960年6月23日に地位協定が発効して以来、今が最大の改定のチャンスである。
 
http://www.ryukyu.ne.jp/~silver/learn/silver/beigun5.html

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