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h2>(1)加藤紘一さんの出版記念会で挨拶した
加藤紘一『テロルの真犯人』(講談社)
僕が〈真犯人〉かもしれない。それに、このテロルで〈利益〉をえたのは僕かもしれない。「申しわけありません」と加藤紘一さん(衆議院議員)に謝った。「いや,そんなことはありませんよ」と加藤さんは言ってくれたが…。
2月8日(木)、午前11時から加藤紘一さんの出版記念会があって、僕も挨拶をした。ホテルニューオータニだ。本の題名は『テロルの真犯人』(講談社)。ドキッとする題名だ。去年の8月15日に鶴岡の実家・事務所が右翼の人に放火され全焼した。その事件について書いている。
もっとも、事件があって急遽、本を書いたのではない。事件前から、講談社から頼まれて自らの政治姿勢について書いていた。ほとんど出来上がったときに例の事件があった。それで、この事件についても書いた。又、タイトルも変更した。
「このタイトルはちょっと抵抗があったのですが…」と加藤さん。講談社の人がつけたのだろう。新聞に出ていたが、沢木耕太郎さんの『テロルの決算』をイメージしてつけたという。1960年に山口二矢が浅沼社会党委員長を刺殺した事件について書いた本だ。ということは、単なる「テロ憎し」の本ではない。ということだ。
講談社の人に聞いた。このタイトルは誰が考えたんですか、と。「小沢一郎だよ」と言う。エッ、民主党の党首が! と驚いた。と思ったら、出版局に同姓同名の人がいたのだ。その人に聞いたら、「いや私でなく○○さんです」と教えてくれた。「○○さん」が鳩山さんだったか菅さんだったか忘れた(そんな偶然はないか)。その人が、かつて沢木さんの担当だったので、このタイトルを考えついたという。
さて、加藤さんの『テロルの真犯人』だ。僕は加藤さんからサイン入りの本をもらった。
しかし、その前に、待ち切れずに、出た当日に本屋で買って読んだ。実にいい本だ。ビックリしたが、犯人への怒り、憎しみがない。むしろ、時代の雰囲気、マスコミに煽られ、追いつめられてテロルをやった犯人への同情すら感じられる。加藤さんは何と度量の広い人かと思った。
僕は4年前、アパートに火を付けられた。洗濯機とドア、それに入り口を燃やされた。加藤さんの放火とは比べものにならない小さな放火だ。しかし、あの時はパニックになった。又、犯人への怒り、憎しみは激しく、カーッとなり、我を忘れた。今でも、見つけたら殺してやりたいほどだ。もしあの日、現場で見つけたら自分は何をしたか分からない。怒りにかられて殺したかもしれない。普段は眠っているが凶暴な狼の血がある。自分でも怖い。とても加藤さんのように、「犯人への憎しみはありません」などと言えない。
加藤さんは、むしろ犯人は、かわいそうだ、という。65才の老テロリストだ。放火は罪が重い。15年か20年。あるいは無期の判決になるかもしれない。そういうことへの同情もあるのだろう。
むしろ犯人も時代の犠牲者かもしれない。右傾化、保守化の中で、右翼は取り残されている。俺達は命をかけてやらなければと焦る。又、そうするようにマスコミも煽り、追いつめる。そういう風に追いつめた〈真犯人〉について加藤さんは書いている。ぜひ読んでほしい。
加藤さんは被害者だ。だから、犯人への怒り、憎悪だけを書いてもいい。しかし、それはない。さらに、「地元の人に迷惑をかけた」と謝っている。「たまたま加藤紘一という政治家の事務所があったために地元の人々に怖い思いをさせてしまった。申しわけない」と言う。そこまで謝ることはないと思うのに…。
「でも、あの事件以来、地元の人が皆、あたたかく声をかけ、励ましてくれるようになったんです」と言う。又、これでメゲずに、毅然として発言を続けている。「その姿勢は立派だ」と右翼の中でも評価する人もいる。政治家としてグンと大きくなった。そんな気がする。放火されたことにより、存在感が増した。
鶴岡での「言論の自由を考える!」集会(06年10月27日)
僕は、この事件について、「放火はいけない」「言論には言論で闘うべきだ」とコメントした。当たり前のことだろう。それなのに右翼の人からは総スカンをくった。非難された。当然のことを言うのに「勇気」がいる。奇妙な話だ。
「山形新聞」に取材された記事を見て加藤さんは、「鈴木さんこそ本当の国士だ」と言ってくれた。僕なんて、とても国士じゃないが、でも、嬉しかった。それから、加藤さんとの縁が生まれた。鶴岡でのシンポジウムでも一緒に話した。朝日ニュースターにも出た。そして、今回の出版記念会でも挨拶した。又、放火事件について、佐高信、宮崎学さんらと雑誌で対談した。
だから、ちょっと疚しい気もする。この事件で一番〈利益〉を得ているのは僕かもしれない。推理小説では、「一番利益を得たものが真犯人だ」となってる。だから僕が〈真犯人〉かもしれない。
右翼の人からも批判されている。「自分は何もしてないくせに、命をかけた人間を批判しているだけだ」と。確かにそれも言えるな、と思う。ただし、命をかけた人をけなしてはいない。同情している。実行者は「65才で、組織からは疎外されてた。存在意義を示すためにやった」と新聞に出ていた。「うん、俺と同じじゃないか」と思った。僕も同じことをやらなくちゃいけないのか。とも思ったりして、我が身のように思う。
でも、彼だって、〈言葉〉を訴えようとして放火した。放火が目的ではない。だったら、事件に訴えなくても〈言葉〉が伝わる方法を考えたらいい。「言論の場」を作ったらいい。それを僕はやってるつもりだ。
「言論・暴力・ナショナリズム」のシンポジウム(06年12月9日)
この事件の後、いろんな人と話をした。その中で、教えられることも多かった。「創」で佐高信さんと対談した時、佐高さんが言っていた。「加藤さんのお父さんは石原莞爾の又いとこだよ。だから、紘一という名前は八紘一宇からとったんだよ」と。
「八紘一宇に火をつけちゃまずいじゃないですか」と僕は言っちゃった。又、中央大学駿河台記念館でシンポジウム「言論・暴力・ナショナリズム」をやった時、半藤一利さん(評論家)が、こんなことを言っていた。戦争前だって、急に時代の空気が変わったわけじゃない。いろんな条件があって段階的に変わっていったと。それが今と似てるという。
一番大きいのが〈言葉〉だという。威勢のいい言葉が飛びかい、空疎な「過激な言葉」が前面に出てくる。又、すぐに他人を「不敬!」「非国民!」「売国奴!」と罵る。
なるほど、これは言えると思った。小泉さんをちょっと批判したら、「売国奴!」といって放火される。たまらない。「愛国運動40年」の私ですら、「非国民!」「売国奴!」と批判される。やってらんないよ、と思う。
半藤さんは面白いことを言っていた。戦前、文部大臣が、「パパ、ママという言葉を使うのは非国民だ。やめろ!」と訓告した。昭和9年、斎藤内閣の時の松田源治文部大臣だ。こんな敵国の言葉を使っちゃいけんというわけだ。野球だって、ストライク、ボールなどを日本語にさせられた。「いい球」「悪い球」とか言って。六大学野球も中止させられた。「いや、これは手榴弾を投げるのに役だつ。見て下さい」といって軍人を招いてピッチャーが手榴弾を投げてみせた。そんな涙ぐましい「努力」をしたが、ダメだったんだ。
シンポジウムが終わって、半藤さんに私は言いました。「パパ、ママなんて、今じゃ皇室でも使ってますよ」と。皇室が非国民なのかな。半藤さんも笑っていました。
さらに話は変わる。戦前だけでない、そのずっと前。大正時代だって、こんな「非国民論争」があったんじゃ。大正13年初めの「髪型」をめぐっての論争だ。当時、流行した髪型に「耳隠し」というのがあった。今は皆、耳隠しだが、昔の大和撫子(なでしこ)は、キチンと耳を出していたのだろう。髪で耳を隠しちゃいけん。すっきりと出せということだ。それが大和心なのか。(だから乳だって隠してはいない。「乳隠し」「乳バンド」「ブラジャー」が出来たのはかなり後だ。もっとも当時は着物をきてたから、乳バンドをしようがしまいが変わらなかったけど)。
話を戻す。大正13年初め、「『耳隠しの女』に告ぐ」という檄文が出された。愛国心の至情にあふれる檄文だ。
〈汝の髪は米国の女乞食の髪に彷彿たり、汝に一片の愛国心があり且つ国家危急の時を知らば直ちに髪を結い直すべし〉
凄いね。アメリカの乞食(こじき)の髪だという。じゃ、現代の女たちは全員、「アメリカ乞食」だよ。ともかく、大正13年に、こんなビラが東京丸ビル周辺にばら撒かれたんだ。いわゆる「耳隠し騒動」が始まる。それも、東京だけでなく、全国で論争が巻き起こる。地方の新聞にも人々が投書し、全国的な「朝生」現象だ。私が加藤さん放火についてコメントした「山形新聞」も例外ではない。大正11年7月4日(ということは、東京でビラが撒かれる2年前だ。山形の方が、〈流行〉が早かったのか)。「山形新聞」には、こんな投書が載った。
〈いやにカミを引っぱって耳をふくらませた形。そして妙に上半身と顔を振りつつ歩く。あのスタイルで教育者かと一言いいたくなる。スタイルから推してその精神を知るべしである〉
「耳をふくらませた」とあるが、別にダンボのように本当に大きな耳にしたわけじゃない。(それなら面白いが)。耳の辺の髪をふくらませたのだろう。学校の女先生もハイカラだから、やったんだろう。そして顔と身体をクネクネ動かして歩く。いやらしい、コケティッシュだ。アメリカかぶれめ!と批判されたんだろう。
「北国新聞」(大正13年6月25日)には同じような「憂国の投書」が載っている。
〈耳隠しの女へ。君はわが国民たるか。日本には古来より純日本式女子特有の髪型があるを知らざるか。口ばかり達者でなく、母らしく忠君愛国心を磨くべし〉
203高地まげ
髪型にも「忠君愛国」があるのかよ。そうだ。日露戦争の時には「203高地まげ」という髪型が流行ったそうな。乃木大将が攻めた激戦地だよ。「私だって難攻不落よ」という意味だったのかな。それとも、ひたすら「忠君愛国」の情を表わしただけかな。あるいは、上に突き出したマゲが大砲に似てたからかな。
さて、「耳隠し」だ。今なら女性は皆、「耳隠し」だ。皇族の方々もそうだ。愛子さまもそうだ。皆、「非国民」なのか。「忠君愛国心」がないのか。
ただ、当時の騒動で一つ救いがあるのは、「反論」も堂々となされていることだ。「耳隠しで何故わるい」「そんなことで愛国心をいうな!」という投書もかなり載った。〈言論の自由〉があったのだ。その点、今の「愛国心論争」の方が不自由だ。「愛国心論争」の方が不自由だ。「愛国心を持つのは当然だ!」で、終わりだ。「愛国心なんていらない」なんて言えない。皆、口をつぐんでいる。だらしがない。「大正デモクラシー」に負けてるよ、今の言論は。
さて、反論ですが、「北国新聞」(大正13年6月21の投書だ。これには、ウッと唸りましたね。
〈耳隠しが亡国的というのなら私たちにも言い分があります。男は米人が着ている洋服を脱ぎ捨て和服と着替えよ。オールバックや横髪は全て断髪せよ。耳隠しを絶滅させよと呼ばわる方が果たしてこの要求を実行なさいましょうか〉
これじゃ男はグーの音も出んやろう。ついでに、「チョンマゲに戻れ!」と言ったらいい。これこそが大和男子の伝統的なヘアースタイルじゃないか。そうだ。忠君愛国的なヘアーヌードというのもあるのかな。沢口ともみさんや風見愛さんのストリップはそうなのかな。
続いて「東京日日新聞」(大正13年6月13日)の投書だ。これも実に論理的な反論だ。大正の女性は賢い。と思ったわさ。
〈私たちの耳隠しが亡国の兆しだと、むきになって怒る方があります。日本って私たちの髪の結い方で興亡するような国でしょうか。愛国をご自分の専有と思うことは止してください。愛国の名の下に無知な一人よがりを強うることが排米なら日本の前途は暗いと思います。自分たちのみ悲壮がる男子をどうやって信用出来るでしょうか。真実の前に耳隠しをする男子たちこそ、亡国の兆しを醸するのではないでしょうか〉
すごい、すごい。今だって、これだけ堂々と論陣を張れる人はいないよ。「朝生」に出ている論者たちよりも立派だよ。それに、男子こそ、真実の前に耳をおおって聞こうとしない。見ようとしない。これは、卓見です。愛国心を言ってる人間こそ信用できないと、言ってます。大正版「愛国者は信用できるか」ですね。ぜひお会いしたいですね。でも、もう亡くなっているか。
こう見てくると、人間なんて何も進歩してないんだよね。むしろ〈退歩〉してるかもしれん。
そうそう。この「耳隠し論争」は清永孝の『裁かれる大正の女たち』(中公新書)に出てたんですよ。「〈風俗潰乱〉という名の弾圧」とサブタイトルがついている。他にも、いっぱい事件が紹介されていて興味深い。読んでみなせえ。
大正13年をピークに、「耳隠し論争」は全国で起こった。しかし、大正14年には、警視庁が「うす物姿の取締り」に乗り出した。「耳隠し」で大正女性に論破されたんで、今度は「うす着物姿」で復讐したのかしらん。続いて清永はこう結んでおります。
〈…耳隠しの事件からわずか20年後、昭和18年秋の東京に見られた、いかにも戦時下らしい風景もその一つの表れだろう。銀座を通る長袖の着物姿の女性たちに、道端で待ち構えた人たちから一枚の紙切れが手渡されたのだ。
「決戦です! すぐ、お袖をきって下さい!」というメッセージだ。この様子を伝えるグラビア(「アサヒグラフ」昭和18年9月22日号)の見出しは、「心の長袖を切りましょう」となっている〉
贅沢は敵なんですね。長袖は非国民です。必要もないのに長くたらした袖はいかんのです。必要もないのにふくらませた巨乳も非国民です。大きな人は恥じて、サラシを巻き、しめつけていたのです。だから、ペチャパイの人は皆、愛国者です。今でもそうです。「ほしがりません。勝つまでは!」。終わりです。