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「日本の警察」 西尾漠(著)より引用です
陰の組織・公安
もっとも陰に隠れているのが公安部。政治団体はもとより、あらゆる労働組合や大衆団体の活動を監視し、共産主義国の「スパイ」を摘発するのがしごととされる。公安総務課は公安部全体の事務をつかさどるほか、内乱罪や騒乱罪などにかかわる事件が担当。
事実上は日本共産党の監視である、といわれるが、東アジア武装戦線事件でヴェールがはがされた公安秘密部隊が、総務課に置かれていたことからすれぱ、必ずしもそれだけではなさそうだ。公安一課は新左翼、学生、二課は労働運動、大衆運動、「文化人」、三課は右翼を受けもっている(自衛隊のクーデターを監視する「自衛隊係」というのもあるという)。四課は統計・資料が受けもちで、アパート住民をしらみつぶしに調べあげるアパート・ローラー作戦はこの課の管轄だ。「日本のCIA」ともいわれる外事警察は、外事一課がソ連、東欧、二課が中国、北朝鮮を主として担当する。
警察の階級制度は軍隊より厳しい
厳しい規律と監視によって、「事故」(警察用語では、犯罪や交通事敬の加害・被害も拳銃暴発も異性関係のトラブルも、総称して「事故」と呼ぶ)の予防がなされるというのが警察幹部の考えだが、実は、逆ではないのか。それこそが警官犯罪の温床というマスコミの観察のほうが、やはりリアリティがあるだろう。
四六時中胸をしめつけられるような抑圧下に置かれていることからすれば、そしてしかも、それを抑圧とも不合理とも感じないように、非人間化する教育が行なわれていることからすれば、犯罪を犯してしまうことこそ・ある意味で「人間的」とすらいえるのかもしれない。一方で、警察官の非行に目を光らせている幹部たちが、有力者の圧力で交通違反のモミ消しなどを指示してくるのだから、マジメにやる気をなくすのも無理はないと思う。
しかし、警官犯罪の原因を、ただその点だけに求めるわけにもいかないだろう。もうひとつの要素として、階級制度を挙げることができる。自衛隊に出向いたある警察幹部は、「階級の間がはなれすぎていること警察は軍隊以上だ」と、あらためて驚いたという。
「この階級制度の人間関係の中で、いかに傷つき、ゆがみ、卑屈になっていくかは、その中に生きたものでなけれぱわからない」と、ある”万年巡査”は書きのこした。将来の不安もある。高級官僚ならそれなりの天下り先もあるが、一般の警察官には、再就職の道もひらけているとはいえない。交通安全協会や警備会社、興信所などに勤められれば運のよいほう(刑事生活が長いほど、権カをバックに捜査する体質が身についてしまうので探偵には不向き。
退職刑事は雇わないのが興信所の原則だという)とあっては、総会屋やサラ金、あるいはゲーム機会社といった暴カ団関係の企業や右翼団体など、在職中からコネのつけやすい取り締まり対象を、再就職先として癒着していくのも無理からぬことといえよう。暴カ団関係の企業に天下った元警察官の数は、すでに1万人に近いそうだ。そうした”適応”すらできなかった元警察官のなかには、日雇い労働でその目を暮らす者も多く、そのため、いわゆる”山谷暴動”などでの警備出動は気がすすまない、と漏らす現役警察官もいる。
不満はうっ積し、陰にこもって
外勤から早く抜け出したいと多くの者は考えている。外勤を素通りした高級官僚たちとの摩擦はたとえがたいものだという。
拳銃窃盗・郵便局強盗未遂事件で服役・仮出所した京都府警西陣署のH元巡査部長の犯行動機は、内勤の通信司令室から派出所へ配転された不満からといわれた。H元巡査部長は被疑事実そのものを否認、デッチあげであると主張しており、真意のほどは明らかでないものの、内勤から外勤への配転が犯罪の動機たり得ると、警察では考えているということだ。
刑事になれないことを悲観した外勤巡査が拳銃自殺するという例も何度かあった。ちなみに警察官の自殺は、83年の1年間で19件、うち銃殺自殺は5件である。
外勤よりはるかに満足度の高い捜査官にしたところで、刑事畑をコツコツ歩いていれぱ、公安組から「ドロ刑(ドロボウ刑事)」と蔑称される。いくら泥棒をつかまえても、天下国家にたいした影響はない」というわけだ。歴代の警察庁長官のうち、刑事局長出身者はただ1人しかいない。
不満はうっ積し、陰にこもっている。天皇那須用邸での皇宮警察の警備隊幹部の賭けマージャンも、皇宮巡査の”内部告発”によって明るみに出された。告発のハガキは「緊張して勤務しているのは現場だけ。幹部は夜中も勤務している隊員をシリ目に賭けマージャン(20万円近くも動く)をして、栃木県警の人もあきれている」と怒りをぶつけている。78年2月、赤坂の高級料亭に人りびたっていた村上健警視庁刑事部長が芸者のマンションで病死したのを、警視庁は、公務多忙ゆえの自宅での公務死といつわり、公葬にして勲章まで与えた。これを告発する「下級警察官の怒りの声」の投書が日本共産党の機関紙『赤旗』に寄せられたという。
交通機動隊長が「暴走族の動向を視察してくる」と公用車で女性の家にしばしぱ出かけていた件でも、隊員が尾行して調べ、告発の投書をしている。不信はそこまで成長しているのだ。警察官は、警察学校入学の時点で一般行政職員の3年半先の棒給を受け、卒業時にはそれが4年半先となる好待遇とはいえ、その代償はあまりに大きい、といわなければならない。それというのも、真実世のため人のためを思ってつくそうとする、一人ひとりの警察官の善意が、その本意に反して、権カの走狗として支配階級に奉仕してしまう構造があり、みずからの立脚点を見失わせるところにつねに追いやられているからだろう。資本主義社会のもとでのあらゆる労働が逃れられない疎外よりも、さらに一段とその感は強い。
調書の捏造のように直接の職権上の犯罪行為も、いくつか明るみに出た。もはや個々の警察官の、必然的にして偶発的な犯罪とは趣を異にし、警察機構そのものが抱え込む犯罪としての冤罪やフレームアップ(意図的に仕組まれた冤罪)に、切れ目無しにつながっていくものといえるだろう。みずから、それを不合理と感じさせない非人間化の、それは教育の成果なのだろうか。
その同情的余地はあるにせよ、しかし実は、警察機構そのものが確信犯的な犯罪組織であり、まさに警察こそが法を破っていることを、指摘せざるを得ない。
ここでも、後に述べるように、同情すべき点がないわけではないが、個々の警察官の犯罪と違って、犯罪として摘発されることなく、時としてはかえって賞揚されたり実情からは、厳しい批判の目が必要だろう。
(つづく)
次回は冤罪・裁判所に迫ります。