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右派含めすべての方に訴えたい:単一のイデオロギーを押し付ける教育改革及び改憲は、国を退廃させる
教育基本法が「改正」され、先日、施行されました。
安倍首相は、臨時国会閉会後に開いた記者会見で、五年以内に憲法を改正したいと再び明言しました。
安倍政権が推し進めようとしている教育改革及び改憲。
この二つは、政治権力を持つ者にとって都合のいいイデオロギーを国民全員に強要し、他のイデオロギーの存在を認めないという点において共通しています。
新教育基本法は、2条において、「教育の目標」として「国を愛する態度」を含めいくつもの態度を養うよう規定しています。
そして、6条において、「学校においては、教育の目標が達成されるよう、教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な教育が組織的に行われなければならない」とあり、
この「態度」養成というものが、体系的、組織的に行われなければならないとしています。
態度とはすなわち表に現われる行動です。
人がとるべき行動を、国が、国の価値観、イデオロギーに基づいて決め、強制しようというのがこの新教育基本法なのです。
しかも、この新基本法は、
「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」(10条:家庭教育)、
「学校、家庭および地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携および協力に努めるものとすること。」(13条:学校、家庭および地域住民などの相互の連携協力)
としており、子供や教師のみならず、国民全員を対象としています。
つまり、国民全員を、国家にとって都合のいいある特定の一つのイデオロギーに洗脳しようという、国民洗脳法なのです。
安倍首相が憲法「改正」において用いるとしている自民党提出の新憲法草案も、同様の方向性を持つものです。
思想、良心、表現の自由等、現行の憲法において保障されているものをそのまま残してはいますが、
12条に「自由及び権利には責任及び義務が伴う」という文言を付け加えたこと、
そして、随所で、これまでの「公共の福祉に反しない限り」(自由及び権利が保障される)という文言の代わりに「公益及び公の秩序に反しない限り」という文言を用いることによって、
国のイデオロギーに反する意見を持つ者の自由及び権利を奪おうとしています。
自分たちの言いなりになってくれる国民を作れるということで喜んでいるであろう政府だけでなく、右派の人の中にも、この国家主義的イデオロギーを国民全員が持たされることになることに賛成の人もいるだろうとは思います。
しかし、愛国心ということをとかく声高におっしゃる右派の方たちに問いたいのは、画一のイデオロギーをもった一億の集団、それも、国家にとって都合のいいイデオロギーを持った一億の集団をつくったところで、日本は愛せるような国に発展していくのかどうかということです。
画一のイデオロギーを国民全員に信奉させることがファシズムであることは言うに及びませんが、そのようなロボット国民を作っても、よい国にはなりません。一つの意見に染め上げられた集団は発展し得ないでしょう。多様な意見が闘わせられて初めて意見は磨き上げられていくからです。
また、過去に、国家主義イデオロギーが第二次世界大戦という大量殺戮を招き、かつ、支えたということは、周知の事実です。
イラク戦争にしても、アメリカは、愛国法を作るなどして、殺戮をやめるよう訴えた人たちを非国民とみなし、弾圧しています。殺戮が是とされる社会になっているのです。アメリカは物理的には荒廃せずにいるかもしれませんが、精神的には間違いなく荒廃しているのです。
日本についても、仮に今後の戦争において日本の領土が戦禍に見舞われることがないとしても、つまり物理的に荒廃することがないとしても、どこか他国を精神的・物理的に荒廃させ、他国及び日本の人々を殺戮することになるのは疑いようのないことです。
その上、国家主義が唯一絶対のイデオロギーとされる社会においては、国が行っている戦争に反対することは許されません。殺人行為を非難することが許されないのです。そんな社会においては人々の心は退廃していくでしょう。今現在ですら、反戦ビラを投函した者が罰金刑を受けた事件(http://www.geocities.jp/sacchan_mangostin/infomation/dannatu.html参)や、反戦とトイレに落書きしたことで逮捕され、懲役1年2月・執行猶予3年の判決を受け、しかも、最高裁が控訴を棄却したというような事件が起きているのです(http://a.sanpal.co.jp/graffiti417/jp/about.html参)。国家主義イデオロギーが国全体を覆うようになれば、平和を訴える者、殺戮反対を訴える者に対する弾圧はさらに徹底されていくことになるでしょう。
また、戦争をすることによって日本は他国に(また、戦争で死んだ日本人の遺族により)恨まれ、嫌われることになります。例えば、イラクに自衛隊を派遣したことにより、日本人は既にイラク人の一部から嫌われています。日本人の人質事件が起きたこともそれを証明しています。
画一のイデオロギーを国民全員が強制されるということは、異なったイデオロギーを持ちたい者にとって悲劇であることは言うまでもないですが、そのイデオロギーに心から与した者も、悲劇に導くことがあるのです。
特に今回の新教育基本法が国民に強制しようとしている国家主義の場合は、国家の好きな戦争(真っ先に戦場に送られる立場にある庶民はまず戦争を好まない)に親和的であることが、先の大戦で証明済みなのです。
全ての方々、特に右派の方々に問いたい。
違うイデオロギーを持つ者が精神的・肉体的に鬱屈した状態に追い込まれる国、また、戦争によって人々の精神が荒廃し、他国に嫌われる国。 そういう国にしたくないと思われるのなら、画一のイデオロギーの国民への強制をやめて多様な価値観の存在を認めるよう、イデオロギーの対立を超え、皆で力を合わせて政府に対し訴えかけていこうではありませんか。
そういう国に日本がなってしまってもよいのでしょうか。
日本をそんな恥ずかしい国にしてしまってもいいのでしょうか。
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≪付録≫
「教育は、不当な支配に服することなく、この法律および他の法律の定めるところにより行われるべきものであり」(16条:教育行政)
という規定は、この、国がすべてを決定し、反対する者を認めないという方向を決定づけるものとなっています。
しかも自民党はそれを公言しています↓
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教育基本法改正Q&A〜教育基本法改正に向けた主な論点〜(平成18年6月 自由民主党)(http://www.jimin.jp/jimin/seisaku/2006/kyouiku/qa_index.html)
「不当な支配に服することなく」という規定が残ったのは何故ですか。
1. 「不当な支配に服することなく」とは、教育が一部の勢力に不当に介入されることを排し、教育の中立性、不偏不党性を求める趣旨です。
しかしながら、この規定は、現行法の「教育は、・・・国民に直接に責任を負って行われるべきものである」や「教育行政は、・・・必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」との規定ともあいまって、一部の教職員団体等により、教師のみが教育権を持ち、国や教育委員会は教育内容や方法に関われないという誤った主張がなされてきました。このような考えから教育委員会や校長等による指示、指導を認めない根拠となってきました。
2. また、一部の教職員団体等によるこのような誤った考えに基づいて、入学式や卒業式等での国旗掲揚や国歌斉唱に対する反対がされてきました。
3. このため、これらの規定を整理し、「不当な支配」以外の規定は削除し、「教育は、不当な支配に服することなく、法律の定めるところにより行なわれるべき」ことと規定し、法律に従って行なわれる教育行政、教育委員会や校長等の行為が「不当な支配」に当たらないことを明確にしました。
4. このような改正によって、校長の権限を侵すなど教職員団体などの一部勢力による、法律に反する「不当な支配」のための従来のような主張の余地がなくなり、指導内容・方法に関することを含め、適正な教育行政の実施が確保されることになります。
(参考)教育行政に係る法案と現行法の規定
法案第16条第1項
教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国及び地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。
現行教育基本法第10条第1項
教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接責任を負って行われるべきものである。
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