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(回答先: テスト 投稿者 heart 日時 2006 年 11 月 26 日 01:33:10)
宗教色、軍事色を隠して国民を欺き、勢力を伸ばし続ける、安倍も加入?の日本最大の右翼組織:日本会議
http://www.h2.dion.ne.jp/~kyokasho/0_conb07.htm#shukyouより一部抜粋・転載。
(略)
■教基法改悪運動の真の組織者
以上は、1月26日の当日、会場で配布された資料から直接に判明する事実だが、そこから分からないある重大な事実が、この集会には隠されている。それは、真の組織者についてである。
それは、先に述べたように、「つくる会」の副会長である高橋史朗ではないか、と言われるかもしれない。だが、矛盾して受け取られるかもしれないが、「つくる会」は教科書問題を専門とする運動体であり、教育基本法に関わるとなると、さらに広範な教育分野全般において人物を組織する必要がある。「日本の教育改革を進める会」を結成した際、「日本の高等教育を考える会」とともに活動しなければならなかった必然性はそこにあった。さらに今回のように大かがりな組織であればなおさらのことである。多数の著名人に連絡をとって役員就任を申し入れ、承諾を取り、また当日1200人以上の参加者も集めねばならない。財政をどうするか、という問題も当然起こる(当日の入場料は無料であった)。明星大学に置かれた狭い研究室とわずかのスタッフだけで、これだけの組織を立ち上げることは、とうてい不可能に思える。
また、「つくる会」の主要メンバーの一人である副会長・藤岡信勝が名前を連ねていないことが象徴しているように、もう一人の副会長である種子島経(元BMW東京且ミ長)、理事である伊藤隆・九里幾久雄・中島修三・宮崎正治なども、代表委員はおろか、協力委員にさえ顔を出していない。もちろん、他団体とのバランスから、自ら控えたということも考えられるが、ならば集会での発言者をもっと非「つくる会」に譲るような配慮もありそうなものだが、そうした姿勢は見られない。つまり、ここには、「つくる会」が大きく力を傾注しているとはいえ、現在、教科書問題にも力を裂かねばならない状況があって、いまだ総力を挙げたものでない、あるいは挙げることのできない事情があることも示されている。とすると、いったいどのようにして26日の集会は可能になったのだろうか?
結論から述べるならば、私の確認し得たところによると、裏の事務局は「日本会議」が仕切り、役員の選定はすべて同会議の専従職員が交渉し、当日の聴衆には関東の宗教団体を組織動員したというのである。「日本会議」とは、最近かなり知られ始めているが、会長は三好達(前最高裁長官で、愛媛玉串訴訟の最高裁判決の際、合憲の少数意見を主張した)、全国9ブロック47都道府県になんらかの組織をもつ日本最大の右派組織である。2002年9月以来、「10万人ネットワーク」(設立5周年事業リーフレット)を目指して活動を続けている。また、これに協力する「日本会議国会議員懇談会」(現在242人、会長・麻生太郎衆議院議員)を持ち、国会と地方議会に強い影響力がある。1997年、「日本を守る国民会議」(運営委員長・黛敏郎)と「日本を守る会」が組織統合して結成されたもので、機関誌『日本の息吹』を毎月発行してきた。
背後にある日本会議という組織
この日本会議が、26日の集会を陰で取り仕切ったことを証明する状況証拠を、とりあえず以下に列挙してみよう。
1、 日本会議は、現在、
@憲法改正
A教育基本法改正
B靖国公式参拝の定着
C夫婦別姓法案反対
Cより良い教科書を子供たちに
D日本会議の主張の発信
、の5大スローガンを掲げて活動しているが、教基法改悪は第二番目であり直近の課題でもある。
2、 26日の集会への参加は、『日本の息吹』1月号を通じて、またチラシを同誌に添付し、同会議が公式に広く呼びかけてきた。
3、 昨年11月に開かれた日本会議設立5周年記念大会に、全国から2000人を集めたが、そこに西澤潤一を招き、特別挨拶をさせ、民間教育臨調への理解を求めている。
4、 26日の集会の翌日には、日本会議のホームページに民間教育臨調の設立をトップ記事として掲載し、「本会の協力により『「日本の教育改革」有識者懇談会』(民間教育臨調)が設立されました」と解説している。
5、 『日本の息吹』本年2月号にも、「本会が中心となって『「日本の教育改革」有識者懇談会』(民間教育臨調)が発足(1月26日…次号にて紹介予定)しました」と明記している。
6、 表1と表3の役員名簿のうち▼印を付したメンバーは、同時に日本会議の中央の役員(顧問・会長・副会長・代表委員・理事長)も兼ねているが、とくに民間教育臨調の副会長は5人のうち4人までを日本会議の役員が占め、同会に大きな影響力をもつ体制が作られている。
7、 26日の聴衆のうち女性は全体の約3割りを占めていたが、その半数ないしそれ以上が、異様な髪形をした女性たちであったことが複数の参加者から報告されている(教科書情報資料センターのHP)。彼女たちは日本会議の有力な構成団体であるキリストの幕屋と呼ばれる宗教団体のメンバーであることが、その容姿から確認できる。
ところが、日本会議を真の組織者と考えると、奇妙なこともある。表4に日本会議(中央)の役員名簿を載せておいたが、三好会長をはじめとして理事長・事務総長など同会議を代表するメンバーが民間教育臨調に1人も加わっていないのである。もし日本会議が設立を実質的に推進していたとしたら、彼らが加わってもよさそうである。
この疑問を解く鍵は、表4そのものの分析から与えられる。日本会議の役員77人のうち、民間教育臨調に名を連ねている者は30人(通し番号 2、14、15、16、18、19、21、22、23、27、28、30、35、36、37、39、44、46、47、49、54、56、59、62、 63、65、66、70、73、74=39%)にも達する。いっぽう、名前を加えていない47人のうち25人( 4、 5、 6、 7、 9、10、11、12、17、25、26、31、32、33、41、43、51、53、55、61、67、71、72、75、76=全体の32%)は宗教団体役員であり、4人が軍恩連盟・日本遺族会・日本郷友連盟・英霊にこたえる会など旧軍・自衛隊関係団体の役員(29、34、60、71=5%)、そして会長・事務総長の2人(13、77=3%)である。これらいずれにも属さない者は、わずか16人(21%)にすぎない。
日本会議の四割近い(39%)役員を民間教育臨調に送り込みながら、明らかにそれと分かる会長・事務総長、および3分の1以上を占める宗教団体および旧軍関係者等を表に出さない工夫と努力がなされているのである。
つまり、日本会議は、自らの姿を隠そうとしているのであり、そのことは、上の7で、同会議の構成員であるキリストの幕屋の女性たちが大量参加したことを指摘したが、この事実のうちに明白に表れているように思う。当日の集会参加者のうち、女性(全体参加者の約3割)の半分ないしそれ以上という数字は、185人前後ということである。男性の信者には髪形などの特徴がないため見分けられないが、この団体は男性の方が女性の人数を上回っていることから200人前後とすると、合計400人以上の参加があったことになる。これは、1200人余のうち3分の1を意味する。
約3分の1を動員をした団体の関係者が、民間教育臨調の役員に1人も名前を出していないことは異様であろう。むしろこの事態にこそ、宗教団体を注意深く隠そうとする統率と自制を見るべきである。そのことは、表3の末尾に(財)モラロジー研究所理事長・廣池幹堂と(社)倫理研究所理事長・丸山敏秋が載っていることからも、間接的に立証される。すなわち、この2団体は、宗教の影響を受けながらも宗教法人の形をとっておらず、財団法人や社団法人の形態をとる修養団体として、自ら宗教団体でないことを強調してきた経緯がある。後者は、「朝の集い」(朝起き会)の実践などで知られており、表4にあるように日本会議の構成員でもある(47、51)。そうした事情からみて、彼らなら役員に名前を加えても、宗教団体でない、と言い訳がたつ。細心の注意を払って宗教団体を隠し通そうとしているのである。
では、なぜ日本会議の名前を表面から消すとともに、宗教者や旧軍・自衛隊関係者だけは隠す必要があったのだろうか。考えられる第一の理由は、教育基本法を改悪する意図を隠すためであろう。教基法の改悪は、平和憲法の改悪の前段として計画されているが、改憲を正面から打ち出さず、子供たちの荒廃などを理由に教基法改正の必要性を説く方法をとってきた。今、旧軍関係者を表面に立てるならば、世論の激しい抵抗が起こるという判断があると思われる。
第二に、宗教者を出さない理由として、彼らは宗教教育の必要性を教基法改悪に盛り込むよう「6つの提言」などで訴えてきた(第3「宗教的情操の涵養と道徳教育の教化」)。ところが、中教審の中間報告で、この条項の改悪は全く進んでいない。26日のシンポジウムでも、この点の遅れが強く指摘された。こうした状況にあって、宗教教育の必要性を推進しているのがほかならぬ宗教団体であることが明らかになれば、決定的に不利になるという判断があると推測される。
さらに、与党として創価学会・公明党が教基法改悪に強く反対を続けていることが彼らの前に立ちはだかっている。日本会議に結集している宗教のほとんどが、反創価学会・反公明党活動の経歴を持っている。これらの団体が公然と姿を現すことは、法案の制定・審議にとって学会等からの反発を生み、マイナス要因を背負い込むと考えているのであろう。
第三に、日本会議をよく知る者にとって、この団体がいっぽうで、かつての「日本を守る会」という宗教組織から構成されていることを意識せざるをえないからであろう。つまり、日本会議とは、すでに述べたように、1997年に「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」が合体して結成されたのだが、「国民会議」は、なんといっても右翼文化人を中心としつつ旧軍関係者とも共闘する組織であった。ところが「守る会」の方は、神社本庁・生長の家・仏所護念会・念法真教・モラロジーなど宗教・修養団体が中心となり、そこに曹洞宗管長・日蓮宗管長なども名前を連ねる宗教関係者中心の団体であった。
日本会議の結成は、文化人中心の「国民会議」(実際には右翼的政治団体もいた)が、献身的で巨大な財政力・組織力・動員力を持つ宗教団体連合の「守る会」と合体することにより、国民動員的な巨大組織を目指したものであった。その結果、彼らはこれまで夫婦別姓反対や在日の選挙権反対などで大きな成果を挙げてきた(いずれの法案も提出されたが棚ざらしになっている)し、首相の靖国公式参拝にも力を入れてきた。そして「つくる会」と積極的に協力し、地方におけるその実働部隊となってきた。ただし、教基法改悪に向けては、「新しい教育基本法を求める会」の結成に協力したものの、まだ部分的なものにとどまっていた。それが今回、全面的なかかわりへとシフトしたのである。
しかし、その姿が全面的に見え出すとき、日本会議といえば実働部隊は宗教団体であり、あるいは前身の「国民会議」は右翼や旧軍人団体と結びついた組織という見方が定着しており、閉鎖的で軍国主義的というイメージがつきまとうことになる。今回の役員構成は、そうした識者の目をくらまし、役員の中核部分に関係者を送り込みつつも、日本会議の中心人物は中に入らず、集会の動員にあたって宗教団体を動員していても、組織の性格を表すことになる役員には絶対就かせなかったのである。彼らは、教育臨調の多数の役員を含め、日本社会全体を欺こうとしているのである。
(略:表4 日本会議中央役員名簿(2002年5月))
■宗教右翼による活動の概観
では、1月26日の集会には、キリストの幕屋以外にどのような宗教団体の動員がなされたのだろうか。残念ながら、その実態は分からないよう厳重な工夫がなされていて、正確には不明である。ただ、表5などから、ある程度のことが推定できる。これは、中央につづく翌1998年に日本会議・大阪が結成された際の役員名簿である。
まず、運営委員長・事務局長・事務局次長は、5人のうち4人までを神社本庁の政治団体である神道政治連盟が担っており、事務局も大阪府神社庁に置かれている。そこにただ1人、日本青年協議会のメンバーが加わっているが、これは生長の家系の新右翼団体である。日本会議(中央)の役員(表4)に事務総長・椛島有三の名前があったが、彼が同協議会の代表でもある。生長の家は、かつてこの種の右翼運動に全力を挙げていたが、創始者・谷口雅春から二代目に移って方針が変わり、現在停止している。そのため、こうした活動は神奈川県の一部に限定されたり、青年協議会による活動へと移っている。ただし、彼らは日本会議を実質的に指導的する立場にある。右の丸山も現在は日本会議・大阪の事務局長となった。
さらに全体63人のうち、宗教者とすぐ判明する者だけで24人(38%)で、この比率は、表4でみた中央(修養団体等を加えて36%)の比率とほぼ同じであり、他の役員の性格も含め似通った構成となっている(大阪の欅会は、郷友連盟と同じ自衛隊OBによる組織である)。
日本会議・大阪は、設立大会を1998年6月、大阪の中之島中央公会堂で開いた。参加者によると、「ロビーには、国柱会、倫理研究所、子どもを守る親の会、神社本庁、IIC(霊友会)、仏所護念会、念法真教、崇教真光等の各種宗教団体の受け付け窓口があり、さながら、教派神道系の宗教団体総動員の感があり、会場は1400名余で超満員であった」(『戦後補償ニュース』第30号)とある。組織動員のため、このときは団体ごとの受付けを設けていたのである。ということは、これらの団体が大量動員していることを意味する。信者に若者がかなりいることも特徴である。一見して非宗教的に思える「子どもを守る親の会」も、地域ごとに複数の宗教団体から組織されているといわれるので、主要な動員はすべて宗教団体によって担われていることになる。
彼らはその後、目立つ団体受付方式をやめ、現在はチラシの一部分などに整理券を印刷し、そこに所属団体名を書かせて受け付けで提出する方法へと転換した。今年2月26日の集会も、その方式をとったため、彼らの正確な動きが分かりにくかった。
右の日本会議・大阪の設立大会の翌日には、同じ会場で「つくる会」のシンポジウムを開き、日本会議の役員である新樹会(右翼政治団体)の代表幹事・濱野晃吉が、「つくる会」大阪の会長(代行)となった。日本会議は、憲法改悪を最終目標としつつも多面的な課題に取り組み、いっぽう「つくる会」が一つの課題に専門的に取り組むという組織性格の差はありつつも、状況に応じて両者が一体化する構造が浮かび上がる。とくに「つくる会」の結成から一昨年の採択戦までは幅広く文化人が加わり、保守的市民層にある程度の支持を広げてきたが、小林よしのりが藤岡信勝に追われるようにして脱会したことなどにより、「つくる会」は現在、日本会議にいっそう頼らざるを得ない状況に陥っている。
そうした傾向は、昨年、愛媛において「つくる会」教科書を中高一貫高に採択させる運動にも見られた。たとえば、加戸守行知事は、昨年5月11日、「つくる会」歴史教科書の採択を「県政最大の課題」(愛媛新聞)と述べて姿勢を鮮明にし、現実に8月、県教育委員会に採択させたのだが、その発言がなされたのは、倫理法人会の東予ブロック設立式典のことであった。倫理法人会とは、倫理研究所の企業経営者を対象とする部門である。
愛媛県の「つくる会」の特色は、呼びかけ人や賛同人に中小企業主が比較的多く加わっている(呼びかけ人から議員を除いた39人のうち20人と、半数以上を占めている)ことだが、これは漫画家・小林よしのりが一昨年まで青年会議所と結びついて活動してきた流れに加え、上の倫理法人会の活動、さらに同じように中小企業関係者を修養活動の主要な対象としてきたモラロジーの役員(中予モラロジー事務所代表)が呼びかけ人に加わっていることが関係していると思われる。
モラロジーとは「道徳科学」の意味であり、天照大神の「慈悲・寛大・自己反省」の精神に道徳の基礎を置き、それにもとづく国家体制、道徳原理と経済活動の一体化などを主張する。組織人員は、個人・法人合わせて全国約6万人程度であるが、会員になるには最低2年間にわたって教理を学習する必要があるなど、「その質的レベルは高い」(沼田健哉『現代日本の新宗教』)とされ、選挙では会員の10倍の600万の集票力があるという。「つくる会」との関連でみると、岡山県や愛知県における活動が確認され、とくに愛知県支部はモラロジーの会員が中心とされている。岐阜県端浪市にある私立広池学園・麗沢端浪中学校は、モラロジー研究所が経営母体の学校だが、「つくる会」教科書を歴史・公民ともに、比較的早く(2001年6月16日)採用することを決定した。
愛媛の「つくる会」に再度言及するならば、こうした修養団体だけでなく、やはり神社の大半(約8万社)を組織する神社本庁系の力も無視できず、新聞折り込みで一般配布した彼らの文書によると、呼びかけ人のうち7人(18%)を占めている。日本会議の中核となり、また「つくる会」を支持しつつも、行動では前面に立たないことが多いものの、2001年の採択では各地で影響力を発揮した。たとえば、それまで長崎県と熊本県では合計7地区で平和主義的性格をもつ大阪書籍を選んでいたが、彼らの活動によって全滅することになった。
これらは、とくに神社本庁の政治部である神道政治連盟の活動によるものと考えられ、森喜朗・前首相が「日本は神の国である」と発言して有名になったのも、同連盟の集会においてであった。また、青年神職で組織する神道青年全国協議会(会員数3200)は、「日本会議」と「つくる会」に積極的に協力しつつ、「北方領土返還運動」や「国旗掲揚推進運動」などにも力を入れている。昨年の日韓共催のワールドカップでは、埼玉・横浜・大阪・仙台などの会場で、全国の神社系幼稚園などで子どもたちに作らせた「日の丸」約七万枚を配布したことが報じられた(朝日新聞〇二年七月二九日、神道青年全国協議会のHP)。「日の丸・君が代」のリバイバルと日本社会への再定着はスポーツを通じて行われたが、表3にみられた文科省とスポーツ関連公益法人の関係に、こうした宗教団体が積極的に協力してきた結果として押さえる必要があろう。
ところで、愛媛における昨年の採択では、直前に「つくる会」が全国から組織動員し、各戸ビラ入れを行ったほか、松山市街にも200人近い集団を登場させ、宣伝活動を行った。大半はキリストの幕屋であるといわれる。その後、「今回の採択は私たち幕屋の力による」との態度が内部であからさまとなり、「つくる会」愛媛の中に対立や脱落者が生じたと伝えられる。
キリストの幕屋は、キリスト教の旧約聖書と新約聖書のうち、旧約にあたるものとして『古事記』『日本書紀』などを位置づけ、日本民族の実存的生命を取り戻そうと訴えてきた(手島郁郎『聖霊の愛』)。「つくる会」副会長である藤岡信勝と彼らは教科書運動のごく初期から強い結びつきをもち、藤岡の講演会や論敵との討論の場には、必ずと言ってよいほど、異様な髪形の女性が多数確認されてきたし、彼自身もっとも頼りとしてきた宗教団体である。昨年の愛媛で陣頭指揮をとった彼が、私兵とでも呼ぶべきこの集団を動かしたことは容易に推測できる。
正式には原始キリスト教団・キリストの幕屋と称するこの宗教右翼に触れて、慶応大学の学生・上野陽子による「<普通>の市民たちによる『つくる会』のエスノグラフィティー〜新しい歴史教科書をつくる会神奈川県支部 有志団体『史の会』をモデルに〜」という論文がインターネットに公表されている。そこには次のようなインタビューが掲載されている。
つくる会自体の変容(方針・支持者層)を憂慮する声もあった。発足当初に比べ、宗教色が強まってきたというのである。前述した「キリストの幕屋」信者の割合が増えているのが目に見えてわかるというのだ。なぜわかるのか、と問うたところT氏(44歳男性)とH氏(34歳女性)が頭の上で指をくるくる回した。「幕屋の女性の信者さんは皆ほとんど同じ髪型をしているからわかります。長くのばした髪を三つ編みにして上にあげているんです。だからすぐ分かる」「戦争論2のシンポジウム(2002年2月13日)でも、幕屋の人が多かったですね。平成10年のときのシンポジウムとは、参加者が明らかに違うって感じです。最初はもっといろんな人がいて明るーい感じだったんだけどな」(H氏)
T氏はまた、次のように述べたという。
幕屋の人たちは信仰と結びついているから、すごく熱心。つくる会への入会だって家族ぐるみでやる。つくる会の教科書とか『国民の歴史』なんかを自腹で何十冊も買って、知人に配っている。今つくる会の会員って8000人くらいに減ってきているんですよね。普通の人だったら年会費6000円払って、時折会誌『史』が届くくらいじゃ納得いかないですよ」
現在進行中の「つくる会」会員倍増運動の実態もここによく表れている。こうした「幕屋」の宗教者としての日常的な姿は、キリスト教の無教会派の流れにあるため分かりにくいが、かつて雑誌『噂の真相』(1999年10月)がとりあげたことにより、インターネット上に元信者や関係者の書き込みがなされたり、トランス状態で異声(キリスト教では「異言」と呼ぶ)を発しつつ祈る姿などが報告されている。
これまで拙文で名前をあげた宗教団体以外に、東北に基盤をもつ大和教団などもある。
(略: 表5 日本会議・大阪役員名簿(1998年6月))
■宗教右翼の台頭が提起するもの
以上大まかに述べた宗教団体の系譜を表6に示しておいた。中には名前貸し程度の参加もあり、活動の実態と教義の分析などについて、今後いっそう調査を進める必要がある。多くが1800年代に発生した「新宗教」に含まれる(国家神道としての神社神道も、見方によっては明治維新以降の新宗教と見れなくもない)。
括弧の中に信徒数を入れたが、概数でしかない。とくに神社本庁については算定の方法がない。参考までに今年の三が日の初詣客を示しておくと、不況の影響もあって近年増加傾向にあり、8622万人と、国民の約7割が出かけている。キリストの幕屋についても、無教会主義ということから、信者数はわからず、1973年に発行された『日本宗教大鑑』には、機関誌『生命の光』の予約購読者が1万8000人、毎年2度開かれる聖書講筵には数千人の参加者があるという。現在、全国約80カ所の集会所が公表されている。
ただし、新宗教のすべてがこのような右翼的傾向をもっているとは限らない。むしろ革新的な側面や平和主義的な側面の強い教団(<>で示した)も多い。たとえば、新日本宗教団体連合会(新宗連)青年会が、一九七四年以来、アジアへの加害を知るために「アジア懺悔行」と呼ばれる研修旅行を組織してきたことなど注目される。
ところで、これら宗教右翼が台頭しつつある事実は、いくつかの重要な問題を提起しているように思う。まず第一に、これまで「つくる会」などによるナショナリズム的な反動化を、財界による支援の指摘(俵義文)や精神分析(野田正彰・香山リカ)などから解明する成果が挙げられてきた。この小論は、それらの成果をふまえつつ、実働的な核に当たる部分を解明することが今重要であり、その意味では旧来の行動右翼や遺族会とは別の動きに視点を移す必要性を提起するものである。各地から報告された彼らの様子は、一見しておとなしい紳士・淑女風である。これまでの「右翼」のイメージとまったく異なる理由はここにある。しかも彼らは老人ばかりでなく、主婦や若者を組織している場合が多い。
また財界とナショナリズムとの関連でいえば、大企業のみならず中小ブルジョアジーの存在に光を当てる必要性を感じさせるものである。それらが修養団体などを通じて組織されている具体的なあり方の分析は、いっそう重要となろう。とくに戦前から、ファシズムの基盤の一つはプチ・ブルジョアジーであると言われてきた。また民衆的な草の根ファシズムの存在も重要な側面として指摘されている。新宗教の基盤は、多く民衆にあり、そうした意味からみても、宗教団体の台頭は、たいへんに危険な動きと見る必要がある。
国柱会などは小さな教団だが、創始者の田中智学は、戦前、日本主義・国家主義の論陣を張る右派のイデオローグ・高山樗牛や、五・一五事件の先駆けとなった血盟団事件の井上日召、満州事変を主導した陸軍大尉・石原莞爾などに大きな影響を与え、「満州国」建設の宣伝運動を自ら行ったことでも知られている。そうした流れから、戦後も天皇中心主義と帝国憲法の復活を唱え続けている。侵略戦争の推進と戦後も変わらない主張をもつ勢力の背後に宗教がある。その役割の分析は、まだ空白に近い状態にあると言わねばならない。
また、これらの動きは、世界的には原理主義の台頭と連動していると思われる。アラブ諸国などにおけるイスラム原理主義は有名だが、アメリカにおいてもキリスト教原理主義がブッシュ政権のもう一つの基盤となっている(蓮見博昭『宗教に揺れるアメリカ』、坪内隆彦『キリスト教原理主義のアメリカ』)ことを考えれば、改めてそうした視野の中でとらえ返す必要があろう。 (文中、敬称を略した)
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表6 宗教右翼系譜図