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(回答先: Re: 【テスト】テロ対策:地下鉄駅の顔認証実験を初公開 国交省など(毎日新聞) 投稿者 いいげる 日時 2006 年 4 月 29 日 09:16:31)
‥‥
多普通
もし普通が多数であるなら、普通であれ、というのは多数であれ、ということであろうし、そうなってくると‥‥
「そういうことを言われること自体、」「それを問題にしていることもあり、」「それを多数から云われるのであれば、」その時点で破綻していると思われる。
‥‥
結果吸
(これは狙ってすることではないかもしれないが、それを知ることで予想して取り掛からなければならなくなるかもしれない)
つまり、表に出さない(隠す)ということは、時にそれに興味を持たれるということで難儀かもしれない‥‥。
それも、実態と表とは何の関係も無いかもしれないのだ‥‥。むしろ、良心的な人間にとってみれば‥‥、
単に遮蔽し、防衛すればするほど、内容に興味を持たれるという妙に軍事的な事態として詳しくは難儀だということだろう。
‥‥
そんなことは分かった上で言っているタチの悪い人間であるとは思わないのか‥‥お互い、その意見についても相手のほうが上回る知識があるかもしれないのに(笑)
片方に、やめておいたほうがいいという前に、運営サイドみたいなほうが乗ってきた‥‥そうだと分かって引くとは限らないが、特にこの男の場合、忠誠を尽くしたはず(笑)
‥‥
…前進主義の、目的固定・前進目的固定‥‥とは無反省の麻痺‥‥いかなる障害をも前進の理由に変え、矛盾を幾つでも押し切り、前進だけはやめないらしい。
…しかし、人が嫌がっていることをし続ける人間にロクな者がいないのは、自明ということではないか? ただし悪魔が嫌がることは積極的にすればいいだろう。
‥‥悪者にされて、多数に敵視されるとしても、悪魔の賛同者が正当でない利得の賛同者であるならば、そういう多数というのは悪魔の群れかもしれない。
‥‥善い事と悪い事が綺麗に対称であるはずもなく、また善が連動して、原理的に、または状況的に場の限定で、必ず悪を有む善があるかもしれない。
‥‥また悪が善に分岐するとしたら、それは隠れ蓑の善というのではなく、善が悪の一変種だからかもしれない…。
‥‥人間心理の未知の複雑な組み合わせが必ず災いを生むならば避けられない極偶然の連続からでも災いは…。
善悪が「共存」するとして、独立して相互不可侵の交差目を編んでいるとも限らないだろう。反対をする幾つかは外れ、片方をしているうちにズレて歪んでいくかもしれない。
悪を為すだけでは悪は為せないという矛盾もあろう。悪を為すに際しては善と呼ばれる部分を必ず少しは要するのではないか…まさに誘うのでも結束するにも善が悪に?
‥‥