★阿修羅♪ > テスト12 > 307.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
http://www.magazine9.jp/key/index.htmlより転載。(赤字は本文のまま)
8月2日 今週のキー
今週は、本を取り上げます。
なにせ、政界はもうすっかり消化試合の様相。次期首相には、あの安倍晋三官房長官が圧倒的スコアで勝ち上がりそうな気配です。
その安倍氏の本『美しい国へ』(文春新書)が、バカ売れしているとのこと。7月末現在で、30万部に達する勢いだとか。
そこで「今週は、気が進まないでしょうが、この安倍本を取り上げてくれませんか。本当に読むに値する本かどうか ?」と、編集部からの依頼。
仰せの通り、まったく気が進まない。でも、読んでみないことには批判も出来ない道理。で、読んでみた。
「金返せ」
出だしからしてすごい。自分のことを「闘う政治家」と位置づけているようだが、それについてこう述べる。
「わたしが拉致問題について声をあげたとき、『右翼反動』というレッテルが貼られるのを恐れてか、運動に参加したのは、ほんの僅かな議員たちだけであった。事実、その後、わたしたちはマスコミの中傷の渦のなかに身をおかざるをえなかった」(4ページ)
えっ? マスコミに中傷されたって?
マスコミを中傷し、NHKに圧力をかけて報道に介入したのはどちらだったのか?
この件については、朝日新聞の無様な腰砕けやNHK幹部の見事なまでの居直りもあったけれど、ジャーナリストの魚住昭氏が、『月刊現代』で、きちんと誰が圧力をかけたか、中傷したかを証明している。
第一章 私の原点
これはもう、自らの家系の自慢話のオンパレード。いかに(母方の)祖父(岸信介)や父親(安倍晋太郎)が偉かったか、という思い出を延々読まされるのだ。なぜあれほど広範な反安保運動が巻き起こったのか、などという考察は、一切ない。
つまり、世論や国民運動などを、自分の都合のいいときや事柄に関してしか認めない、という彼の考えの萌芽がここに見て取れる。
第二章 自立する国家
拉致問題を全面に押し出して、自分がいかにブレない姿勢をとり続けてきたかを強調する。北朝鮮の国家犯罪である拉致問題に怒らない日本人などいないだろうし、それに対して経済制裁せよ、という意見を述べることはまったく自由だ。
その経済制裁の成功例として「南アフリカ」を持ち出す。
名誉白人なる珍妙な称号を与えられて、南ア経済制裁に消極的だったのは、この日本ではなかったか。
それはともかく、南アが成功例だとするならば、なぜ日本(小泉政権)が、イラクでは経済制裁ではなく「アメリカの戦争」を支持したのか説明できなくなる。
南アで成功したから北朝鮮でも、というのは分かる。だとしたら、イラクでも経済制裁方針でいくべきだと、アメリカを説得しなければおかしいではないか。こういうのを、ダブル・スタンダード(二重基準)という。
読み流せばなるほど、と妙に納得させられるような記述。これを書いたゴースト・ライター(だよね、多分)はかなりな人物だ。決して尊敬は出来ないけれど。
「外交というのは、まずメッセージが先になければならない。交渉はその先の問題である。出すべきメッセージを出さなければ、そもそも交渉にならない。制裁するかもしれないと思わせることによって、困った相手は、はじめてテーブルにつくのである」(58ページ)
これを、イラクでも行うようにアメリカに一度でもアドヴァイスしていたのなら、この言い分も認められる。しかし、イラクにおける状況はどうだったか。今、どうなっているか。
書いていて、おかしいとは思わなかったのだろうか。
靖国問題に触れた部分にも、ぎょっとする記述が出てくる。
「指導的立場にいたからA級、と便宜的に呼んだだけのことで、罪の軽重とは関係ない」(70ページ)
これが、安倍氏の「A級戦犯」に関する基本的な考え方だ。 もし、安倍氏の論理を押し通すとするならば、まずその戦争責任の所在を明らかにしなければなるまい。責任が「A級」の人たちの罪の軽重とは無関係だとするなら、いったい誰に責任があったのか。
これでいいのだろうか。少なくとも、戦争遂行の「指導的立場」であったことは認めているのだから、その人たちから「罪の軽重とは関係ない」と戦争責任を切り離してしまうのは、なんとも納得しがたい論旨ではないか。では、戦争責任は、いったいどこにあったのか。
それを明らかにしなければ、単なる「身内かばい」のリクツとしか受け取れない。
当然のことながら、安倍氏は「身内」であり「A級戦犯容疑者」として逮捕された祖父・岸信介元首相のこの部分については、この本では一切触れていないのだ。
「戦争責任論」を伴わない「A級戦犯論」は、成立し得ない。安倍氏は、なぜそこに触れないのだろうか。
第三章 ナショナリズムとはなにか
ここにも、自分に都合のいいダブル・スタンダードが頻出する。
たとえば、こんな具合だ。
「また、『日の丸』は、かつての軍国主義の象徴であり、「君が代」は、天皇の御世を指すといって、拒否する人たちもまだ教育現場にはいる。これには反論する気にもならないが、かれらは、スポーツの表彰をどんな気持ちでながめているのだろうか」(83ページ)
反論する気にもならない、と言いながら、たとえば東京都教育委員会の凄まじいばかりの思想調査、大きな声を出さないからといって、教員の口元に耳を近づけて「音量調査」と称する恥ずべき都教委の行為を支持するのが安倍氏である。そして、違反とされた教員たちの処分をも支持する。
では、小泉首相や安倍官房長官が靖国問題で必ず持ち出す「内心の自由」はどうなるのか。
自分のことは棚に上げて、という言葉があるが、自分たちが靖国に参拝するのは個人の自由であり、かたや信条に従って「君が代」は歌いたくないという人たちの処分には賛成する。
安倍氏はいたるところでこの「二重基準」を使い分ける。自分は正しいが、相手が同じことを言った場合は相手が間違っているという、この論理の繰り返しなのだ。
おかしいとは思わないのだろうか。
第四章 日米同盟の構図
この章に、安倍氏の政治的スタンスが鮮明に表れている。すなわち、憲法九条の改定と集団的自衛権の行使、自衛隊の国軍化。
でもその中身もそうとうに困りものだ。
「たとえば日本を攻撃するために、東京湾に、大量破壊兵器を積んだテロリストの工作船がやってきても、向こうから何らかの攻撃がないかぎり、こちらから武力を行使して、相手を排除することはできないのだ」(133〜134ページ)
少しは調べて書けよゴーストさん、と言いたくなる。
たとえば、2001年12月の北朝鮮不審船撃沈事件。これを安倍氏ほどの大政治家が知らないはずがない。
このとき、日本の領海内(これも排他的経済水域からさえ出た後だった、という説もある)に入ったという理由で、北朝鮮の工作船とされた不審船は、日本の海上保安庁の6時間にも及ぶ追跡と威嚇射撃の後に撃沈され、乗組員全員が死亡した。
つまり、東京湾どころか日本の領海かどうかさえはっきりしない海域で、テロリストかどうかもはっきりしない段階で、もちろん大量破壊兵器を積んでいるかどうかなどまるでわからないのに、この不審船は攻撃され、海に沈められたのだ。
この事件での日本の対応が良かったのか悪かったのかをここで評価するつもりはない。それはさておき、これが大きなニュースとしてメディアに流れたのは、紛れもない事実だ。
とすれば、安倍氏の言い分はまったくおかしい。
すでに「相手を排除」した事例があるではないか。結果として「大量破壊兵器」など積んでいなかったにもかかわらず。
もし、安倍氏が「あのときの政府の対応は間違っていた。日本はあんなことをしてはいけなかったのだ」と言うのなら、安倍氏の文章も分からないことはない。しかし、安倍氏がそんなことを言ったとは聞いたことがない。
ダメですよ、事実を隠しちゃ。
イラク問題にしても、アメリカ・ブッシュ大統領の言い分を繰り返すだけ。それが日本の国益にかなうのだという。よく読むと(適当に読んでも)それ以外のことは、ほとんど言っていない。
「第二に、日本は、エネルギー資源である原油の八五%を中東地域にたよっている。しかもイラクの原油の埋蔵量は、サウジアラビアについで世界第二位。この地域の平和と安定を回復するということは、まさに日本の国益にかなうのである」(133ページ)
しかし、その後の中東情勢はどうなっているか。アメリカの思惑など、とうの昔に消し飛んでいる。混迷を深めるイラクに、「この地域の平和と安定を回復」したなどと、口が裂けたって言えるわけがない。
この本とは直接関係ないが、今回のイスラエルのレバノン空爆によって、どれほどの市民が殺されているか。そのイスラエルへの非難決議にさえ、アメリカは反対の姿勢である。日本の態度はまるで見えてこない。ここでも安倍氏はアメリカ追随なのだろうか。
ダブル・スタンダードはほとんどアメリカのお家芸になってしまっている。安倍氏は、その跡を忠実になぞっているようにしか見えないのだ。
もう、かなり書くのが苦痛になってきた。
しかし最後に安倍氏の「再チャレンジ」なる言葉の虚しさだけには触れておきたい。
第六章 少子国家の未来
「年金は必ずもらえるし、破綻しないように組み立てられている。もし破綻することがあるとすれば、それは保険料収入がないのに、年金給付をつづけていったときだ。いいかえると、いまのままの保険料水準と給付水準をつづけていけば、これからはもらう人が増えるのだから、将来はどこかで払えなくなってしまう。破綻するというのは、このことだ。だからそうならないように、保険料をどのくらい上げて、給付水準をどのくらい下げたらよいのか、という議論をしているのである」(184〜185ページ)
少し前(2004年)、「100年安心プラン」などというスローガンで「年金改革」を強行したのは、安倍氏が属する自由民主党ではなかったのか。その批判を「郵政改革」一本にすりかえて「年金問題」を隠し、騙し討ち選挙を行ったのはあんたらじゃなかったんですか。
いまさら、このままいくと破綻する、だから、取る金額は上げて出す金額は下げさせてもらうからね、というのか。そりゃあないだろう。
このような政策のどこに「再チャレンジ可能な」やさしい未来が見えるのだろうか。案の定、この本では「再チャレンジ」についての具体的な政策提言は、まったくというほど行われていない。
そして最後は
第七章 教育の再生
このような方に、教育を再生していただきたくはないと、読みながら思ってしまったが、それはともかく、小見出しに
「ダメ教師には辞めていただく」(211ページ)
というのがあって笑えた。
「辞めていただ」きたいのは、ダメ教師よりも先に、まずダメ政治家じゃないかと、またしても思ってしまったのだった。
やはりこの人が次期首相最有力ということになると、不安が-----。