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07年03月10日
No.380
安倍首相のダメさ加減は、どうやら本物になってきた。参議院選挙で仮に負けても安倍首相は退陣する必要はないとのたまわったという3月7日の安倍晋三首相と中川幹事長との会談で、両氏は小泉前首相に“史上初の首相経験者による参議院選挙の選対本部長”を頼んだのではないかと囁かれている。小泉純一郎という政治家は詐術を使う名人である。要注意、要注意。
これは2001年4月の自民党総裁選で小泉氏が使った言葉である。この発言には一応、自民党が「私(小泉)の改革に反対するようならば」という前提条件が付いているのだが、それにしてもおかしい。その場合小泉氏がどうやって自民党をぶっ潰すのかということは一切明らかにされていない。要するにレトリックの問題でしかないのだ。そもそも自民党の政治家や党員が小泉氏のいう改革に殉ずるなどと信ずる方がお人好しである。
思い出してほしい。2001年4月の総裁選は、支持率が10%を切った森喜郎首相の後継を選ぶ選挙であった。自民党の支持率もかなり落ちていた。そして東京都議会議員選挙と参議院選挙がその夏に予定されていた。都議会議員候補者からは悲鳴があがっていた。自民党全体も喘いでいた。中には自民党崩壊の危機感をもっていた者もいたであろう。
その党の最高責任者を選ぼうという選挙なのである。だから改革を訴えることは避けて通れなかったのだが、だからといって改革に反対するようだったら自民党をぶっ潰すという最高責任者を選ぶことなど、自民党の総裁選としてそもそもあり得ることではない。そして小泉氏やこれを支持した国会議員や党員は、自民党総裁に自民党をぶっ潰す権限があると本気で考えていたのだろうか。そもそも最初から論理の矛盾した、いかがわしいスローガンなのである。
立候補の直前まで、小泉氏は自民党を危機的な状況まで陥れた森首相を支えていた森派の会長だった。半年前の2000年11月にいわゆる「加藤の乱」があった。加藤の乱が起こったとき、国民は圧倒的に加藤氏を支持した。加藤氏は自民党を出るなどと一切いわなかったが、加藤氏が挫折せずにあのまま真っ直ぐに戦っていれば森内閣は間違いなく不信任となり、自民党と公明党は野党になっていたであろう。
小泉氏はそのような政局の中にあって、野中幹事長や公明党と共に加藤の乱を鎮圧する先頭に立ったのである。野中氏は小渕派の代表として幹事長に座っていた。公明党は小渕首相のときに政権に参加して、まだ1年ちょっとしか経っていなかった。せっかく手に入れた政権を離してなるものかと必死であった。
そもそも森内閣は、小渕首相の急逝のうけて緊急避難的に小渕派や公明党が中心になって作った内閣であった。
本来ならば小泉氏がもっとも敵対していた党内勢力が作った内閣であったが、森氏が首相となったために派閥的な理由で小泉氏はこれを支持したのである。小泉氏は俗にいわれているような理念型の政治家ではなく、きわめて俗物的な派閥型政治家なのである。この点については、小泉氏と大学時代の同級生であり、政治家としても同じグループで行動してきた栗本慎一郎元代議士は、小泉純一郎という政治家はもっとも悪しき意味における派閥政治家であると証言している。私自身も栗本氏からこのことを何度も聴いた。
自民党を改革するといった小泉氏の決意が本物だったとするならば、総裁選に立候補するにあたり率先垂範して森派を解散するくらいしてこそ、自民党改革の決意が本物だということになる。森派の会長なのであるから、小泉氏の決意ひとつでこのことは実行できたはずである。それとも派閥の解消は小泉氏のいう自民党改革の中にはいってなかったのだろうか?もしそうだったとしたら、閣僚人事で派閥とは一切交渉しないというのは一体何なのだといいたい。
このように小泉氏が改革と称していったことは、論理矛盾もいいところだし、滅茶苦茶なものだった。当時自民党は本当にギリギリのところまで追い詰められていた。また小泉氏にとっては3回目の総裁選の立候補であり、本人は最後の戦いと思い詰めていたのだろう。この総裁選挙からそんなに日を置かずして、首相となった小泉氏にある席で私は会った。まさかあんな大差で当選するとはまったく考えていなかったと小泉氏は本気でいっていた。これは多分本音であろう。
以上を総合すると自民党にとっても小泉氏にとってもギリギリまで追い詰められた状況の中で、口から出まかせ・後は野となれ山となれ的に発言したのが、「自民党をぶっ潰す」発言だったのだ。「8月15日にいかなる困難があっても靖国神社に参拝する」と発言したのも、遺族会の票目当ての破れかぶれ的な発言なのである。もっとも有力な候補であった橋本龍太郎元首相は遺族会の会長であった。
そして、5年間半の小泉首相の在任の間にどういう結果となったかをみれば、小泉氏の発言が如何なるものだったか理解できよう。まず総裁になったすぐ後に行われた参議院選挙では、小泉フィーバーで自民党は圧勝した。また自民党内の他の派閥は派閥の体をなさないくらいに解体されたのに比べ、森派だけは肥大化し自民党最大の派閥となった。それでは、自民党は改革されたのかだろうか。確かに馬鹿のひとつ覚えのように改革を口にする自民党や公明党の国会議員が増えたことは事実である。しかし、自民党や公明党が改革されたなどと思っている国民はほとんどいないであろう。政治は結果責任といわれるではないか。政治家の狙いや本音は、結果をみることによって明らかになる。
それでは、また明日。