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Re: test
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投稿者 謝寅 日時 2007 年 3 月 04 日 18:10:34: Bat5keDwZxjsQ
 

(回答先: Re: test 投稿者 謝寅 日時 2007 年 2 月 08 日 00:05:35)

従軍慰安婦問題・年表







赤い項目の事件の{英字}は、青い項目の{英字}に対応。

緑の項目は、日本政府が尽力した補償について。






























































































































































































1965年

{ A }



島田俊彦氏『関東軍』出版。関東軍特別演習に備え、慰安婦を集めたという話を紹介。

初めて慰安婦の話が登場。




1973年

{ B }


千田夏光氏『従軍慰安婦』が出版。

軍属を意味する「従軍慰安婦」の言葉が初めて登場。


1977年

{ C }


吉田清治氏『朝鮮人慰安婦と日本人』出版。

初の加害証言。



1980年 ユンジョンオク氏(梨花女子大学英文科)挺身隊の調査開始

1982年

6月
吉田氏、大阪で「私は朝鮮人慰安婦を徴用した」と講演

同年

9月、11月
吉田氏「第一次樺太朝鮮人裁判」(原告代表 高木健一弁護士)で原告側証人として、朝鮮人奴隷狩りを証言

1983年 吉田氏『私の戦争犯罪』が出版。吉田氏「謝罪の碑」を韓国の天安市に建立。韓国のテレビが「謝罪の旅」として1時間番組を流す。以後も、各地で講演等を積極的にこなす
1986年 吉田氏「心に刻む会」で講演(『アジアの声』に証言を採録)
1989年 吉田氏『私の戦争犯罪』が韓国語に翻訳され、後にドラマ化
6月高木弁護士、「第一次樺太朝鮮人裁判」の提訴取り下げ。後に韓国政府から、国民勲章を授与され「これをモデルケースとしてこれからも同じように補償裁判を起こしていく」と発言
8月14日

{ C }


慰安婦狩りが行われたとされる済州島の『済州新聞』が、現地調査の結果、吉田氏の『私の戦争犯罪』が作り話だった事を暴露



1990年

1月4日〜24日
ユンジョンオク氏 『「挺身隊」怨念の足跡取材記』をハンギョレ新聞に四回に渡って連載
5月 国会で竹村泰子議員(社会党)が慰安婦の調査要求。以後、吉岡吉典議員(共産党)、本岡昭次議員(社会党)が慰安婦で質問。臼杵敬子氏、「遺族会」の戦後処理要求イベントを取材。
6月6日参議院予算委員会で本岡昭次議員(社会党)が慰安婦の実態調査を日本政府に要求。清水傳雄・労働省職業安定局長は、慰安婦は「民間の業者が軍とともに連れ歩いた」「調査はできかねる」と答弁
10月17日 韓国女性団体連合、韓国教会女性連合会など37の女性団体が、日本政府の国会答弁に抗議する公開書簡を送付
11月16日 「韓国教会女性連合会」(1967年結成)、「韓国女性団体連合」(1987年結成)等が参加して「韓国挺身隊問題対策協議会」(代表ユンジュンオク氏)(以下「挺対協」)を結成
12月 臼杵敬子氏等が「日本の戦後責任をハッキリさせる会」を結成
1991年

4月
「ハッキリ会」韓国へ調査に向かう。以後も数次にわたり訪韓調査
1991年

4月1日

参議院予算委員会で、本岡昭次議員が韓国女性団体の「公開書簡」への回答を求めたのに対し、谷野作太郎・外務省アジア局長は「調査したが手がかりになる資料がない」、若林之矩・労働省職業安定局長は「当時の担当部署は全く関与していなかった」と答弁
8月11日

{ D }

慰安婦被害者が初めて登場。朝日新聞が、名乗り出た金学順が「強制連行された」と証言したと報道



8月14日 高木弁護士(「ハッキリ会」と「心に刻む会」が支援)が中心となり「戦後補償国際フォーラム」開催、「遺族会」から五十三人が参加。「挺対協」の呼びかけに応じて、金学順が参加。
8月15日

{ D }


ハンギョレ新聞により、金学順は「親に置屋に売り飛ばされた」と証言していた事が判明


12月6日 金学順ら元慰安婦3名が、軍人・軍属らとともに、高木氏を主任弁護士として、日本政府に謝罪と補償を求めて、三十五人で東京地裁に提訴
1月11日

旧日本軍の慰安所設置、慰安婦募集統制を示す資料が、吉見義明・中央大教授により、防衛庁防衛研究所図書館で発見されたことを『朝日新聞』が報道





しかし、その資料は「軍と警察が協力して、違法な業者を取り締まる」という内容だった。



1月17日 訪韓した宮沢喜一首相が、盧泰愚大統領に慰安婦問題に対して公式謝罪
2月1日 日朝国交正常化交渉で、日本政府が慰安婦問題に関し、北朝鮮側に謝罪表明
5月上旬

{ C }

秦郁彦「従軍慰安婦たちの春秋」(『正論』1992年6月号)が、自らの現地調査により、吉田清治『私の戦争犯罪』の虚構を暴く。



7月6日

日本政府、第1次調査結果公表。政府の直接関与を公式に認めたが、強制連行を立証する資料は発見されず。「補償に代わる措置」検討表明



12月25日 韓国・釜山などの元慰安婦、元女子勤労挺身隊員10名が、山口地裁下関支部に提訴(関釜裁判)
1993年

{ A・B }


加藤正夫(『現代コリア』93年2・3月号)の調査により、千田著書『従軍慰安婦』の記載が架空の話である事が判明。


4月2日 マリア・ロサ・ヘンソンらフィリピン人元慰安婦、東京地裁に提訴
4月5日在日コリアの元慰安婦の宋神道、東京地裁に提訴
5月11日 94年度用高校日本史教科書のすべて(7社9種)に、慰安婦に関する記述のあることが判明
8月4日

{ E }


日本政府、第2次調査結果発表。河野洋平官房長官、談話で慰安婦の募集、移送、管理などが「本人たちの意志に反して行われた」ことを認め「お詫びと反省の気持ち」を表明



1994年

1月25日
オランダ人元慰安婦・捕虜など東京地裁に提訴
8月13日

日本の新聞各紙が「民間募金による見舞金支給」構想を報道。補償問題は、とっくの昔に条約を交わして終了済みであった為、日本政府は、第三者機関(民間機関)の基金に政府が援助する形を取って、補償する事を検討



8月22日元慰安婦および支援35団体が「民間募金構想撤回と被害者個人への謝罪と補償を求める共同声明」を発表
11月22日 ICJ(国際法律家委員会)が報告書を発表。慰安婦被害者には個人補償請求権があると結論。日本政府に行政機関の設置、立法措置、仲裁裁判に応ずべきと勧告
7月19日

「女性のためのアジア平和国民基金」(以下、アジア女性基金)発足。韓国・挺対協など内外43団体が基金発足に反対する声明発表

運営費の全額(総額約42億円)を日本政府が負担。



1996年

1月4日
クマラスワミ特別報告官、国連人権委員会に慰安婦問題に関する報告書提出、日本政府に国際法違反の法的責任を受け入れるよう勧告(2月6日報告書の内容が公表)
3月30日ソウル、マニラ、台北各市長が日本政府に被害賠償を促す書簡を発送
4月9日 自民党の「終戦五十周年国会議員連盟」が「明るい日本・国会議員連盟」(会長・奥野誠亮、事務局長・板垣正)と名称変更。6月4日の結成総会で、奥野会長が「慰安婦は商行為」「強制連行はなかった」と発言、教科書の記述を批判する。
4月29日 国連人権委員会、クマラスワミ報告書全体に留意する(take note)との支持決議採択
6月27日 97年度用中学校社会科教科書の検定結果が公表。7冊すべてが慰安婦に関して記述
7月20日 自由主義史観研究会、中学校教科書からの慰安婦記述削除要求など、歴史教科書批判を全国規模で展開することを決定(1996年8月付で、緊急アピール「中学校教科書から『従軍慰安婦』の記述の削除を要求する」発表)
8月14日

アジア女性基金、フィリピンの元慰安婦に償い金を支給する手続きを開始



1997年

1月11日


アジア女性基金、非公開のうちに韓国の元慰安婦7人への償い金支給を開始。韓国政府、「支給を強行したことは遺憾」とコメント



1月30日

{ E }


参議院予算委員会で、片山虎之助議員(自民党)の質問に対し、平林博・外政審議室室長が実は強制連行を示す資料は無かった事を告白。



櫻井よしこ(「文塾春秋」平成9年4月号の「密約外交の代償」)が、当時、内閣官房副長官だった石原信雄から、韓国政府から強い要請があり、それに屈していたという証言を得る。



1998年

4月27日
「関釜裁判」で山口地裁下関支部が、日本国に対し元慰安婦3名に各々30万円の賠償金支払いを命じる判決
6月6日VAWW-NET Japan(「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク)発足(代表・松井やより)
8月8日 国連差別防止・少数者保護小委員会のマクドガル特別報告書の内容が明らかになる。慰安婦問題について、責任者処罰、元慰安婦への損害賠償などを日本政府に勧告
9月18日 アメリカ・ワシントン連邦地方裁判所に、日本政府を相手取って損害賠償を求める集団訴訟を起こす
2000年

12月7日〜12月12日
VAWW-NET Japan、東京・九段会館で 「女性国際戦犯法廷」を開催。のべ約5000名が参加。昭和天皇と9人の軍部・政府指導者を人道に対する罪で有罪と認定し、日本政府には国際法違反により賠償する国家責任があると判断(2001.12月4、オランダ・ハーグで最終判決)

*以上が、慰安婦問題が最も盛んにメディアを賑せた2000年頃までの経緯である。

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