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http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20061209/mng_____tokuho__000.shtml から転載。
痴漢冤罪 あなたにも
疑わしきはクロ
災難はどこに転がっているかわからない。ある日突然、身に覚えのない痴漢の烙印(らくいん)を押されたら…。地獄に突き落とされた一介のサラリーマンが2年間の血のにじむような裁判闘争の末に無罪を勝ち取り、実社会へ生還。その記録を1冊の本にまとめた。著者は語る。「痴漢事件は、まずクロと決めつけられると痛感した」。忘年会の季節、どうぞ、ホラー映画より恐ろしい話を、ご参考に−。
都内の会社に勤めるデザイナー矢田部孝司さん(43)の受難の始まりは六年前の十二月五日朝だった。
出勤の途中、西武新宿線高田馬場駅で電車を乗り換えようと、ホームを歩いていると、女性に後ろからダウンジャケットをつかまれ、「この人痴漢です」と駅員に突き出された。
「後ろめたいことはないから、きちんと説明すれば分かってもらえる」と信じて駅事務所、交番、警察署へと堂々とついていった。女性の主張は「露出した性器を手に押しつけられた」。全く身に覚えがなかったが、取り調べの最初から“クロ”として扱われ、否認を続けたのに、犯行を認める供述調書まで作られた。
調書は抗議して破棄されたが、要求されるまま、当時の電車内の人の位置など覚えている限りのことを図に描かされた。
だが、この図の詳細さにつけ込まれた。送検後、検事から「痴漢をやろうと周りの人間の様子をうかがっていたからだろう」と言われた。「裁判は長くかかるぞ。何年もな。認めるなら早めに言いなさい」とも言われたという。
孝司さんは拘置中、何度も「(犯行を)認めてしまえば…」との考えがよぎったというが、妻・あつ子さん(40)や親族、弁護士の励まし、「裁判所ならば」と信じる気持ちもあって、否認を貫いた。
ただ、同月二十五日に強制わいせつ罪などで起訴されたことを受け、年末には「自己都合」での退職を決意せざるを得ないなど精神的にも追い込まれた。
こうした状況から、いかにして脱出したのか。
地裁段階では、矢田部さん側は唯一の証拠ともいえる被害者の女性の供述内容を論破する作戦に出た。
例えば、(1)コンタクトレンズをしていなかった女性は犯人の顔をよく見ていない(2)女性との身長差は二十五センチあり、手に局部を押しつけるのは不自然(3)当日はいていたズボン開口部はボタン式で、車内での開閉は困難−といった点だ。
これらを視覚的に訴えるため、翌年三月に保釈された矢田部さんは、ソーセージを使って実験。「混雑した車内で被害者供述のような状況は無理」と主張する再現ビデオを制作。元勤務先の先輩の協力も得て、車内の様子をコンピューターグラフィックス(CG)にして法廷に提出した。
次々と証拠が採用され、楽観的なムードも高まったが、事件から一年後の地裁判決は「有罪」。しかも、執行猶予なしの厳しい判決だった。
敗因を分析した矢田部さん側は、裁判官は女性の被害に重きを置く傾向が強いことを重視。実物大の電車模型を使い、七十人を超える知人の協力も得て、状況を再現するうち、「おそらく女性の痴漢被害はあった。自分は間違われただけ」との結論に至った。
高裁では、女性を攻撃するのではなく、その主張を認めた上で、「でも、私はやっていない」と主張を組み立て直した。
この修正で、事件からちょうど二年後の二〇〇二年十二月五日、無罪を勝ち取った。
「捜査がきちんと行われてさえいれば、こんな目に遭うことはなかった。提出した証拠は一審も二審も大きく違わない。なのに結果は正反対。その怖さを実感した」。矢田部夫妻はあまりにも厳しい二年間を振り返った。
国家賠償などは考えていないというが、孝司さんが「今回のことで得たものはないし、何より傷ついた。自分だけでなく、家族への影響も計り知れない」と言うと、あつ子さんは「税金を納めている国が、いとも簡単に一般人を陥れることもある。このことをよく考えてほしい」と続けた。
一連の経過を克明につづった「お父さんはやってない」(太田出版)を出版した。来年一月二十日には、この体験を基にした周防正行監督の映画「それでもボクはやってない」が全国で公開される。
電車に女性専用車両が登場するなど数多くの女性が痴漢の被害に遭う半面、冤罪(えんざい)など男性が被害に遭うケースも少なくない。男性側に防ぐ手段はあるのか。
「ない。というのが現実ではないか。きちんと捜査がされるなら別だが、事件には重いと軽いの別があり、痴漢事件はまずクロと決めつけられると痛感した。自分はやっていないと個人で立証するのはまず無理」と孝司さん。
仮に親友が同じような騒ぎに巻き込まれたら、どうアドバイスするか、との問いには、「とんでもない目に遭わされた経験を考えると、とても(否認して)『頑張って戦えよ』と言う気にはなれない。早く楽になることを助言するかもしれない」と、冗談めかして続けた。
事件以来、出勤時は急行には乗らず、座れることが多い普通列車を選ぶ。これなら周囲の人はかなり限定される。乗る電車はできるだけ同じ時刻、座れない時でも、できるだけ同じ位置に立つ。「決定的な対策にはならないが、顔見知りから証言が得られやすくなるかもしれないし、つけ狙っていたと言われる可能性は少なくなる」という。それでも最近は、自動車通勤が多いという。
◆ ◆ ◆
痴漢冤罪が後を絶たない背景には、警察がこの種の事件に忙殺されている事情がある。ジャーナリストの大谷昭宏氏は「変質的な性犯罪者が増える一方、取り締まり強化のキャンペーンで女性が泣き寝入りしなくなった。警察にしてみれば『また痴漢か』ということになり、感覚がまひしている」と分析する。
一般の乗客に犯人の人相・着衣や車内の位置関係を覚えてもらうのは難しい。捜査技術を上げるしかないが、「最近は本当に犯人なのか、心証(手応え)が取れない刑事も多い。仕事が次々に来るので、否認のままで(拘置期限の)二十日も拘置するのはたまらないと、『認めれば、(送検までの)四十八時間で出してやる』という禁じ手を使う」と説明する。
さらに、痴漢事件に潜む問題として「他人を簡単に社会的に葬ることができる。例えば、社会的な活動をしている人物を公安警察が尾行し、女性警官が逮捕するようなでっち上げはないのか」と指摘する。
こうした「災難」を避ける方法はあるのか。「痴漢冤罪裁判」(小学館)の著者で、ジャーナリストの池上正樹氏は「満員電車に乗らないのが一番。すいている電車に乗るとか、始発駅まで戻って座席に座る。裁判では物理的に痴漢ができる立ち位置にいた人は有罪と認定される傾向があるからだ。どうしても近くに女性がいる場合は、両手を上に上げたり、背を向けたりするしかない」。
そして、万一間違われた場合は「誠意を尽くして訴えれば、大抵の女性は分かってくれる。駅事務所には行ってはいけない。行ったら最後です。常習の痴漢は逃げようとするが、まじめなサラリーマンほど事情を説明しようとついていってしまう」と話す。
そのうえで、鉄道会社の対応など社会構造にも注文を付ける。「痴漢は通勤ラッシュを背景にした日本独特の犯罪。現在は女性専用車両など現実的な対策がとられているが、複々線化や列車の増発にも力を入れるべきだ。真剣に痴漢をなくそうと思うなら、時差通勤を企業に勧めて補助金を出すなど、社会全体で取り組む必要がある」
<デスクメモ> 警察回りをしたころ、同じような事例にかかわった。親しい警察幹部は、やはり「認めた方がいいよ。初犯なら不起訴。その日に帰れる」と耳元でささやいた。「そんなバカな」と腹が立ったが、もしも自分の場合であったら、どうするだろうか、甚だ心もとない。矢田部さんの勇気には敬意を表したい。 (充)