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(回答先: とりわけ70年代以後は密な人間関係が企業社会発展と共に学校内で出来ていった 投稿者 パルタ 日時 2006 年 12 月 08 日 00:02:23)
御意見ありがとうございます。
「内」と「外」に分ける習性は、昔あった「隣組」とか「講」といわれる村組織に起因すると習った事があります(「村八分」というのもあったらしい)。
更にもっと言えば、日本の農業は、東南アジアのように粗放型農業ではなく、灌漑型の農業であり、これを行うためには、水利権の確保が必要不可欠だった。そのため、下流に住む村人達は、上流に住む村人達が水をとってしまわない様に、団結して交渉にあたり、約束された事柄が実行されるよう監視するためにもこういった組織が必要だったとか。
政治板にもちょっとだけ書きましたが、「日本人の国民性」といわれている、
1.甘えの構造
2.たて社会性
3.集団主義(グループで固まりたがる)
4.閉鎖性(「内」と「外」に分けて、よそ者を排除する・・・3の中に含まれるかもしれないが)
5.過剰反応
これらのものは日本という地理的環境、気候、風土の中で生存せざるを得なかった人々が、長い年月をかけて形成してきた国民性だと思います。これらのものを一概に否定するものではありませんが、これからの世の中を生きていくために必要なものは取り入れ、改革すべき点は改革して生きることが必要だと思います。