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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu132.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来
派遣社員では結婚も子供も作ることは出来ない少子化社会
2006年11月19日 日曜日
◆若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 城繁幸(著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4334033709
◆老化する企業
もし仮に、限られたパイを奪い合うしか組織の生き残る道がないのだとしたら、誰かが犠牲になるのはやむをえないことだ。そして、その役目を若者に押しつけることも、一つの答えかもしれない。
「若いんだから苦労しろ」というのも一つの論理ではある(逆に、「もう十分楽しんだろうから早く引退しろ」という論理もしかりだ)。
だが、それは、年功序列型の組織にとって諸刃の剣でもある。実はいま、長く続いた企業の採用抑制によって、企業内ではある変化が起きている。それは、ひと言でいえば組織の老化だ。活力を失い、新しい技術を知らず、ミスが多くなる・・・そんな企業が全国に増えている。
若い血か途絶えると、はたして企業内で何が起こるのだろう。
わかりにくいので図で考えてみたい。従業員一〇人の年功序列型企業を、ものすごく大雑把に表現したものが上の図だ。
ある年に定年退職者が二人出たとすると、残った従業員は一段ずつ上にくりあがることになる。矢印はその流れをあらわすキャリアパスであり、まさに一本しかないわけだ(同じ序列でも成績のいいものから昇格する)。
当然、組織を支える若くて生きのいい土台が二人必要になるわけだが、ここで人件費抑制を理由に、正社員の代わりに派遣杜員二人でまかなったとする。
一応見かけ上は組織構成の維持ができてはいる。しかも、新人分の人件費は大幅にカットしたうえでだ。
だが、これで本当にすべてが従来どおりに進むのだろうか。建物でもそうだが、土台に手抜きをすると、あとから思わぬしっぺ返しがくることがある。
◆途絶える技術継承
「バブル崩壊から九〇年代を通じて、新人の採用は最低限に抑えてきました。一時は斜陽産業の代表みたいに言われてましてね」
伊藤氏は中堅鋼材メーカーの人事担当役員だ。この一五年間、ずっと採用を見守り続けている。業界の流れが変わったのは一九九〇年代後半から。中国向げ特需で、鉄鋼関連は急激に売上を伸ばした。かつての斜陽産業は、いまや花形産業の一角だ。
だが不思議なことに、採用方針については見直されることはなかったという。以前は高卒エンジニアだけで年二〇人ほど採用していたという同杜も、ここ一〇年間、高卒は一名も採.っていない。
代わって杜内に人ってきたのは、派遣や詩負、つまり非正規労働者だった。
「ちょうど派遣法が改正され、常堆や製造ラインにも派遣社員受け入れが可能になった。経営陣は短期の利益を積み上げるために、正社員を増やさず、派遣や請負でまかなうという発想になってしまっていました」
つまり、「安くていつでも置き換え可能な土台」を使ったわけだ。
だが数年後、思わぬ形でしっぺ返しを受けることになる。「二〇〇七年から団塊世代が定年を迎えます。その数は五年で全杜員の二割強。ところがこの一〇年、各職場に配属された新人はトータルでひとりいるかいないか。後継者の育成がまったくできていない・・・現場はいま大混乱です」
一九九〇年に平均年齢三五歳だった会杜は、いつの間にか四二歳に老けていた。人件費をいちばん賃金の安い新人をカットすることで抑えてきたツケだ。財務上は人件費を抑えられたが、目に見えない部分で企業価値は確実に下がっていたのだ。
「鉄鋼や鋼材の技術職というのは、実はベテランに依存する部分が大きいんです。だから、人を切らずに残す戦略は間違ってはいなかったと思います。でも、非正規の労働者は平均すれぱ二年にも満たない勤続年数しかない。だから、けっして技術の継承はできないし、彼ら自身にもその気はない。いつの間にか、企業としての技術蓄積が完全にストップしていたわけです」
同社はいま、置き換えできない技術者を中心に、定年後再雇用という形で会社に残ってもらうことを要請している。若い後継者をその間に採用し、育成する予定だ。
だが、状況は他社もまったく同じだ。製造業から金融まで、日本中のあらゆる企業が、来年からの採用大幅増に踏み切っている。そんななか、後継者候補となる新人を一定数確保するのは至難の業だろう。
年功序列という制度は、職人を育てることのできる世界で唯一の雇用形態だ。長く働いてもらうことで、蓄積されたノウハウを学ぱせ、さらにそれを継承していける。
だが、その流れを断ち切ることは、培った技術の継承を断ち切ることになる。それは、日本企業の強みを捨てることだ。
年功序列制度の限界を「若者を組織から締め出すこと」だげで回避しようとすれぱ、企業は確実に老いる。技術は継承も蓄積もされず、ある日突然ぽっくり逝くことになりかねない。
団塊世代が現役を引退する二〇一〇年前後、ひっそりと老衰を迎える企業が出てくるかもしれない。 (P104〜P108)
◆年功序列が少子化を生んだ
本書ではこれまで、残された年功序列というレールを維持するために若者が切り捨てられている事実を述べてきた。企業という列車に乗る手前で、あるいは列車のなかでさえ、彼らは重い犠牲を強いられ続けている。
言い方を換えれば、すでに雇用している人間の既得権を維持するために、若者の雇用を犠牲にしたわけだ。
そうなってしまった最太の理由は、杜会全体が例の昭和的価値観に基づいた強い年功序列」組織だからだ。組合、政党、そして経団連も、意思決定プ回セスに参加するのはみな五〇代以上の既得権層だ。そこに若者の代表者はいない。
企業の役員会で、または労働組合の総会で、そして国会の場でも、年長者たちは額を突き合わせ、自分たちの既得権を守るために若者を切り捨てることを取り決めた。そしてあとには、歪んだ負担の構図だけが残ることになった。そして、歪みは必ず矛盾を生む。
仕事で呼ばれた会社で、さも誇らしげにこんなことを言う経営者や労組幹部に出会うことがある。「わが杜は賃下げやリストラは一切していません。従業員は家族ですから」
たが蓋を開けてみれば、「ここ三年間、社員採用ゼロ」というようなケースは珍しくもない。それでいて、現場に行ってみれば、疲れきった顔の派遣杜員がこき使われていたりする。もちろんみな二〇代。少なくとも、年長者から見れば、彼ら派遣社員は家族とするには値しない生き物らしい。
彼らが行っている仕事は、正杜員である先輩たちがやっていた仕事となんら変わらない。
違うのは、彼ら非正規労働者の人件費コストは先輩たちの半分以下であること、そしてその仕事は、どこにもレールのつながっていない"ただの作業"であるという点だ。
だが、忘れてはならないのは、若者も先輩たち同様、ごくふつうの人間だということだ。生命力も気力も(そして忍耐力も)従来の世代よりひと回り強いスーパーマンぞろいならいざ知らず、ふつうの人間なら負担が増えた分、必ずどこかで手を抜く。
もちろん、手を抜くのは会杜での仕事ではなく、社会におけるもう一つの仕事だ。そう、それは次世代を作り育てるという、本来若者が持っている役割を放棄することだ。
先進国中、群を抜いた日本の少子化の原因は、ここにあると見て間違いないだろう。
以上のような話をすると、よくこんな意見を言われることがある。「扶養家族もいない世代の給料なんて、安くて当然でしよう」
逆に言えぱ、低い賃金の連中は子供など作るな、ということらしい。この意見は、図らずも少子化の理由と結果を正当化してしまっている。
たしかに、賃下げやリストラをすれぱ非難囂々な.のは間違いない。された本人は路頭に迷うかもしれつないし、破産して首を吊る人間も出てくるかもしれない。
だが、将来生まれるべきであった命もまた、同等の価値を持っていたのは間違いない。彼らはけっして非難もしないし、化けて出ることもない。ただただ、存在の可能性を失っただけなのだ。
二〇〇七年から、いよいよ団塊世代が大量に定年を迎え始める。その数、正杜員だけで二八○万人以上。会社のなかではもっとも高給取りのグループだ。彼らが受け取る退職金額はおよそ八○兆円にも上る。
経済アナリストのなかには、日本に新しい中高年市場が誕生し、新たな市場牽引役となることを期待する向きも強い。実際、すでに郊外の住宅やリゾート物件、中型以上のバイクなど、シニア世代向けの賛沢品需要は伸びつつある。
だがその裏には、正社員の半分以下の賃金で、派遣や請負、フリーターとして使い捨てられる若者の存在があることは忘れてはならない。
彼らが〃人並みの"収入を得て、結婚し子供を作る代わりに、社会はリゾートマンションや大型バイクの売上を選んだわけだ。
企業は社会の縮図だ。「最近入ってくる若い人が少なくて、年寄りばかりが増えた」と嘆く人がいるが、それはそのまま社会全体にもあてはまる。
企業は次世代をリストラすることで、企業自体の未来も危うくしていると書いた。社会もまた、若者を犠牲にすることで、その未来を失おうとしている。 (P112〜P115)
(私のコメント)
「若者はなぜ3年で辞めるのか?」と言う本はベストセラーになったせいか、ブログなどでも書評の数も多い。本の題名が一人走りをしてしまっているようですが、日本企業の社会構造の問題点を突いた本なのですが、このような社会にしたのは小泉構造改革のせいなのだ。具体的に言えば人材派遣業法が改正されて一般的な職種にも派遣社員の活用が可能になった事で、企業は一斉に派遣社員に切り替えてしまった。
最近では都市銀行に行くと窓口には中年の女性が多くなりましたが、彼女達が派遣社員なのだ。彼女達を派遣しているのは銀行の子会社からの派遣社員であり、正社員の若い窓口係とは見ただけでも違いがわかる。しかし派遣社員となるとモラルは落ちるから使い込みなどが発覚してニュースになった事がある。
この本では新規採用を絞る反面、その穴を派遣社員が埋めている事を指摘していますが、そのような構造が長く続けば技術を持った社員が定年退職した時にその技術を引き継ぐ人材がいない事に気がつくようになる。最近では日本が誇る自動車メーカーでも大規模な欠陥自動車問題が起きていますが、部品などを未熟な下請工場などが作っているからだ。
以前なら下請けでも親会社と子会社は密接であり、安定した雇用関係が技術の伝承を守っていた。しかし最近はコスト優先で子会社を切り捨てて外部に発注するようになった。ソニーの欠陥電池などもベテランの製造技術者がいなくなって海外の子会社に作らせていることから発生した。
だから最近では製造業も工場などを国内に回帰している所もありますが、海外では労働事情から製造技術の熟成や伝承が難しいからだ。中国などでは技術を覚えると直ぐに辞めて同じものを作り出す。これでは製造業は成り立たないが日本企業は今頃気がついたようだ。
このような事は製造業だけではなくサービス産業にも起きており、正社員の年功序列を維持しつつ、人件費を切り詰める為に新規雇用を絞る反面、その穴を派遣社員が埋めるようになった。今までなら若い正社員がしていたようなことを派遣社員に同じ事をさせても人件費は半分で済む。しかも派遣社員のほうが都合が悪くなればいつでも切れるからだ。
このように一見したところ企業の体制は変わらないように見えて、現場作業は若い正社員ではなく派遣労働者が担うようになっている。格差社会とは中高年の正社員が1000万円以上の高給を取り、派遣社員が200万円で現場作業をしている社会なのですが、若い正社員にとっても中高年社員が辞めない限り上には上がれず、その事に30代で気がつくようになる。
年功序列は高度成長期にしか成り立たない制度なのですが、公務員はもとより大企業でもいまだに健在だ。だから誰もが知っているような大企業に正社員として採用されても若者は3年で辞めて行く。若いときに我慢して働けば中高年になった時に報われると言う嘘には騙されなくなっているのだ。
今の大企業は課長や係長などの管理職ばかりで平社員は一人で、あとは派遣社員が埋めていると言った会社が多い。だから若い平社員が酷使されて体を壊して辞めて行く。年功序列社会のしわ寄せを若い人に負い被せているのですが、新規採用で絞られて、幸運にも入社出来ても過重労働で辞めて行く若い人が多い。中堅管理職以上は現場作業は出来ず、一日中机でハンコを押しているだけで高給がもらえる。
将棋では「歩のない将棋は負け将棋」と言う言葉がありますが、若くてよく働く社員がいてこそ会社は発展するのですが、雇用を守ると言う名の下に部下のいない管理職だらけの会社が発展するはずが無い。そのような事は堺屋太一氏が何十年も前に予測していた。労働組合も雇用を守る事に一生懸命で年功序列を守る方に回っている。
労働組合が強い国は若者の失業が多いのが特徴だ。日本もその傾向になってきてニートやフリーターが増える一方だ。その結果起きるのが若者の非婚化と少子化社会の到来だ。年収が200万とか300万では結婚も出来ず、出来ても子供も一人がやっとだろう。企業にしても働かない中高年管理職を首にして若くて働ける社員を増やせればいいのですが、そんなことをすればマスコミもたたく。
年功序列型社会は儒教倫理ともマッチしやすくて、なかなか崩す事は難しい。いくら有能でも若い人が出世する事は日本ではまず無くて自分で創業するしか若くして社長になれる道は無い。ホリエモンなどのベンチャー企業家が持て囃されたのも、その存在が珍しいからですが、日本の教育は企業家を育てるようには出来ていない。
私自身は銀行を14年ほどで退職して不動産業に転職して起業した。いずれ年功序列社会が破綻する事はわかりきっていたことで、今の若い人にアドバイスできるとすれば、サラリーマンを我慢して10年働いて金を貯めて仕事を覚えて独立する事が一番だと言う事だ。今の日本企業はいくら有能でも出世はさせてくれない。ならば独立して起業するしか道は無い。