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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu131.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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携帯電話で大学生も中学生なみ学力に低下している。
子供のパソコンやテレビ鑑賞は一日2時間以内に制限せよ
2006年11月12日 日曜日
NHKクローズアップ現代より
携帯メールをする時間と学力とは反比例する
最近の大学生は文章の読解力も中学生なみしかない
◆携帯が学力低下の原因 2005年4月6日 子供をニートにしない親塾
http://cvoff.cocolog-nifty.com/oya/2005/04/post_6.html
携帯電話の利用時間1日3時間以上43.1%、家で勉強しない高校生45%
家で全く勉強をしない生徒の割合が、中学生の3人に1人から、高校生になると2人に1人に跳ね上がる。
4当5落(4時間の睡眠で合格、5時間も寝たら不合格)と言われた時代が日本にもあった。ところが4時間以上、家(塾で勉強時間は含まず)で勉強している高校生が1割もいない低学習大国日本が浮き彫りになっている。
大学生の学力が落ちている、国立大学の学生でも国語力が中学なみの学力しかない人も少なくないという。それを裏づけるのが、1996年以降の携帯電話の急激な普及と携帯料金の低額化と比例するように、携帯の使用時が伸びて、勉強の時間が削られていると思われる。
また、メールが来たら返すのがルールとなっているらしい。返事をしないと無視をしていると思われるとも聞いている。中には1日100本のメールをやり取りする高校生も少なくないという。深夜までメールの返事を書いている結果、学校では居眠りをしてしまう。そんな光景が浮かんできます。
携帯が普及して年中友達と通じた結果、自分でじっくり本を読んだり、勉強をしたりする「自分の時間」を持つことが不可能になってきたのです。学力低下と、小学生並みの学力(思考能力)しか有していない大学生がびっくりするくらい学内に増殖した原因は、携帯電話とゲームにあるのではないか。
◆睡眠不足で学力低下 2004年12月20日 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20041220ur05.htm
「学力低下の根本原因は、ゆとり教育ではありません。睡眠不足です」。広島県尾道市立土堂(つちどう)小の陰山英男校長(46)は、11月に開かれた来年度入学生の保護者説明会で断言した。「百ます計算」などの反復練習の普及で知られる陰山校長は、早寝早起きなどきちんとした生活習慣が身に着いていないことが、学力低下の根本原因になっていると説いた。(丸山 謙一)
◆「百ます計算」の陰山英男校長が仮説
2日間続けて、土堂小の体育館で開かれた説明会。初日には、約50人の保護者が集まった。
「私は土堂小の1年間で、学力低下に決着を付けたと考えています」。陰山校長は熱っぽく語り始めた。
土堂小は、地域の声を学校運営に反映させるコミュニティースクールの実験校に、文部科学省から指定されている。校長を公募して、兵庫県の公立小教諭だった陰山校長が昨年度着任。計算、漢字の反復練習や英語などの独自教科を試行している。学区に関係なく、市内どこからでも通える。
陰山校長は、パソコンを駆使して、学力テスト、ソフトボール投げ、50メートル走、不登校の数など、様々なデータをスクリーンに映しながら、自説を披露した。「この20年間で低下したのは、学力だけではありません。体力も気力も、生きる力そのものが落ちています。では、いつからどうしてこうなってしまったのかを考えましょう」
●点差くっきり
陰山校長は、85年ごろと93年ごろに、体力や不登校、校内暴力のデータが同時に2段階で変動していると指摘して論を進めた。
まず、85年前後の時代背景として挙げたのが、アジアの生産力拡大による安いテレビの普及だ。「さらに、子どもたちの生活を一変させるある商品が発売されました」と述べて、任天堂の「ファミコン」を紹介。ゲームソフト「ドラゴンクエスト三」の発売(88年)も、「歴史的事件」と位置づけた。
同時にレンタルビデオ店の急拡大も重なり、「子どもたちの睡眠時間が急速に減少したことが推測される」との仮説を提示した。
引き込まれる父母に、陰山教諭はたたみかける。「学力低下と睡眠不足を結びつける画期的なデータが、広島県教委から公表されました」
県内の5年生を対象に昨年6月に調査したところ、5時間睡眠の子は学力テストの平均点が国語62点、算数66点。ほぼ睡眠時間と比例して点が上がり、9時間の子は国語70点、算数74点だった。「現場で薄々感じてきたことが、裏付けられた」と陰山校長は言い切った。
●「ゆとり」の誤解
元気を失っていた子どもに、90年代の「ゆとり教育」が訪れた。「自ら学び自ら考えることを重視するのはいいが、読み書き計算をきちんとさせることが忌み嫌われ、子どもが『しんどい』と言ったら、やらせなくなった」と陰山校長。
これに、95年ごろからパソコンや携帯電話の普及が重なり、2段階目の変動が起きた、と分析した。「学ぶ土台がない子に、百ます計算や漢字学習をやっても、嫌がるだけ」
うなずく保護者たちに、陰山校長は全国の学力診断で土堂小の平均偏差値が、1年間で国語が5・6ポイント上がって59・5、算数が6・8ポイント上がって59・7に達したと報告。
実は、陰山校長が昨年度強調し続けたのは、「早寝早起き、朝ご飯をきちんと食べること、テレビは1日2時間以内」の3つだった。
保護者もこれに応え、土堂小では今年5月の調査で、6年生でも70%が午後10時までに寝ていた。テレビの時間も、6年生の70%が2時間以内。家での勉強時間は、7割弱が1時間半以下と、意外に短かった。
陰山校長は、「学力向上は学校だけではできません。家庭と一緒の作業です」と話を結んだ。
(私のコメント)
昨日も「たけしの日本教育白書」と言う6時間のスペシャル番組を見ましたが、学級が崩壊していると言うよりも、その前に家庭が崩壊してしまっている事が問題だ。給食費を払わない母親が二人出ていましたが、日本もこんな母親が出てきたようでは日本の崩壊は間近いだろう。子供の携帯に6万円も使っているのに義務教育の給食費は払う必要がないというのだ。
朝に子供を起こす事ができない親や、朝食を作らない親が多くなって、朝の給食をする学校まで増えてきてしまっている。いじめや不登校も確かに問題ですが、一番先に手を付けなければならないのは家庭の崩壊をどのように防ぐかの問題だ。
私の周りにも子供を躾けられない親が沢山いて、子供の躾を学校の先生に丸投げしているのだ。だから子供のいじめによる自殺問題が、誰の責任か問題になっていますが、先生にも校長にも教育委員会よりも子供の親に一番の責任がある。しかしマスコミは親の責任はあまり追及しない。
「子供をニートにしない親塾」のブログによると日本の高校生は学校以外では45%が勉強せず、携帯やメールをしている時間が異常に長い。また睡眠時間も夜中の0時以降に寝る高校生は58%と世界に比べると異常に多い。これではとても教育的には良くなく、脳の発達には睡眠時間が重要な役割を果たすのですが、大学生が中学生なみの学力しかないのは携帯やパソコンやテレビなどに時間を費やしすぎているからだ。
携帯メールは文章を書いているようで、パターン化した短文をやり取りしているだけで文章を書いているとはいわない。「クローズアップ現代」でもその点を指摘していましたが、語彙力がどんどん落ちてきて、最近の女子高生は何を言っても「むかつく」とか「やばい」とかしか言えなくなっている。これでは思考能力もほとんど無いと言ってよく、感覚で物事を判断するようになる。
私が株式日記を書き始めたのはキーボードのタイピング練習のためですが、最初は僅か数行の文章を書くのも往生していましたが、タイピングが上達するにつれて最近ではコメントだけでも原稿用紙5枚から10枚ぐらいの文章を書いている。時間にして1時間から2時間ぐらいですが、これくらいならサラリーマンでも書けそうなものですが、ブログなどを見ても文章作成力がないのは仕方がないのかもしれない。
「たけしの日本教育白書」を全部見たわけではないのですが、最近の教育問題で携帯やテレビやパソコンなどのやりすぎの問題点を指摘していなかった。根本的な解決のためにはイギリスのような全寮制の学校に入れるしかないようだ。学生全員がテレビのない環境にして、テレビを見ないと友達との会話について行けないと言った事を無くさせないとテレビを見ざるを得なくなる。
このように中学生なみの学力の大学生が社会で働くようになって、仕事で使う言葉の意味が分からなくて問題が起きてきている。だから職場で漢字の書き取りテストをしたりして再教育している職場が増えてきている。いったい今の学校は何を教えているのだろうか?
先日は東大生の社会常識を知らない点について書きましたが、東大に入るような優等生でも、東京と札幌の距離はどれくらいかと試験に出されて、30キロと答える学生もいると言う。札幌がどこにあるのか知らなかったのだろう。知識や学力の内容が非常にいびつなのだ。
私は学生時代は知識欲も旺盛であり本ばかり読みあさった。社会人になって本を買うお金も出来たので学生時代以上に本を読むようになった。最近ではネットのブログなども読んでいるが、読み応えのあるブログが非常に少ない。普段から本も読まず、文章もほとんど書かないのではブログを書けるはずも無いのだ。