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□【夕刊JanJan】必修漏れをうんだ高校間の過当競争
http://www.janjan.jp/media/0610/0610270538/1.php
【夕刊JanJan】必修漏れをうんだ高校間の過当競争 2006/10/27
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【お昼に高校生の娘からメールが。
『うちらも被害者だったよ。これから世界史の他に日本史もならなくちゃ』って。
娘は、特進科なので勉強の進み方が早くて早くて、もう次の学年の勉強をやっています。
ただでさえついていけていないのに、もっとやらせるんかいな。
3年生は辛いと思いますよ。
受験科目以外にまた補習するのは。
うちは3年じゃないのでまだ少しは良かったのですがね】(たそがれてレスポ香水漬け)などと、今、全国をお騒がせしている「高校、必修もれ」事件。
首相や官房長官らはさっそく、県教育委や文部科学省に「学校の監督強化」を望むような発言をする(*)。しかしまず、高校は学習指導要領を厳守すべきなのか、そこも疑ってよいではないか、と個人としては思う。ほうっておけば、この問題は、県教育委や文部科学省の「学校の監督強化」でおわってしまい、現場はますます息苦しくなり、日本の教育はますます悪くなるような気がする。(* 教育基本法改正の本格審議前に、このような不祥事が拡がって発覚したことは、現政権にはさぞやラッキーだろう)
高校時代の内申書を見たことのある「市井の法律家」さんは(ある受験(就職)に関連して)
【仕方なく、高校時代の担任にコンタクトを取り、内申書を出して貰った。
コイツはしかし、受験の頃と違ってオレが直接受取るのであるから、中身は見放題である・・・え???世界史「5」???って、オレ、取ってないよ、世界史???
全体に怪しげに「5」が並び、その内申書上の僕は、メッチャ優等生であった・・・
どうなんでしょ?これって・・・何だか今の報道そのまんまのような気もするのであるが・・・今のところ、騒ぎは高校止まりで、大学側は在学中の学生の過去までは調べない、と言ってくれてるみたいなので、大学生諸君は安心みたいだけど・・・本気で過去を洗い出した場合・・・アナタの人生も、大きく狂ってしまうのかも???】という。
「気まぐれにっき −ひとりごと−」さんは
【高校とか。未履修が問題になっているようですが。
私が現役の頃から1、2年のときに急ぎ足で3年までの内容おわらせて、
3年のときは全部受験勉強対策……とかいう学校はあったような。
自分の通っていたところだって、「この範囲は受験に出ないからとばします」って言われたこともあるような。
っつーか、勉強って受験のためにするの?ってそのときは正直思った。
何でもかんでもゆとり教育の弊害っていうのはどうかなって思った今日この頃。
そもそも「受験ありき」の勉強がどうかと、私は思う】と書いている。
かくいう私の周りにも、私を含めて、在籍した高校はそんなに厳格に学習指導要領を守っていなかったのでは、と回想する者は少なくない。
ちなみに学習指導要領は【小学校、中学校、中等教育学校、高等学校、盲学校、聾学校、養護学校の各学校と各教科で実際に教えられる内容とその詳細について、学校教育法施行規則の規定を根拠に定めている。国立学校、公立学校、私立学校を問わずに適用されるが、実際の状況では、公立学校に対する影響力が強い一方で、私立学校に対する影響力はそれほど強くない】
【各教科の単元の構成やその詳細が指示されているが、法令ではない。しかし、学校教育法施行規則に基づいて定められているため、その効力については議論があるが、裁判所の判例によると、一部法的拘束力とするには不適切な表現があるものの、全体としては法的拘束力を有する、と判断されている】(ウィキペディア)
今回の「必修もれ」事件、全貌はいまだハッキリしないが、地方の受験校で多くおきているようだ。【学習指導要領で必修とされている世界史などを、高校が生徒に履修させていない必修漏れ問題は、瞬く間に全国に広がった。背景には構造的なゆがみもありそうだ。大学受験という現実と、学習指導要領がかみあっていない、という指摘もある】(東京新聞)
受験対策は予備校の仕事、と思ってしまう人々も多いようだが、予備校はなく大学受験の面倒を高校が見なければならない地域で「必修もれ」事件は頻発しているようである。(もっとも地方の私立校、都市部の公立校でもあいついで「必修もれ」が明らかになっている)
地方在住者の「kichiのちょっとした話」筆者は
【もっと腹立たしいのはテレビのコメンテータや政治家によっては「ただけしからん」しかいってませんけど、「東京などの大都市」で「私学」を出た人には言われたくないですね。それこそ、地方の現状や受験中心とした普通高校の姿勢について全く理解していないでしょ。
そこまで断言しているのであれば、その現場で生活してみて欲しい。すべて大都市のように整っていない場所でどう取り組むべきなのか。自由裁量としていい部分はどこなのか、議論しそれを地方にフィードバックして欲しい】と怒り心頭だ。
現役塾講師&家庭教師の「学びの情報館」筆者は
【結局、大学入試から変えていかないと,根本的な解決にならない気が・・・
にしても,この時期に卒業出来ないかもなんて言わる高校生が気の毒ですよね。冬休みが受験の正念場なのに、その時にずっと世界史の授業を受けろじゃ、ひどすぎますし。受験が終わってからの補習とかで上手く対応して欲しいと思います】という。
1947年に始まった学習指導要領は、1960年までは【手引きという立場であり、各学校での裁量権が大きかった】(ウィキペディア) 公立学校に対して強制力を持つようになるのは1961年からだ。
学習指導要領には、1971年に
【1950年代、ソ連が1957年に人工衛星スプートニク1号を打ち上げたことは、アメリカの各界に「スプートニク・ショック」と呼ばれる衝撃が走った。アメリカ政府は、ソ連に対抗するためにまずは学校教育を充実し、科学技術を発展させようとした。これに伴って「教育内容の現代化運動」と呼ばれる、小中学校からかなり高度な教育を行なおうとする運動が起こった。この運動が日本にも波及し、濃密なカリキュラムが組まれたが、授業が速すぎるため「新幹線授業」などと批判された。当時は、公立学校も私立学校もあまり違いがない学習内容だった】(ウィキペディア)
という「現代化カリキュラム」が導入された。
こういうところが、いかにも日本の教育行政(史)はアヤシイ。冷戦に勝つために米国の公教育はあって、高度経済成長のために日本の公教育はあったのだろう。教育を良くしようとするならまず、教育は、何のために、誰が行うのかを明確にすべきではないか。
私が垣間見る限り、すくなくとも日本の教育は今、リンカーンではないけれど「人々の、人々の手による、人々のため」のものではないだろう(誰の、誰の手による、何のものか、少なくとも私にはわからない / 内閣や国会、有識者らは「教育改革」をもてあそんでいるようにしか見えない)。教育基本法も「人々の、人々の手による、人々のため」という理想に向かっては改正されそうにない(高等学校の教育は、かなりの数の高校で大学受験のためにある / しかし(いわば)「地方の普通高校は他にすべがなかろう」というのが「kichiのちょっとした話」の指摘だ)。
学習指導要領が変質する頃(1960・70年代)から日本社会では、たとえば、トヨタと日産、ソニーとパナソニック、というように企業間の競争は熾烈になったのではなかろうか? 競争は今でも、たとえば、セブンイレブングループとイオン、docomoと他の携帯電話会社間などで激しく続いている。
私たちは今、学校では成績を争い、入る学校を競い、いい就職先を競い、いい伴侶を、いい住居を、高い年収を争う。そして子ども達を競わせる。地域間格差は深刻で、高校生の頃から下宿を強いられる過疎地は少なくない。代議士や政党は民主選挙のもとで得票数を争い、官僚たちも「改革」を競う。やる気の有無や、勝ち負け度は人によってさまざまだが、そういう過度の競争社会にあって、今、高等学校にだけ競争をやめさせようとしても無理なのではないか?
競争にはもちろん、何がしかのメリットはある。しかし本気で教育を変えようと思ったら、私たち自身が競争をやめるか、「ほどほど」に留めるしか策はないのでは?
(片町みどり)