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家族愛という正義 元村有希子
長野県の医師が実施した「祖母が孫を産む」代理出産は、医療とは何かを問うている。
子宮を失った女性が、50歳代の母親の子宮を借りた。母親は「命を懸けても」と医師に申し出、閉経していた体を女性ホルモン注射で妊娠できる状態に戻したという。無事出産できたものの、2度目の更年期障害に見舞われ、自律神経失調症を1年わずらった。
15日の会見で医師は「親子愛から始まった。目の前の患者を放っておけない」と強調した。
私は素直に受け取れない。代理出産は、日本では学会が禁じている。それを無視していることもだが、「愛」の名の下に、家族が危険を負わされていることについて、無頓着過ぎないか。
生体臓器移植も似ている。多くの場合、臓器提供者は親族である。
体をメスで傷つける行為は、「それによって病を治す」という目的があるから免罪される。ところが生体移植は、健康な人の体から臓器を切り出す。もともと、脳死の臓器提供が望めない状況での「緊急避難」として広まった手術だ。リスク覚悟で家族が手術台に乗るほかなかった。
臓器移植法の施行前、重い肝臓病の少女を取材した。彼女は外国で脳死者から肝臓提供を受け、生き延びた。「募金に頼る前に妹が肝臓を提供すればいい」と言う人もいた。「私は2人の娘を傷つけなければならないのですか」。父親の苦悩を思い出す。
自己犠牲を尊いと思う感性が日本人には強いと言われる。代理出産も生体移植も一見、美談だが、誰の犠牲も強いない医療こそ、本当の医療だと私は思う。(科学環境部)
毎日新聞 2006年10月18日 0時05分
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/hassinbako/