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核心
2006.09.25
治安悪化説に異論
少年による凶悪犯罪が増えるなど日本の治安は悪化しており、今や危機的状況にある−。そう思っている人は多いのではないだろうか。本社加盟の日本世論調査会が今月行った意識調査でも、八割の人が「治安は悪くなっている」と答えた。こうした「治安悪化説」に疑問の声が飛び出した。異論の主は、久保大・元東京都治安対策担当部長(60)。昨春まで都の緊急治安対策本部の副本部長だった治安対策のプロだ。「治安悪化説」や、それに基づく行政施策のどこに問題があるのか、久保さんに聞いた。 (社会部・加古陽治)
――「治安の悪化」について盛んにいわれるが、実際はどうなのか。
「統計数値を根拠に、最近になって犯罪が増えているというのは一種の錯覚。例えば犯罪の認知件数は被害者が届けるかどうか、警察が面倒くさがらずに受け付けるかどうかで増減する」
「犯罪件数は氷山と一緒で、全体の大きさは変わらなくても(警察や人々が)水位を上下させることで、水面に出ている部分が大きく見えたり小さく見えたりする」
――なのになぜ「治安の悪化」という言葉が独り歩きしたのか。
「ベストセラーを生むためには、作者のほかにその作品を売り込む者も必要だ。あえて作者を挙げるとすれば警察。警察は財務省から予算と人員を獲得したり、存在感を高めたりするために『治安の悪化』という言葉を持ちだし、利用した。マスメディアも好んでそれを語り、支持した」
――必ずしも事実とはいえない言説が一般に受け入れられた背景は。
「所得格差が拡大したり雇用に不安があったりして、人々の間に漠然とした不安感・閉塞(へいそく)感が背景にあるのだろう。実際はよく分からないのに『犯罪が増えている』と言われると納得してしまう。『川沿いをジョギングしていた女性が外国人に襲われた』というたぐいの都市伝説(デマ)と同じ構図だ。誰によって作られ、どのように広まってきたのかを説明することは難しいが、これも外国人に対する漠然とした不安感があったからこそ広まった」
――「治安の悪化」という言葉の広がりは、行政の施策にどのような影響を及ぼしたのか。
「全国の自治体に広がっている施策は、ほとんどが的外れであり、時には有害でさえある」
「政策には必ず光と影の部分がある。政策を担うものは光と同時に影の部分も自覚し、その政策の当否を判断しないといけない。そこに公的な力の自制が生まれる。しかし、こと『治安』については、そうした配慮は一顧だにされない。まるで何かの強迫観念に取りつかれているかのようだ」
「その結果、これまで行政や法律が介入しないことを基本としていた領域、倫理・道徳の領域への規制や指導が正当化されるようになった。例えば、電車内で痴漢をするのは犯罪で、携帯電話で大声で話すのは“音の暴力”になるから指導の対象にするのは分かるが、今や女性が化粧をすることまで“善導”の対象にされようとしている。しかし、これは誰かが直接被害を受けるわけではない。不愉快な行為ではあっても、行政が介入すべきことではない」
――担当部長時代に、違和感を持ちながら仕事をしていたとか。
「犯罪の抑止に関して即効的な成果を追求するのは警察の役割だ。行政施策は、背後の要因、負の要因を取り除くことにあるべきだが、私が都の治安対策担当部長になったとき、警察側によって既に施策が用意されていた。外国人とか少年、ニートなど、次々とスケープゴートにしては、人々の関心や社会の憤りを向ける施策がとられた」
――それで辞めてから本を書いたと。
「都の内部でも、いつの間にか自由に異論を言える雰囲気は失われていた。ましてや警察批判につながりかねない発言となれば、語るためには辞めなければならなかった」
くぼ・ひろし 1946年、東京生まれ。70年から東京都に勤める。都立教育研究所次長、大学管理本部調整担当部長などを経て2003年8月から05年3月まで警察庁出身の竹花豊・前副知事(現警察庁生活安全局長)の下で治安対策担当部長(東京都緊急治安対策本部副本部長)。近著「治安はほんとうに悪化しているのか」(公人社)で、流布される「治安悪化説」や道徳・倫理への公権力の介入に疑義を唱えた。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20060925/mng_____kakushin000.shtml