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[AML 8413] レバノンで燃えているもの
二見孝一 kfutami at mrh.biglobe.ne.jp
2006年 7月 27日 (木) 10:15:37 JST
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二見@みどりのテーブルです。
レバノンで戦火が拡大しています。
知人からのメールを転送します。長文ですが、許可を得て転送します。
No Action No Change!
行動し、変えていきましょう。
========== その1
友人に送ったメールを転送します。
長文ですが、お時間ある方は読んでいただけると幸いです。
そしてイスラエルへ爆撃停止を求める署名にサインを
お願いします。。。
皆さんご存知のとおり、シリアの隣国レバノンが
イスラエルの攻撃にさらされています。
レバノンという国がどんな国か知られていないですよね。
カルロス.ゴーンさんはレバノン系です。
レバノンの状況はひどくなる一方です。頭の中は
レバノンのことでいっぱい、何をしていてもため息が出ます。
現地の友人からは
「いつまでも私のこと覚えていてね、たとえイスラエル人が
私を殺しても」
というメールが届きました。
胸がはりさけそうになりながら、戦況を見守ることしかできません。
レバノンは「中東の鏡」とされるくらい、複雑な宗教のモザイク(16の宗教)
で成り立ち、歴史の中で周辺諸国の事情や利益のために、
侵攻、内政を翻弄され、犠牲になってきたといっても過言でない地域です。
またレバノンの変化は周辺諸国のパワーバランスに
大きく影響を与えるものです。
イスラエルやシリアをまきこみ、IDマーダー
(IDカードで所属や宗教をチェックし、自分と違う相手なら
殺すか、殺されるか)のような大内戦が20年続き、
1989年にようやく内戦が終息し、
かろうじて繊細なバランスを保ってきたレバノン。
今そこを徹底的につぶそうとしているのは、中東全体の
安定を壊したいとしか思えません。
シリアにはこれまでもイラクからの避難民が押し寄せていましたが
今レバノンから15万人が逃げてきています。
私にとってレバノンは単に旦那の母国のお隣というだけではない、
とても特別な国です。
私は大学時代レバノンのパレスチナ難民のことを研究していました。
初めてシリアに行ったのは大学4年の夏、3ヶ月の滞在の最後に、
日本のNGOのレバノンでのワークキャンプに現地で
合流させてもらうことになったのがレバノンとの出会いでした。
当時の私はアラビア語は挨拶程度しかできませんでした。
留学先から合流するという私にNGOの人や参加者は
語学ができると期待していたようで、
私はものすごいプレッシャーの中、3ヶ月間、
レバノンのパレスチナ難民と話したくて猛勉強しました。
3ヵ月後レバノンに入り、いくつかの難民キャンプを
参加者と共に巡りました。聞き取り調査では英語の通訳が
ついていたのですが、私はなんだか表面的にしか聞けていない
ような気がしました。何日目かに通訳の方がおなかをこわし、
私たちは自分たちで直接質問せざるをえない状況に
置かれました。
私は片言のアラビア語で一生懸命に話をしました。
かろうじての意思疎通。
それでも参加者から「英語で聞いている時と彼らの表情が違う。
彼らがもっと語ろうとする、わかってほしいという情熱を感じる。
訳してくれて本当にありがとう。」と言われました。
私も実際違いを感じました。英語で聞いていたときは
隅っこにいたおばあさんが、アラビア語になると身をのりだしてくる。
子供の何気ない叫びがわかる。
その時から、それが私にとって語学を学ぶ意味となりました。
翌年1年間シリアに行きましたが、私がアラビア語を
習得できたのは、レバノンで出会った彼らのおかげだと言えます。
中途半端では終われない、そう思って人の倍勉強したつもりです。
当時レバノンの難民キャンプはガザやヨルダン川西岸より過酷な状況で
困窮率もパレスチナ難民キャンプの中でもっとも高かった。
レバノン人からの差別も厳しいもので、
今も市民権のないまま、15000もの職業を禁止され、
彼らは生きています。
そしてレバノン人もまた、イスラエルやシリアや大国など
様々な思惑で介入、侵攻される中で、その怒りや悲しみを
パレスチナ難民にぶつけるしかなかったのでしょう。
とてもとても悲しく複雑な国、そこが今燃えている。
最初にレバノンに行った時に出会った少女オラ。
当時9歳だった彼女は17歳になりました。
キャンプで暮らすパレスチナ難民3世です。
私のことを本当の姉妹のように思っていてくれます。
私にとってもかわいい妹分で、不思議なつながりで
8年間連絡を取り、向こうに行くときには必ず会っていました。
彼女が送ってきたメールが冒頭に書いたものです。
「電話線も切られる。このメールがあなたのところに届くか
どうか。心配してくれて本当にありがとう。
お姉さん、いつまでも私のこと覚えていてね。
たとえ、イスラエル人が私を殺しても。」
そこでメールは終わっていました。
私は彼女にいつも勉強しっかりするように、いい続けてきました。
パレスチナ側に陥りがちな、全てをイスラエルのせいにし、
単純に敵視するような子になってほしくなかった。
「一生懸命勉強して、世界と対等に肩を並べられるような
力をつけてほしい。そしてあなたの言葉でいつかメッセージを送るのよ」
私はそういい続けてきました。彼女は実際よく勉強しました。
今年の夏には初めて海外へ。
フランスとノルウェーで、パレスチナのための平和活動を
続けるグループに招待され、交流する機会も持てたようです。
けして簡単にイスラエルの悪口を言う子ではありませんでした。
このメールはきっと怒りではないんです。17歳の悲しい達観。
自分ではどうしようもできない、
自分の家が爆撃されるかどうか、明日生きているかどうか、
自分では決められない、わからない、
それが彼女の今の状況です。彼女の街も爆撃されています。
大学の卒業式の日。帰宅したら彼女からの手紙が
届いていました。卒業して留学することを決めたものの、
皆が就職していく中不安に思っていた私に
「あなたを誇りに思っている」と書いてくれたオラ。
テレビ局に就職することが決まったとき、
「友達に私のお姉さんは世界一のジャーナリストに
なるんだって、話したよ。」
いつだって彼女は私を励ましてくれました。
そんな彼女はいつしか、私のようにジャーナリズムの場で
仕事をしたい、そう言い出しました。
私は中東を伝えたくて、この業界に入った。
でもまだ何もできていません。
彼女の前で私はジャーナリストだなんて言えない。
今だって抱えている番組の取材は難航して
うまくいきません。
ただ毎日を祈って過ごすことしかできない。
無力です。
どうかレバノンに少しでも思いをはせてもらえませんか。
戦争が生まれている。
私は911でもイラクでも何もわかっていなかった、
今そう思います。
本当に大切な人に戦火がじわじわと近づき、
彼女が危険にさらされていても、
何もできない、それが戦争なんでしょうか。
レバノン攻撃に対して何かしたいと思ってくださる方へ
イスラエルへの攻撃停止を求める署名サイトです。以下。
興奮して長文すいません。アッサラームアライクム(あなたに平安を。)
(転送歓迎)
> 署名サイト http://julywar.epetitions.net
> 英語で分からないと言う方も、このページの下の方に
> First Name (名)
> Last Name(姓)
>
Email
> とあります、ここに記入して下の”Sign Petition"を押すと、記入したメール
アドレスに一通のメールが届きます。
> ここからが重要! これは署名の確認メールです。
> メールに記載されたURLにアクセスして承認して下さい。
> そして署名完了です。
> この署名でイスラエルが攻撃を止めるかは分かりません。
でも何もしないよりは・・・。
============ その2
中東関係者や団体の多くは両方に攻撃停止を呼びかける
文章を出しています。
ただいつも私が思うのは、イスラエルという圧倒的軍事大国は
この方法でなくてもいいだろうにという行動を繰り返すことです。
(もちろんアラブ側にもそういう時はありますけど。
私ももっと頭と国際社会使え!とアラブ側に言いたくなる時も。)
若いパレスチナ人やアラブ人男性を
テロリストの可能性があると手当たり次第、
服を脱がせ、手を上げさせて、必要以上に逮捕している
イスラエル軍。(それを子ども達の目の前でわざとやり、
親の権威を失わせる。特に肌をあらわにすることに
抵抗があるアラブ社会でパンツ一丁になる
意味がわかるでしょうか。)
ヒズボラがイスラエル兵2名とひきかえにイスラエルの刑務所にいる
多くのアラブ人の釈放を要求した時に
なぜイスラエルは攻撃という方法しか取れなかったのか。
ヒズボラはこの要求をするのは初めてではありません。
そしてイスラエルのレバノン爆撃も今回が初めてではありません。
私が初めてレバノンに行った1998年も発電所や幹線道路を
爆撃し、私は電気のないホテルでろうそくで過ごしました。
その後も度々攻撃していますし、軍事演習という名目で
レバノン南部を飛行し、落ちた爆弾で羊飼いが亡くなるという
ケースも起こっています。
2000年にイスラエルがレバノン南部から撤退したときも
私はシリアにいましたが、どれほどレバノン人が喜んだことか。
その撤退にはヒズボラの抵抗攻撃がありました。
だからこそレバノン人はヒズボラは自分たちの思いを実現して
くれると、選挙で投票し,政党としての議席を得たのだと思います。
(何度も言いますが、ヒズボラの攻撃を支持しているわけでも
肩入れしているわけでもありません。)
私も南部の国境に行きました。
レバノンやパレスチナの子ども達が国境に向かって石を投げる、
この憎しみはなんなのだろうか。
投げられるほうの兵士もまだ若かった。
捕虜となったイスラエル兵も、もしかしたら、兵役だから
しょうがなく行っていた、若い子たちかもしれない、と思うと
また胸が痛みます。家族は気が気でないでしょうし。
兵役拒否をすると逮捕されるような社会ですから、
私もイスラエル人だったらどうするだろうか、
任務でガザや西岸に行かされたらどうするだろうか、
兵役拒否できずに、命令に背けずに発砲してしまうことも
あるんじゃないか、、、そう思うとたまりません。
戦争は、そんなどちら側の人間的な言い分なんて
関係なくなります。そこがたまらなくむなしい。
CNNの投票の危険性もわかっています。
それでも、イスラエルの攻撃は当たり前、
ヒズボラだけがテロリスト、テロリストなんだから
やっちまえ、みたいな論調がアメリカや西側に
あまりに多いことに悲しくなります。
イスラエルという国の軍が、人殺しをしたら、正当防衛
ヒズボラという政党の軍隊が人殺しをしたらテロリスト、
やっていることは同じなのに、、、、と思います。
イスラエル攻撃に「NO」という観点があるなんて知らなかった
という人にとっては、なぜ「NO」をつける人が過半数いるのか、
考えてほしい、そう思うくらい
完全「YES」の人がいるのです。
どちらが多かったから良いということではありません。
軍事力に圧倒的に差があって、
これまで何度もアラブ側が敗北し、妥協してきた歴史の中で
イスラエルは少しは妥協することがあったのだろうか、、、
国際社会にもおおいなる責任があります。
国連のパレスチナ分割案に当事者のアラブ諸国が
どこも賛成していないのに、外野が決めてしまったこと。
例えば沖縄を戦後ずっと米軍がいるし、基地のほうが
民間の土地より多いし、昔アメリカ領土だった時期もあるんだから
アメリカにしちゃえと、
日本は反対したけど、国連で決まっちゃったと
なったらどうでしょうか。
うちのだんなはあきらめて
「世界は弱肉強食だから・・・」と言いますが。
イスラエルの問題を、2000年前からの宗教問題と
言う人がいますが、それは間違いです。
中東にはユダヤ人なんていなかった。イスラエルが
できる前はアラビア語を話すユダヤ教徒だったんです。
お隣さんはユダヤ教徒、うちはキリスト教徒、向かいは
イスラム教徒、、、多少のいざこざはあったし、
歴史的に流血がなかったわけではないけれども
なんとか共に生きてきた。
「ユダヤ人」の概念を持ち込んだのはヨーロッパに他ならない。
その犠牲を払わされているのが「パレスチナ人」に
なってしまった人たちだと思っています。
シリアの首都ダマスカスに暮らすと、モスクからは
礼拝への呼びかけが、教会からは鐘の音が聞こえてきます。
今はユダヤ教のシナゴークはなくなってしまいましたが、
かつてはあった。
そんな混じった空気、それが私の好きな中東なんです。
もちろん暴力行使するのは両者非がありますが、
その犠牲を考えると、世界はあまりに不公平です。
ヨーロッパでのユダヤ差別主義、大国が振りかざした帝国主義や
植民地主義、その名残が今、中東の大地を犠牲にして
燃えているのだと思います。
長くなりすいません。私も未熟なので突っ走っているところ
あると思います。お許しを。
======== 転送ここまで
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