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(回答先: 【驚愕】日本は1898(明治31)年まで一夫多妻制が認められていた---(反米嫌日戦線「狼」(美ハ乱調ニ在リ)より) 投稿者 ミスター第二分類 日時 2006 年 6 月 04 日 23:32:50)
ミスター第二分類さん、gataroさんはじめまして。
主旨からずれまくりと思いますが、以下に少々。
gataroさんがご先祖さまを思い返したように、わたしも
ご先祖さまを思い出しました。
わたしの母方の曽祖父母はキリスト教に共鳴して
徳富蘇峰さんや羽仁もと子さんらとも親交があったらしく
日本に一夫一妻制を広める運動に携わっていたようです。
わたしの母は曾祖母からは初孫にあたり、他の孫たちよりも
その成長が一層印象深いだけでなく、曾祖母自身が嫁入り前の
娘を相手に裁縫の私塾を経営しながら、生徒たちが卒業後
縁あって結婚して家庭を築くときには、キリスト教に基づいた
家庭観を実践するよう女生徒たちに教えていたこととも
無縁ではないと思いますが、祖母(自分からは曾祖母)と
孫(わたしの母)の日常会話の中においてすらしばしば
「まともな家庭に生まれた女子ならばおしろいを塗ったり、
紅をひいたりするものではありません。
そういう事は殿方の気を惹くための特殊な女がするものです」
と化粧をすることを強くたしなめていたそうです。
また、三味線や日本舞踊などは芸事につながるとして
いっさい家庭において習得させてもらえなかったそうです。
これも「まともな家庭うんぬん〜」の理由によって。
ただし、ピアノや絵画は良かったらしく(なぜ日本のものがだめで
西洋のものが許されたのか理由は知らない)
母は幼少のころ自宅に先生をときどき招いてもらっては
習っていたそうです。ただし、バレエはご法度だったそうです。
そうしてみると、曾祖母は西洋のものが必ずしも良い、取り入れるべき
ものではなかったそうですが、あとお琴はなぜか習えたそうです。
また、曾祖母にいわせるとレビューを主婦が見に行くことはもちろん
家庭もちの男性が見に行くことすらをも嫌悪感を抱いたそうです。
結婚したら一夫一妻のもと、つつましやかに暮らし、夕食後などは
家族全員で歌を歌ったり(一例としてサウンド・オブ・ミュージックの
トラップ一家のように)、茶をたてたりしながら家族ですごすのが結婚生活
という考えを強くもって現実に実践していたようです。
今となっては本気で「まともな家庭うんぬん〜」で嫌悪していたのか
単なる曾祖母のし好に合わないものがすべて「まともな家庭〜」の理由に
こじつけられて却下されていたのかは知る由もありません。
ただ、イタリアの貴族階級出身の映画監督ルキノ・ビスコンティも
退廃的な映画を撮影していますし、上流階級にはある種退廃的な
雰囲気も有しているのかもしれないですね。
話は変わりますが、今アフリカでは女子の性器割礼という土着の風習が
西洋社会において問題視されています。日本もお歯黒が消えたり
一夫多妻制度が消えたりと明治期以降、曾祖父母のような西洋のやり方を
良しとする人たちが薫陶したせいか、いくつかの風習は消滅しました。
日本は開国からほどなくして西洋に追いつけで独自の風習を自主的に
消し去ったような印象ですが、アフリカの例に限らず現存するキリスト教
の精神と合致しない世界各地に残る各民族固有の風習をキリスト教を
標準値として残虐視したり、時代遅れと批判するのは果たして良いこと
なのだろうか?と思うときがあります。たしかに性器割礼の習慣のない
国のひとから見れば、残虐に映るだけでなく効用も疑問視されますが
全世界をキリスト教の価値観だけで覆い尽くしてしまっていいのか?
という疑問もぬぐえないのです。ここでの一夫一妻制もキリスト教では
婚姻というのはそういうものかもしれませんが、果たして一夫一妻制のみが
正しい夫婦のありようなのか?と思うと、自分は悩んで即答できません。
かといって、近世以前からも見られた母系社会の男側の通い婚の
ゆるやかな一夫多妻制に戻すというのも、今は一夫一妻が当たり前と
思い込んでいる日本人にとっては、消滅した風習をときどき懐古するに
とどめておく程度がいいのかもしれないと思ったりもします。
しまりのない文で申し訳ありません。