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不況はすでに橋本派が最大派閥の時代からあったどころか、95年には大手金融機関が次々に破綻し、すでに恐慌に突入していたのだ。橋本・小渕時代にすでに自殺者も増加し、地方局でしか流れてなかったサラ金のCMが全国局に流れるようになった。溺れる者が掴んだ藁が小泉改革だったのだ。
以下は資本主義の橋本派と森派と置き換えて見ても良いと思う。↓
資本主義の「アメリカ型」「ヨーロッパ型」「日本型」について
小川 紀
きのう、フランスの暴動に関し書いたこと(「フランスの暴動で思ったこと――歴史の普遍性または必然性ということ」、『ing』前号)のついでに、前から思っていたことを書きますと──
前からよく、資本主義の「アメリカ型」「ヨーロッパ型」「日本型」という3分類をして、「アメリカ型はここは良いがここが欠点」「日本型はここは良いがここが欠点」とする、そういう主張を聞きます。
前にRさんが読んだと言っていた講談社現代新書の著者も、そうして「ヨーロッパ型」を美化していたそうですし、よく言われる「英米型=競争社会はキライ」も同じ認識から出たものでしょう、等々。
だがこの3種は、どれが理想的、どれを選ぶかといった3種ではないと思います。
例えば家を建てるなら、北米風、南欧風、和風、どれにするか、決められるが、かの3種はそういうものではない。
ではどういうものか。
アメリカ型はより自由で、日本型は規制、統制が強かった、ヨーロッパ型はその中間で、日本に比べれば規制、統制は緩いがアメリカに比べれば強い、ということでしょう。
だがこれは資本主義の進化、発展の段階を現しているに過ぎない。
きのうも書きましたが(「フランスの暴動で思ったこと」)、資本主義は自由を求める。
自由でなければ最大限利潤の追求は出来ない。
だがまた自由は安定をそこねる。
そこでバランス、調整が必要となり、がんじがらめの統制社会である封建社会を破って生まれてきた資本主義も、当初は権力による保護、統制を必要とした。が、そうして生産力が発展してくると、やがてこの保護、統制がそのいっそうの発展にとって桎梏に転化していく。ちょうど子どもが、当初は親の保護、統制を必要とするが、やがて成長し、自立、自律のためにはこの保護、統制から脱していかねばならないように。こうして社会は、生産力の発展にともない、順次、この保護、統制から脱皮していった。
アメリカも、初めから今日の「アメリカ型」だったのではない。経済学者(フリードマンら)、つづいて政治家(レーガンら)が「自由」や「小さな政府」を主張するようになったというのは、アメリカでさえ(と他の社会からは見える)保護、統制が強い、政府が肥大化していると感じられるようになったから、ということでしょう。
(05・11・16)
中略
「日本の生き方を論じるときに、しばしばヨーロッパのことが引き合いに出される。その際よく目にするのは、2つの対極的な見方だ。1つは『ヨーロッパ化石論』。歴史と伝統にあぐらをかき、新しい時代に対応できない。老いた地域、とする。もう1つは『ヨーロッパ理想郷論』。ヨーロッパは日本のようにアメリカの物まねをせずに、誇りをもって自分たちの生き方を貫いている、とする」「98年から2年間という短い期間ながらヨーロッパで経済を中心に取材を進めているうちに強く感じたのは、どちらの見方も誤っている、ということである。2つの見方に共通しているのは、『ヨーロッパは基本的に大きく変わらず、伝統を守りつづけている』という先入観だ」「確かに、歴史の匂いが残る落ち着いた街並みを歩くときに感動を覚えるのは、風雪に耐え何世紀もの年月をくぐり抜けてきた、その『不変の姿』である」「だが、変わらぬ風景の陰で起きているのは、ここ数十年みられなかったような大きな激変である」
として日経記者が綴ったルポ(実哲也『国が溶け、人は目覚める──ヨーロッパ新世紀の風』、日経文庫、01・4)で紹介されているのは、まさに保護、統制から脱却してヒト、モノ、カネの動きをより自由なものに変えていきつつあるヨーロッパ各国の現実です。
あるいはこの間の、小川「価格低下とヨーロッパ」(『ing』05年5月)等、参照。
そして日本。
周知のとおりです。
つまり、資本主義の「アメリカ型」「ヨーロッパ型」「日本型」なるものは、「A・B・C」ではない。「A←B←C」だ。
つまり型ではなく(あるいは、型というのは実は)、段階です。
(05・11・26)
(『ing』06年3月)
http://www.geocities.jp/ing9702/sihonsyuginokata0603.htmより抜粋
コメント:いわば日本資本主義にも田中段階、橋本段階、森段階というのがあるといえるかな。
価格低下とヨーロッパ
「世界史的流れ」を追う
小川 紀
この間日本で進む価格低下の現象を、僕は単なる景気循環からでなく、途上国の経済発展や旧社会主義国の世界市場への合流、日本国内の規制緩和や流通システムの改革等々、供給側の変化、いわば世界史的流れから捉えるべきだと述べました。
これに対し、もしそうなら価格低下という現象は日本だけでなくアメリカやヨーロッパでも進むはずなのにそうなっていない、との反論が出され、これに対しては僕は、ヨーロッパについては規制が強かったからでは、と答え、しかしそのヨーロッパでもこの間、同じ世界史的流れが進んできた、として幾つかの例をあげました。
その後の新聞からさらに追ってみますと──
低賃金の圧力
まず、ヨーロッパにとって、日本にとっての中国にあたる中・東欧の影響ですが、賃金はどれほど安いか〔『ing』ではグラフ掲載、HPでは略〕。
「EU域内の賃金格差は大きく、旧加盟国の労働者の平均賃金は月額で約2500ドル(27万円)だが、新加盟国のポーランドやチェコなどでは500〜700ドル(5万4000〜7万6000円)」(日経、4・15。以下すべて日経)。
そこで、こうした労働力が流れ込んでくれば自分たちの賃金が下がる、雇用が脅かされるということで労働組合の抵抗が強く、ヨーロッパではとりあえず2011年までは流入を制限する措置がとられています。
が、そうなるとどうなるか。
日本企業がアジア、中国にそうしたように、「中・東欧の4〜6倍の人件費を敬遠し、中・東欧に工場を移転する企業が相次ぐ」(1・28)。
また、「中・東欧の労働者個人が設立した『一人企業』が、EU旧加盟国に攻勢をかけている。労働者としてEUの旧加盟国に出向くことは制限されているが、旧加盟国での起業は認められているため、個人が『企業』として登録。実体は個人でも企業として進出し、各国が定めている最低賃金や労働時間を気にせず一般的な賃金相場より2〜3割安く契約することが多い」(4・15)。
と、こうなると、「歴史的に力が強かった労組も、歩みよりの姿勢を見せはじめた」(1・28)。例えば、「ドイツのフォルクスワーゲンでは、雇用保証と引き換えに、旧西独地域の主要6工場で人件費を合計約20億ユーロ減らすことに労組が同意した」(同)、等々。
これは当然、生産される商品の価格低下をもららしていくでしょう。
さらに東へ
しかも、さらに東のEU未加盟国からの供給増もつづきます。
まずヒトの供給増。
「西側企業はルーマニアに目を向けはじめた」(04・11・29)。
というのは、ルーマニアは優秀なIT技術者がたくさんいるそうで、しかもEU加盟による企業進出で上昇傾向にあるハンガリーやポーランドより賃金が安いのだそうです。IT技術者の賃金格差は一般労働者の賃金格差ほどは大きくないそうですが、それでもフランスなどの半分以下。
中略
すでに現象
いや、来る、ではなくすでに来ています。
「『国境地域ではサービス業の激しい競争が起きている。相手の賃金は10分の1だ』
──ドイツ国内で最も景気が良いとされるバイエルン州の首相ですら、隣国チェコヘの危機感をあらわにする」(3・26)。
いや、国境地域だけではないそうです。
「価格破壊はじわじわと広がり、ベルリン近郊でも『カツト1回6ユーロ(830円)』の美容室が開業した」(同)。
フンスでも、「『値下げしました』──カルフールなどスーパーではこんな表示が躍る。個人消費の17・4%を占めるスーパーなど大型店での小売価格は、昨年10月から3カ月連続で前年を下回った」(2・17)。
中国からも
また、中・東欧からだけでなく、ヨーロッパでもすでに中国からも、安価な製品のなだれ込みがはじまっているようです。
「パリのオペラ座に近い高級百貨店ラファイエットのはす向かいに、パリでは珍しいデジタル家電量販店シュルクフが進出。中国製や台湾製の安価なパソコンを求める客足が絶えない」(2・17)。
「欧米が中国からの繊維製晶の輸入に警戒感を強めている。統計によれば、1月のヨーロッパ市場への中国からの繊維製品の輸入額は前年比で46・5%増。セーター類は数量が7倍以上に膨らみ、価格は36%の下落。女性用シャツなどは数量が3倍以上に増え、価格は41%下がった」(3・14)。
──繰り返しますが、僕らはいま、世界史を画するような時代に生きているのだと思います。すなわち、資本主義の法則が初めて、純粋に、世界的に貫徹していく時代。
今後も引き続き、この世界史的流れを追っていきたいと思います。
(『ing』05年5月号)
http://www.geocities.jp/ing9702/kakaku0505.htmより抜粋
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