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(回答先: [南京事件]「きい」弾を装備していた上海派遣軍(Apes! Not Monkeys! はてな別館) 投稿者 gataro 日時 2006 年 9 月 17 日 10:05:08)
http://shanxi.nekoyamada.com/archives/000192.html
保守派のオピニオン誌『正論』が六月号において“スクープ”と称して報じた、水間政憲氏の筆による「“遺棄化学兵器”は中国に引き渡されていた」という記事。すでに国会議員が国政の場でこの記事を取り上げており、政府は精査を約束、証拠にあたる史料の保管場所には警官が派遣されて警備にあたるなど話題を呼んでいる。
この記事は、山形のシベリア史料館に現存している旧軍の兵器引継書に化学兵器を示す記載が確認できるとし、日本側が莫大な経費を負担することで問題となっていた遺棄化学兵器処理問題において、従来の論拠が覆される“超一級の史料”であるとするものだ。問題の兵器引継書は、社会党市議を長年務め、シベリア抑留者の団体「全抑協」会長だった故斉藤六郎氏が、生前にソ連やロシアの公文書館から入手した大量の旧軍書類の中にあったもの。その数は兵器引継書だけでも六百冊に及ぶという。旧軍と中国軍との間に交わされた公文書がなぜロシアにあったのかは謎だが、中国軍の担当者の名前と印が押された書類には、武器弾薬から球のない電気スタンドやアイロン、烏口といった小物まで、全て数を数えてリストアップされており、几帳面に引継ぎがなされたことが良く分かる。そしてその中に、化学兵器が含まれているとするのが著者である水間氏の主張だ。
これが事実であれば、中国大陸にある化学兵器は“遺棄”ではなくなり、現在進められている処理事業が白紙撤回されかねない大発見と言って良いもので、それゆえに『正論』もグラビアページを惜しみなく使って大々的に報じた。水間氏は「一兆円とも言われる…税金の無駄を回避させることができる」「最終的には“中国の国家的詐欺”にとどめを刺すに違いない」と喜び勇んでいる。ところが記事を読んでみれば、その論証は全くもってお粗末な限りで、記事中に名指しで批判されている朝日新聞も苦笑いの誤報並みの勇み足と言って良い。記事を真に受けて動いた議員も政府も、茶番劇につきあわされたと言える。以下では一次史料をもとに、水間論文を検証していくこととする。
まず記事では、「代用弾の表現は化学弾が含まれていると思われる」「化学弾を含むと思われる各種代用弾も引継いでいる」と“代用弾説”を唱えているが、随分な珍説だ。旧軍における代用弾とは、弾頭部分などの材質を他の代用材に替えて作られた銃砲弾を言い、主として演習で使われたものだ。具体例は、著者にとって身近な所にある。著者自らグラビアページで紹介している国立公文書館所蔵史料の「秘密兵器概説綴」には、「九六式重迫撃砲弾薬九六式改造代用弾概説」が載っているが、そこには徹甲弾を改修してバラ砂を詰め、演習において土砂の飛散によって弾着観測を行うとしており、「破甲榴弾ニ代用シ平時ノ教育及演習ニ使用スルヲ主目的トス」と代用弾の意味をはっきり記載している。しかも史料本文の一頁目だ。目の端にも入らなかったとは到底思えない。ちなみに、なぜこの九六式重迫の代用弾だけが「秘密兵器概説綴」に載っているかというと、それは九六式重迫そのものが軍事極秘兵器として制定されており、代用弾を含む弾薬類も秘される必要があったからだ。
代用弾が化学弾とは全くの別物であることは次の例でも明らかだ。例えば、昭和十一年に青森県で予定された特種演習の発射弾種表には、野砲や榴弾砲用の「きい弾」「あか榴弾」と並び「代用弾乙」が列記されている。また、同年の習志野学校における演習用弾薬支給定数表でも、九四式軽迫撃砲用の「あおしろ弾」「きい弾」「あか弾」などの化学弾と並んで、「擬液弾」「代用弾」が列記されている。化学弾で最も数量の多い「きい弾」210発に対して、「代用弾」は3500発も支給されている。ようするに“化学弾の代用弾”として演習に使われたわけだ。
さらに記事では「三八式野砲九〇式代用弾(甲)は化学弾と見られる」「四一式山砲榴弾甲、四一式山砲榴弾乙は…化学弾のきい一号甲と乙と思われる。それは通常イペリットである」などとしているが間違いである。ここに言う甲乙は信管接合部などの形状の違いであり、化学剤の充填の有無やその種類とは全く関係がない。甲乙が分けられたのは昭和三年のことで、十年式瞬発信管若しくは八七式短延期信管を付けるために、「弾丸上部ニ信管接続筒ヲ螺着シ且安全度増加ノ目的ヲ以テ雷汞ヲ全然使用セサル八七式茗亜薬壺ヲ装着」できるように改修を施した新型を「乙」、それまでの三年式複働信管を付けていた旧型のものを「甲」と区別したのである。
この点、三八式(改造)野砲や四一式山砲といった口径75mm砲で使う化学弾には、「九二式あか榴弾」「九二式きい弾甲」「九二式あおしろ弾」などがあった。このうち、イペリットやルイサイトといったびらん性の「きい剤」が充填された「九二式きい弾甲」については、昭和一三年に“甲”の一字をとって「九二式きい弾」に名称が変更されている。このことを見ても、甲乙の名称で化学弾か否か判断することの愚かしさが分かる。そもそも「きい剤」は、敵兵や敵地の汚染を目的とした持久瓦斯である。破片で敵兵を殺傷することが目的の榴弾として「きい弾」が妥当か疑うべきだった。
そして「四年式十五榴弾砲榴弾は…やはり化学弾と見られる」という点にいたっては、なぜそのように解釈したのか想像もつかないが、ここに言う榴弾は「九二式榴弾」などの通常弾以外には考えようがない。ゆえに野戦造兵廠南京製造所の引継記録を見て、「抑止力としての化学弾は通常弾と比べると、極端に少量なのが実証できる」という指摘も全く当てはまらない。戦地において訓練用の代用弾の製造・備蓄が少ないのは当たり前だし、四年式十五榴について言えば、単に旧式(大正四年の制式)で装備数が少なかったからではないか。
ここまで指摘して、筆者ははたと思いついた。恐らく著者は旧軍兵器に関しては全くの素人であり、しかも「秘密兵器概説綴」だけを見て記事を書いたのではあるまいか。なぜなら「秘密兵器概説綴」には、九六式重迫といった極秘兵器以外の弾薬については化学弾しか記載がない。そのため、著者は極秘指定ではない、代用弾や通常弾の存在にも気が付かずこの記事を書いたのではないか。そう考えると、「四年式十五榴弾砲榴弾は…やはり化学弾と見られる」というトンチンカンな一文も合点がいく。四年式十五榴の頭文字が付いた弾薬で「秘密兵器概説綴」に載っているのは、「九二式尖鋭きい弾」など化学弾だけだからだ。
記事の検証に戻ろう。著者は“代用弾説”のほかにもおかしな解釈を披露している。「発射発煙筒など化学弾を含むと思われる各種代用弾も引継いでいる」という“発煙筒説”とでも呼べる解釈である。例えばグラビアページにも写っている「九九式発射発煙筒」は、「三百米以内ノ近距離ニ煙幕ヲ構成セシムルノ用ニ供ス」ことを目的としたもので、実戦で化学剤と一緒に使われた例はあるかもしれないが、あくまでも煙幕を張るための兵器である。化学剤を発射する兵器は別に「九八式発射あか筒」などがあり、発煙筒とは別物である。旧軍における兵器分類上の化学兵器とは、強毒性の化学剤が充填された「瓦斯筒(弾)」を言い、その隠語は一般的に「特種煙(弾)」であった。そして、全ての化学剤が“発煙”するわけではないことも指摘しておきたい。発煙するのは嘔吐くしゃみ性の「あか剤」や窒息性の「あおしろ剤」であり、びらん性の「きい剤」は発煙せず、液体滴状で飛散するのである。
“発煙筒説”に関連して筆者がどうしても良く分からないのが次のフレーズだ。「現在化学兵器にふくまれる発煙弾、発煙筒がほとんど引き継がれ…中国及び外務省が言う「化学兵器の引き継ぎに同意していない」は、嘘と証明できる」という箇所だ。必ずしも定かではないが、著者は現代における条文解釈と半世紀以上前の運用を混同しているのではなかろうか。著者自身「現在」と断っているように、そもそも旧軍の発煙筒(弾)に使われた「しろ剤」が化学剤に含まれるという解釈は化学兵器禁止条約の規定によるが、すでに指摘したように旧軍においては発煙兵器と化学兵器は別物である。だから、当時の記録で発煙兵器が引き継ぎされているからといって、「あか剤」や「きい剤」といった化学兵器も引き継ぎがされたとは言えないのである。まさか著者とて、正式に引き継ぎが確認できる発煙兵器だけを峻別した上で、その処理(発煙剤の毒性は弱い)は中国側に任せよということが言いたいのではあるまい。
ここまで見てきたように、この記事の内容は旧軍兵器に詳しい人ならば一目見ておかしいと感じるレベルであり、実際、『正論』編集部には発行後すぐに防衛研究所から電話で指摘が入ったという。ところが、5月17日に東京で開催された著者の講演会に参加した人から聞く所によれば、著者は“代用弾”や“甲乙”などの批判を了解した上で、防研OBや旧軍関係者の協力を得ているからと強気だったという。専門家である彼らでも首をかしげる兵器が記載されているなら、それらは化学兵器の隠語に違いないと意気込んでいるというのである。まさに“陰謀史観”ではないか。
一例として著者は、「填薬弾」「九四式代用発煙筒」「テナカ弾」などを怪しいとして挙げたというが、そもそも「填薬弾」は炸薬を詰めただけで信管の付いていない未完成弾の事であり、「九四式代用発煙筒」は機能と成分は同じだが煙の量が半分の演習用、「テナカ弾」は手投火焔弾(瓶)の意味といった具合で、化学兵器とは全く関係がない。著者とブレーンが必要な検証作業を行っていないだけである。当日講演会で配布された史料のコピーには、このほかにも「四一式山砲榴弾カ」などが記載されているが、これについても著者は化学弾の“カ”ではないかなどと言っており、それは「火焔弾」の“カ”ではないかと、いちいち相手にしてはキリがあるまい。グラビアページで紹介している兵器引継書を眺める限り、化学兵器の引き継ぎを示唆する内容は見受けられず、史料を精査したところで、それこそ化学兵器の“カ”の字も出てこないのではないか、というのが筆者の率直な感想である。図らずも、5月12日の内閣委員会の場でこの記事を取り上げた議員が「いま流行のガセネタかなあ」と“予見”したかのような発言をしていたのは皮肉なことである。著者は、かつて南京事件を否定するために史料を改竄したと批判された故田中正明氏の弟子を自認しているようだが、この程度の史料読解力、論証力では、師匠も草葉の陰で泣いていよう。
本論で提示した根拠は、すべて戦前の一次史料に基づいている。いずれも戦前公文書をインターネットで閲覧できるアジア歴史資料センターのホームページで、筆者が自宅にいながらチェックしたものである。今回の『正論』記事は、初歩的な検証作業すら行っていないことが明らかな、あまりにもお粗末なものだ。筆者は山形の原史料を見ていないので何とも言えないが、“代用弾説”が成り立たない以上、この膨大な史料群はむしろ著者の思いとは正反対、すなわち、“化学弾だけは正式に引き継ぎされなかった”=“遺棄された”ことの傍証とされるのではなかろうか。藪をつついてなんとやら、「自ら自分の首を締める縄を綯っているようなもの」とは、著者にこそ当てはまるのではないか。
ここで、遺棄化学兵器問題について、三点、踏み込んだ論点を提示しよう。まず一点目は、記事でも触れられているように、関東軍の引継記録についてである。遺棄化学兵器の処理で最大の規模のものは、満州各地から集積されたハルパ嶺における処理事業であり、その点で言えば、むしろ関東軍の記録の方が重要である。もし山形にある史料で関東軍からソ連軍に対して化学兵器が制式に引き継ぎされたことが明らかになるのであれば、その処理は日本の責任ではなく、中国とロシアとの間で決着を付けるべき問題となる。引き継ぎ後の管理の実態を究明し、その処理費用の負担については(杜撰な管理で現地住民に生じた被害の補償とともに)、二国間で協議・解決すべき性質の問題になるのではないか。この点は、政府も史料の精査を約しており、調査結果を待ちたい。
二点目は、在華日本軍が国府軍に正式に化学兵器を引き継ぎしたとして、その後の国共内戦で化学兵器は使用されなかったのか、という論点だ。国府軍は日華事変前の内戦で、中共根拠地に対して化学兵器を使用したとされており、その後の日本との戦いでは、国府軍、中共軍ともにあか剤をはじめとする日本軍の化学兵器の威力を身に染みて体験している。ところが、戦後の国共内戦で化学兵器が使用されたとの話は、寡聞にして筆者は聞いたことがない。正式に引き継ぎを受けたはずの膨大な量の化学兵器の全てが死蔵されたと考えるのは妥当なのだろうか。後盾である米軍に気兼ねしたという見方はあり得るが、そもそも双方の手元に化学兵器がなかった、という見方はあり得る。国府軍はイペリットガス工場などの化学兵器プラントを建設していたが、それらは日華事変で日本軍に接収されて壊滅したし、中共軍に化学兵器を開発する力はなかった。終戦後は化学兵器を使いたくても、日本軍のもの以外には現物がなかったのである。中国大陸で化学兵器の引き継ぎがあったかなかったか、このような視点からも考えてみる必要があるのではないか。
三点目は、以上二つの論点から導きだされる仮定の話である。もし化学兵器の正式引継が、満州における関東軍では証明でき、中国大陸における支那派遣軍では証明できないのであれば、現在の遺棄化学兵器処理作業はあべこべに進められていることとなる。すなわち、政府の調査によれば、遺棄化学兵器は満州以外にも中国大陸全土に散らばっているとされており、本来ならばこちらの処理を行う法的責務があるのであって、現在プラント建設が進められている満州のハルパ嶺の処理については法的責務がないのではないか、という話である。もちろん、これは仮定の話に過ぎず、日中両政府、親中嫌中両派のすべてに人にとっておもしろくない結論ではある。しかし歴史研究者としては(不謹慎かも知れないが)興味深い論点なのである。
最後に一言。今回は完全な勇み足による“お騒がせ”であったが、山形のシベリア史料館にある史料は、計り知れない歴史的価値があるやもしれぬ。ダンボールに詰められた未整理の大量の史料群は、家人にとってはゴミの山でしかないようだが、水間氏が言うところでは、長崎に落とされた原爆らしき不発弾をソ連大使館に運び込めという、終戦後に旧軍が発した極秘電報もあったという。真偽は定かではないが、少なくともこれまで陽の目を見ずに人知れず散佚していったであろう史料の存在を世に知らしめたという点では、歴史研究を楽しむ者として素直にその功績は評価したい。
補記:
読者の方から論拠となる史料についてお問い合わせをいただいたため、目録を掲載します。以下に挙げた史料は、いずれもアジア歴史資料センター(http://www.jacar.go.jp/)にて閲覧が可能です。史料名の後にある「Ref:」で始まる番号がレファレンスコードです。
・「秘密兵器概説綴」Ref:A03032131400
・「演習用弾薬特別支給ノ件」Ref:C01004236200
・「陸軍習志野学校演習用弾薬支給定数ノ件」Ref:C01001385400
・「三八式野砲及四一式山砲榴弾弾薬筒(乙)仮制式制定並野戦弾薬中改正ノ件」Ref:C01001122600
・「三八式野砲、四一式騎砲、改造三八式野砲、四一式山砲、弾薬九二式「あか」榴弾外二点仮制式制定並三八式野砲、弾薬八九式「あをしろ」弾制式削除ノ件」Ref:C01007477700
・「雑弾薬九九式発射発煙筒制式制定の件」Ref:C01006008300
・「火工教程第一部(野戦弾薬)」Ref:C01002302200
・「手投弾薬九四式代用発煙筒(甲)仮制式制定ノ件」Ref:C01001394400
・「弾薬特別支給ノ件」(テナカ弾) Ref:C01007264000
補記2:
その後、さる研究者の方から、正論記事で紹介されている以外の兵器引継書のコピーをいただきました。原本はいずれも山形のシベリア史料館に保管されているものです。目録すべてに目を通しましたが、いずれも化学兵器の記載はなかったことをご報告いたします。(2006.7.18)
補記3:
正論八月号で触れられている山砲弾の“カ”と“異式”云々について補足します。
著者の水間氏は、第一軍の兵器引継書に記載の「四一山砲カ弾」「九四山砲カ弾」について、「化学弾」の“カ”であるとしていますが、これは間違いで、「火焔弾」の“カ”ではないかという指摘は本文でご覧の通りです。他の部隊の兵器引継書でも、品目に「火焔弾」と「カ弾」の両方が記載されている例はありません。ただ、「四一式山砲榴弾カ」については、腔発防止などの理由で制式図面を変更して「加修」を行ったものを意味するのかもしれません。
また「異式擲弾筒」など、兵器名に“異式”の名称が冠されたものは、戦利品などで制式兵器ではないが、運用上使用を許可されたものを言います。戦利品でも国軍兵器として制式に使用する場合は準制式の手続き(例えばチェッコ機銃を「智式軽機関銃」)がとられ、員数表に記載されるのが日本陸軍の運用でした。ですから“異式”兵器は、日本陸軍では表外の存在になりますが、終戦時に引継品目として出現したわけで、これも化学兵器とは無関係であることをご報告いたします。(2006.7.21)
(*投稿者註 アジア歴史資料センターは残念ながら、9月15日から10月9日まで、メンテナンスのため閲覧できません。)
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投稿者 gataro 日時 2006 年 9 月 04 日 13:41:13
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