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安倍の祖父「岸信介」とはどんな人?(東京新聞)
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投稿者 happyblue 日時 2006 年 9 月 15 日 11:14:24: BaRfZQX6fAfSk
 

@60年安保闘士の『岸信介』評(東京新聞)

 各種調査で、次期首相に最も近いとされる安倍晋三氏。著書「美しい国へ」(文芸春秋)では祖父、故岸信介首相への敬愛と政治姿勢の継承を説いている。岸氏といえば「六〇年安保」だが、「安保後」生まれが社会の主流である現在、印象は薄い。安倍氏は幼かった当時の思いを記しているが、彼とは対極の位置で「反岸」に奔走した元学生指導者らはいま、岸氏をどう評するのか。 (田原拓治)

 「美しい国へ」の第一章「わたしの原点」で、安倍氏は自らの政治信念の根底に、自らが六歳だった一九六〇年の日米安保条約改定への賛意と、それを成し遂げた祖父への尊敬の念があることを描いている。

■片務的条約対等にした

 「祖父はこのとき、この片務的な条約を対等にちかい条約にして、まず独立国家の要件を満たそうとしていたのである。いまから思えば、日米関係を強化しながら、日本の自立を実現するという(中略)きわめて現実的な対応であった」

 「祖父は(中略)国の将来をどうすべきか、そればかり考えていた真摯(しんし)な政治家としか映っていない。(中略)世間のごうごうたる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、身内ながら誇らしく思うようになっていった」

 安倍氏は自らの信念について、祖父の座右の銘でもあった「千万人といえども吾(われ)ゆかん(自分が間違っていないと確信すれば、断固として進む)」を引用しつつ、「確たる信念をもち、たじろがず、批判を覚悟で臨む」と結んでいる。

 安倍氏が「どこかうさんくさい」と表現した当時の学生運動指導者らもすでに七十歳前後だ。彼らは四十六年前の安保改定、さらに岸氏個人をどうみるのか。

 当時、東大教養学部自治会委員長で、全日本学生自治会総連合(全学連)中央執行委員だった評論家の西部邁氏(67)は闘争の指針は誤りだったと振り返る。

 「そもそも安保条約の改定案なんか、ろくに読まなかった。私たちは『復活する日本帝国主義に痛打を浴びせる』と説いた。だが、対米関係で相対的に位置が高まる安保改定とそれとは別物。無理筋の話だが、心意気を守るのに暴れた。ただ、岸さんが自衛隊を治安出動させようとしたと聞いて、権力とは憶病なものだと驚いた記憶はある」

 ただ、岸信介という政治家については、現在も違和感が残っているという。

■政界に復帰 感じる疑問

 「彼は戦時中、満州国のリーダーだった人物だ。戦犯うんぬんを問わずとも、その後の戦争に関与した。その戦争で何百万もの日本人、アジア人が死んだ。それを考えたとき、よほどの理由がない限り、政界に戻るべきではない。人格に疑念を感じざるを得ない」

 西部氏は、その点から「昭和の妖怪」と称された岸信介像をこう推察する。

 「彼という人間には私的な人生がなかったのかもしれない。国家にかかわる自分の地位、政策にしか自分を見いだせない『巨大なロボット』。さほどの妖怪ではなかったのではないか」

 関西(京大)で当時、学生運動を指導し、現在「9条改憲阻止の会」代表の桃山学院大名誉教授、小川登氏(70)は「(安保改定は)たしかに片務的な条約を双務的にした。ただ、それを日本の独立と呼んでも、戦前的な帝国主義に向かっての独立。さらに岸は安保改定と併せ、小選挙区制の導入、憲法改正も推し進めようとしていた。それへの闘いは現在から考えても正しかった」と総括する。

 小川氏は六〇年安保闘争が未曾有の大衆動員を果たした理由として、敗戦から十五年という時期と、岸氏に対して人々が抱いていたイメージの二つを挙げる。

 「私も戦時中は父が海軍だったせいか、海軍大将にあこがれた疎開世代。人々にはまだ、戦争や戦後直後も続いた飢餓の感覚が生々しかった。独立うんぬんより、戦時中に逆戻りしかねないという恐怖が大きく、民主主義を無視する岸の手法にそれは重なっていた」

■彼だからこそ 闘争が起きた

 「あの闘争は岸が首相じゃなかったら、起きなかったと思う。彼はどんな手法を駆使してでも、自分の意見を通す。何をやるか分からない。それは戦時中に東条内閣をつぶしたときもそうだった。そんな強引な彼の性格を人々は危険視しており、闘争が拡大した」

 小川氏はことし六月、数十年ぶりに六〇年安保当時の仲間など約二百人と「改憲阻止」を訴えて、国会周辺をデモした。「六〇年当時は人々に権力への警戒感があった。いまは学生に政治の話をしても『先生、そんな難しいこと、言わんといてくれ』という時代。昔よりも危うさを感じる」

 同様に危機感を抱いているのが、政治評論家の森田実氏(73)だ。森田氏は現在は保守の立場だが、当時は激しい学生運動の屋台骨を築いた“先駆者”だった。

 森田氏も安保改定は独立どころか「(米国への)永遠の従属条約。戦後最大の失敗だった」と酷評する。

 「旧安保条約は事実上、占領下で(米国に)脅されて結ばされた条約。それは独立とともに破棄、解消するというのが国際的な常識だ。そうであるのに、安保条約の無効を訴えず、改定という事実上の継続で、米軍基地を今日に至るまではびこらせてしまった」

 岸氏に対する評価は一段と厳しい。戦後の岸氏への戦犯不起訴という処分は日本を「反共の防波堤」にするという米国の対日政策の転換によるとされる。

 だが、森田氏は「彼は満州で得た巨大な資産と人脈を駆使し、連合国軍総司令部(GHQ)に特別に厚遇された」と裏面を語る。

 指導者の条件として、同氏は倫理と知性を挙げる。「岸の知性は抜群だ。超エリートの道を学生時代から歩んだ。しかし、倫理はひどいもんだ。首相時代に政権に協力させるため、(大物保守政治家だった)大野伴睦に次期総裁指名の念書を送り、ほごにした。政治家は目的のためならうそをついてもかまわない、と開き直った。デモ隊に自衛隊の銃口を突きつけようとしたのも、彼の根底にある選民意識、権力に固執する冷酷な精神を象徴している」

 自衛隊出動は側近たちが首を縦に振らず、止まったが、晋三氏の現在は「猟官運動」が横行している。

 森田氏は権力者は神を恐れるべきだと説く。

 「だが、岸は神を恐れぬ人物だった。その岸をあがめる孫(晋三氏)も、それをまねるのだろう」

<デスクメモ>

 安倍晋三氏は「私は政治のDNAは安倍晋太郎より岸信介から受け継いだ」と語る。ふと北朝鮮で客死した田宮高麿・よど号犯の話を思い出した。彼は晋太郎氏の急死に、我が身の悲運をのろったという。「これで帰国の道は途絶えた」と。十五年後、北朝鮮拉致事件追及で晋三氏は脚光を浴び、総理になる。 (充)

きし・のぶすけ 1896年11月、山口県生まれ。「秀才」の誉れが高く、東大卒業後は農商務省に入省。36年10月、満州国国務院総務司長に就任した。41年10月に東条内閣に商工相として入閣。44年、現職閣僚だった当時、辞任を拒んだことで東条内閣は総辞職した。敗戦後、A級戦犯容疑者として逮捕されたが、米の反共政策への転換で48年に不起訴、保釈。自由、民主両党の保守合同を導き、56年、石橋湛山内閣に外相として入閣。2カ月後、石橋首相が病に倒れ、後継首相となった。79年に政界を引退、87年に90歳で死去した。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060915/mng_____tokuho__000.shtml

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