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記者の目：マンションでビラ配布・男性無罪＝佐藤敬一（社会部）
◇即逮捕社会こそ息苦しい−−マナーの問題なのに…
「当たり前のことが当たり前と評価された」。裁判所前に飛び出して判決を支援者らに報告した弁護士の言葉に、私もその通りだと思った。東京都葛飾区のマンションへの共産党のビラ配布を住居侵入罪に問われた男性（５９）に対し、東京地裁は先月２８日、無罪を言い渡した。集合住宅に見知らぬ人が入ってビラを配ることに不安感を持つ人もいるだろう。むしろ最近はそんな人の方が多いのかもしれない。しかし、逮捕したり、起訴したり、罪に問うべきことなのか。判決はこの疑問に明確に答えるものだった。
判決の４日前、事件があったマンションに行った。論告で検察側は「被害者らは厳重処罰を希望している」と主張したが、本当のところを住民に聞きたかったからだ。だが、一軒一軒呼び鈴を押すことはしなかった。「中に入ったら自分も通報されるかもしれない」。そんな考えが頭をかすめた。出入り口前の路上で住民を待ちながら、複雑な思いで７階建ての建物を見上げていた。
取材では５人から話が聞けた。６０代女性は「ビラを入れるなら１階の集合郵便受けに入れてほしい」と言った。５０代女性は「知らない人にドアの前まで来られるのは気持ち悪いが逮捕しなくてもいい」と話した。不安感を持つ人がいる一方、男性の検挙を「やり過ぎ」と思う人もいた。
被告の男性は０４年１２月２３日昼、オートロックのない正面玄関から中に入った。１階掲示板に「チラシ・パンフレット等広告の投かんは固く禁じます」との張り紙があったが、気付かずに７階から順にビラを配っていたところ、３階で住民に注意され、いったん帰りかけた。そのまま帰れば何事もなかったかもしれない。しかし「またトラブルになってはいけない」と思い直したという。「迷惑なら今後は入れませんので部屋番号を教えて下さい」と尋ね、１１０番通報された。
警察に連行された男性は事情を説明し「そろそろ帰らせてください」と言うと「あなたはもう現行犯逮捕されている」との答え。男性の拘置は年を越え２３日間に及んだ。
逮捕から４８時間以内に身柄の送致を受けた検察は、逃亡や証拠隠滅の恐れがあると判断した場合に裁判所へ拘置請求し、裁判所が認めれば１０日間拘置所などにとめ置かれ、１回（さらに１０日間）延長できる。捜査のプロにすれば、男性が違法性を否認したことで「証拠隠滅の恐れあり」と考えたと推測される。警察幹部は「警察に突き出すほど嫌悪感を抱いた住民が現行犯逮捕した事案。被害感情を考慮すると『放免』というわけにはいかない」と言う。検察幹部も同様に「被害者が警察に訴えてきたケースだから」と話した。
しかし、男性はその街で長年暮らす僧侶で逃亡の恐れはなく、事情も説明している。４０年以上配布を続けていた中で注意を受けたのは初めてだ。配ったのは政党ビラで犯罪を助長したり風紀を乱すものではない。こうした事情まで考慮したうえで２３日間もの拘置が必要だったのか。検察、裁判所の判断に問題はなかったか。
集合郵便受けではなくドアポストにビラを入れた理由について、男性は法廷で「確実に読んでほしいと思った」と説明した。プライバシー保護や防犯意識の高まりを考えれば、男性の考えは多少甘かったのかもしれない。だが、罪に問うかどうかは別問題だ。「迷惑に感じる人もいる」と諭して釈放すればよかったのではないか。判決も指摘したように、宅配ピザなどの商業チラシは日常的に投かんされながら配布者が逮捕されたという報道は見当たらない。「今回だけなぜ」と思わざるをえない。
判決は、今回のようにオートロックのない集合住宅に昼間に短時間（今回は７〜８分）入ってビラを配ることについて「明らかに許容されない行為だとの社会的合意がいまだ確立しているとは言い難い」と判断した。
ただし、この判断は、社会的な意識の変化によっては今回のケースでも「許容されない行為」となる可能性を示唆した、ともいえる。
私もオートロックのない集合住宅に住む。本音を言えば、見知らぬ人がドアの前にまで来ることを気持ち悪いと思うことはある。それでも、こうしたトラブルがすぐに逮捕や起訴につながる社会のほうがより気持ち悪く、息苦しいと思う。検察側は判決を不服として控訴したが、目的が不法なものでない限り、ことは配り方やマナーの問題ではないかという思いはぬぐい切れない。
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毎日新聞 2006年9月14日 東京朝刊
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/kishanome/news/20060914ddm004070036000c.html
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