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"非寛容な今の世に求められる新しい「絆」
ここ5年間の日本に漂う危うさとは?
谷垣 加藤先生のHP、特に放火のあとにお書きになったものなども拝見しましたけれど、だいぶ背景なども分かってきたのでしょうか?
加藤 今のところまだ、単独犯だという感じなんですね。65歳の右翼団体に所属する人で、組織の中でもあまりぱっとしなかったんで、ひとつ何か派手なことをしたいというので、たまたま山形県出身なんですね。それで、靖国ということだと、まあ、加藤。同じ県ですしね、それでどうも考えたと。
で、私、靖国参拝、終戦記念日の8月15日にテレビに一杯出たものだから、あれがかなり刺激したのかなと思ったんだけれども、3月あたりから考えていたんだと。特に文藝春秋なんかに影響を受けたと言っているらしいです。特に文藝春秋には、僕はかなり厳しいことを書かれてますからね(笑)。ああいう雑誌に影響されたということは考えられると。
それから、犯行に及んで、あとは自殺未遂で病院に行っちゃったんだけど、残されたレンタカーがあって、中に雑誌「SAPIO」があって、その中には小林よしのり氏の靖国論の漫画があるんですよね。「暫」という名前の題なんですけど。その靖国論はかなり激しいもので。でも、65歳にもなって、漫画の靖国論に影響されて私の家に火をつけられても困ると。
谷垣 そりゃ、そうですよね。
加藤 ええ。それに家族にしてみれば、一番重要なのは、97歳の母がいたんだけれども、たまたま散歩していた。それがいなかったから点けたのか、いなくても点けたのかというのは、最大重要なところなんですよ。
谷垣 そうですよね。あの、まあ、加藤先生の意見がけしからんからといって火をつけこと自体、これは言語道断ということだと思うんですけれども、我々政治活動をしていると、批判を受けるということは、まあ覚悟しなければいけないと思うんですけれどね。暴力はけしからんということですけど。ただ、一番あれなのは、家族に被害が及ぶといいますか、家族にとばっちりがくるというのは、一番嫌だし、卑劣ですよね。
加藤 そうですね。だから、私の知り合いのある大学教授が、よく我々と同じような論陣をテレビで張っていてくれたんだけれども、言われれば最近、ここ3、4ヶ月出ていないんですね。で、人に聞いたらやはり、まだ若い教授なんだけれども、お子さんの安全を保障しないよという趣旨の、本気なのか悪戯なのか、手紙をもらって、すごく心配して出られなくなっているらしいんですね。
谷垣 なるほど。なにかそういう寛容ならざる雰囲気といいますかね、もう少しこう、世の中全般、自分に自信を持ってというか、寛容な雰囲気でないと、日本もおかしくなっちゃうと思うんですが、いつ頃からそういう雰囲気になってきたんですかねえ?
加藤 まあ、戦前のような社会になるみたいなことはよく言ってて、しかしそれは決まり文句で、ちょっとねと。そんなことは日本はないんだよと、再びそんなことはしないと、僕も思っていたし、みんなもそう思っていたんですよね。
谷垣 そうでしょうね。
加藤 しかしなんか、ここ5年くらいだろうか……
谷垣 私はまさに、加藤先生のおっしゃるとおりだと思うんです。昔はよく、私が学生時代の頃にもよく、戦前のなんというか雰囲気みたいなことをよく言う人がいて、日本も危ないぞ、またいつか来た道……みたいな話をたくさんあったけど、実感としてあまりそんなことを感じたことがなかったんですね。 で、やっぱりバブルが弾けた頃、私ちょっと思いましたのは、それまではいろんなことがあっても、日本が経済、やっぱり一番うまくいっていた国のひとつですし、たとえば海外からいろいろ言われても、まあそうはいっても日本が経済いちばんうまくいってるんだよね、みたいな、悪く言えば“金持ちケンカせず”みたいなところもあったと思うんですが、バブルが弾けたあと、トンネルからなかなか抜け出せないとなると、そこんところもぐらついてきて、何か言われると、自信のないときに言われるとすぐカッとなっちゃうような、なんかそんな雰囲気が少し出てきたんじゃないかと。
そこは、どうやったらもう少し、ゆったりと自分に自信を持って、いろんなことにこう……寛容なナショナリズムというんでしょうか。そういうことを踏まえて対応できるのかなあと。そういうことを、もう少し模索しないといけないなぁと。
そこに一種の何というか、保守主義というのは、革新主義というのが悪いから変えろ、変えろと、そういう政治の流れというのは必要ですけれど、やっぱり俺たち、基本的にしっかりしたものを持ってるんだよね、というのはやっぱりどこかに必要なのかなと。政治の流れというのは、そういう意味で保守と革新のいつもぶつかり合いですけれど、保守思想、保守というものは、そういうおおらかな自信に裏付けられた保守というものはなきゃいけないんじゃないかな、というようなことを、まあ加藤先生のおっしゃる5,6年ですかね。そんなことを感じているんですけどね。
小泉さんが取り去った日本社会の内臓脂肪とその後遺症
加藤 だから、まったくその通りで、何というのかな。この国に済んでいるということとか、この国の将来にまず希望を持ったり自信を持つということと、若干、悪平等なんだけど(笑)、みんながまあいいじゃないか、といって、あんまりギスギス競争させないできた。適度な競争できたんだけれども、マーケットメカニズムに基づくグローバライゼイション、世界統一価値で、他の国のようになろうなろうとやってくると、ちょっとこの5年、僕はやりすぎたと思うんですけどね。
谷垣 やっぱり、実は私、加藤先生のYKKってやっておられたころですね、やっぱり少し小泉さんがおやりになったこと、これはサッチャーがやったこととも似ている面があるとも思うんですけれど、やっぱり日本の中にも既得権とか、過去の成功体験にそのままべったりになって、そこに合わせて予算も配分してった、既得権もできた。それが内臓脂肪みたいに積もりに積もっていって、それをとっぱらわないと先へなかなか進めないなと。たぶん、YKKがやらなければならないのは、そういうことだろうと思っていたわけですね。ところがそういう風に思っていたときに、サッチャー政権のあと、メージャー政権になって、短い期間でメージャー、選挙やったらボロ負けに負けるわけですよね。それで今のブレア政権ができると。あれを観たときに私感じましたのは、確かにサッチャーはイギリスの内臓脂肪のようなものを取り払って、イギリス病みたいなものも乗り越えたと。それでイギリスは相当元気も出てきたと。けれども、たぶんそれをやると、内臓脂肪を取ったときに、本当に不必要な内臓脂肪だけ取ればいいのかもしれませんが、なかなかそう政治がそんなに完璧にいくわけありませんから、どこか取っちゃいけないことを取ったりしてね。その結果、すごく弱いところが傷んだんじゃないかと。あのとき、スコットランドとか、ウェールズとか、保守党の議席が全然なくなっちゃうワケですね。私はイギリスはそれほど詳しくないですけど、スコットランドといえば言ってみればものすごいなかで、あんなところで保守党の議席がゼロになっちゃうというのは、やっぱりこういうところが傷んだんじゃないかと。そういう私の分析が正しいかどうか分からないけれども、たぶん内臓脂肪を取ったあとに必要なことは、コミュニティの再生とか、私は「絆」と言っているんですけれども、みんなで支え合う仕組みをもう一回作り直すとか、そういうことが必要になるんじゃないかなと、ブレアが出てきた頃からずっとそう思っていたんですね。
ただこれ、あんまり早くやるとなかなか内臓脂肪がとれないという面がないわけじゃないんで、ただそろそろ内臓脂肪を取ったあとのコミュニティの再生とか、もう一回支え合う制度というのは何なのかというのを、きちっとやらなければいけないタイミングになってきたのかなという感じなんですけどね。
加藤 来年の参議院のことを考えると、その辺のバランスというのは非常に、もうギリギリのところにきたと思うんですね。私の山形県の中で、最も自民党が強くて保守的な新庄・最上地区というところがあるんだけれども、あそこの我が派の県会議員が、このあいだ後援会の会合を開いたと。従来は「来年の参議院はどうするか?」と言われて、これで行こうというと、たいてい自分の言うことを聞いてくれたんだけれども、今回は、もうすでに今の段階から、「参議院だけは勝手に取り組まないでください。先生の言うとおりだけには、今回はいきません」と言われたと。30、40年の政治経歴で初めてだというんですね。
だから、内臓脂肪の取り過ぎという点は、だいぶ出てきたと思いますね。ただ僕は、だったらすぐ公共事業というのは簡単なんだけれども、僕は、人々が求めているのはそれほど単純なことではないような気がしますね。あなたが今度の選挙で「絆」という言葉を使っているけれども、とてもいい言葉で、じゃあ具体的に何だというと、もちろん地域コミュニティを大切にしてほしいと。僕はそのギリギリの形というのは学校区だと思って、去年自分の本に、学校区がこれから日本を再生するんじゃないかと。これは公立小学校、中学校で、地域ができているんですね。
谷垣 ええ、全くそうだと思いますね。
加藤 それに、まあ本来なら町内会だけど、だいぶ年取ってきてね、それだけじゃ若いお母さんたちは、なんかついて来られないと。そうすると学校区ということだと、その若手が町内会を越えて集まることもできるし、スポーツ少年団の活動もできるし、夏のビアパーティもやれるみたいな、そういうところに絆を求めていくということが非常に重要だと思うんですけれどね。
谷垣 それは非常に、日本人の地域社会の作り方と関連してるんじゃないかと思います。私の父は、農林省の役人で、開拓みたいな仕事をしていて、満州の開拓とかですね、北海道の入植とかしていて、そのときに聞いたことは、「お前そういうとき、日本人はどうやって日本人の地域を作ったかと。ひとつはやっぱり神社を造ったんだよと。もうひとつは小学校を作って子どもを教育しながら、みんなで団結していったんだと。たぶん、そういう姿が今でも残っているし、たぶんそういう小学校を中心に集まっていくというのは、日本人にはやりやすい形なんじゃないですかね。
加藤 そうね、ヨーロッパ社会も結構、地域の人が集まってガチャガチャやってる、田舎っぽい、いい社会だと思うんです。中心は何かというと、おっしゃるようにチャーチ、教会なんですね。アメリカ、カナダも。イスラムの世界は、モスクかマーケットとか――胡椒とか買ったりするところね。我々は、昔は寺とか寺院だったんだけど、今は学校なんじゃないかなと。
谷垣 そうですね。
地域がはぐくむ子ども、教育、コミュニティ
バウチャー制にもの申す
加藤 さあそこでね、今3候補で論争しているようですけど、安倍さんの教育論は、どなたが振り付けしているのか分からないけれども、ちょっと気になるんですよ。ひとつ気になるのは、「バウチャー」。
谷垣 ええ。
加藤 バウチャー、いうなれば義務教育クーポン券のみたいなものを、1人1人の生徒にまあ何十万か分を渡すから、どこの小学校行ってもいいよ、どこの中学校行ってもいいよ、私立でもいいよと、こういうことなんですけどね。あれ、ちょっと気になるんです。
谷垣 あのバウチャーというのは、経済諮問会議でも時々そういう議論が出てきてたんですけれども、狙いはやっぱり、そこに競争原理を働かせたいということだろうと思うんですね。老人介護施設なんかでも、補助金をつけるよりも利用者にバウチャーを渡して、そうすると、きちっとした介護をやってくれるところにみんなが集まると。そうすると競争が起こる。これはちょっと、かなり意味があるかなと思うんですけど、小学校にそこまでやっていいかどうかというのは……私、大学には少し競争というものがあってもいいかと思うんですけど、小学校というのはちょっとそれがあると、まさに今の加藤先生の論点ですけれども、まさに加藤先生の今の論点ですけれども、果たして機能するのどうかか、しなくなっちゃうんじゃないかという不安を覚えますね。
加藤 ああ、そうですか。そう聞いて非常に良かったし、たぶんあなたはそう考えるんだろうと思ったんだけれども。とにかく、市内にもいくつか学校があって、まあいい所と悪い所があるんですよね。地域学校区がまとまってゴミ集めをしたり、子どものサッカーをみんなで応援したりするところは、結構学校の中もよくなっていくんですよ。また、なんというかな、地域には昔からの由緒のある人たちが住んでいるみたいなところがあって、そこは豊かで、大きな家だと、そこの小学校は結構風格ある学校に育っているんですね。
すると、バウチャーでどうぞというと、そこにみんな集中するんだと思うんです。すると、幼稚園からお受験が始まるんじゃないかなと。それで落ちた子が、余り評価の高くない小学校にいなきゃなんないというと、町内会もまずくなっちゃうんじゃないか。さらに進んで言えば、保守政治の原点というのは、地域リーダーシップなんですよね。安倍さん、そこを分かってるのかなという気がしてね。
谷垣 加藤先生のところもたぶんそうじゃないかと思うんですけど、私の地元もですね、小学校の校区ごとにジュンレイ学区だとか昭和学区だとかいってですね、そこごとに町内会もそうだし、政治の後援会もだいたいそういうごとにまとまっているんですよね。やっぱり地域のまとまりを作っているんですよね。
加藤 そうなんですね。で、バウチャーというのは、僕も最初に聞いたときには「お、これいいぞ」と思ったんだけれども、よく考えてみると、それからいろいろ議論を聞いてみると、アメリカでも最初、ちょっとやろうとしたけれども、結局ダメなんですよね。
谷垣 なんか、私も聞いた話では、イギリスではやったんだけど、かなり差が出てきて良くないという議論になったと、私もあんまりよく勉強してないんで分からないんですが。だから、結局この議論は、「競争が必要だ」という議論をずっとやってきたけれども、どこまで競争を入れて、どこは競争を入れるとまずいのかっていうのを、やっぱりよく考えないといけないときに来たんじゃないかと思いますよね。
加藤 そうね。だから、地域コミュニティという観点からいうと、私個人はとてもとても強く反対したいと思うんですけど、このへんは教育論をぜひ議論してほしいと思います。
孤立した子どもたちを見守る地域の目
加藤 それから、教員の免許更新制、いってますね。あれは3、4年前から議論して、もう導入が決まったんですよね。でも去年、中教審でそういうことになりましたという報告を、文科省から、僕は今文教科学審議会をやってるもんだから、受けたときに、ちょっと聞いたんですよ。「これはどういう先生から適応するんです?」って言ったら、「これから新規採用する先生から適用する」という話で。すると、「今いるダメ先生が全部いなくなるには、30,40年かかるということか?」と聞いたら、「そうです」と言うわけよね。「それじゃ意味ないでしょう」と。文科省の教職員課というところの課長に言ったら、ああでもない、こうでもないと言うから、「もう話を聞きたくない」と(笑)。言って、何人かで「これは現職の先生にも適用するように」と、過去1年間、激しい闘争をやってきたんですよ。
谷垣 ああ、なるほど。
加藤 それで2ヶ月ほど前、中公審から「現職の先生にも適用する」と。で、社説でいいの悪いのって、今、各新聞やっているんだけど。あれ、安倍さんないし、その周辺で教育論のアドバイスをしている人たちが知らないのかなと。
谷垣 どうですかねぇ……
加藤 ちょっと、政策決定プロセスというかね、ちょっと心配になった。あと、学校評価制度も全国で試験実施をもうしている話なんですよ。
谷垣 ちょっとその辺、私の耳にもそういう議論は、詳細はともかく聞こえてきていましたから、あれ、今までやってきたことと、どこが違うのかなと(笑)。
加藤 私はあなたを応援しているから言うわけでもないんですけれど、やっぱり地域の「絆」みたいなことを本格的に考えているのは、3候補のなかであなたが一番だと……
谷垣 ありがとうございます。
加藤 ええ、思ってますんで。
谷垣 やっぱり、演説の中でも言ってるんですけどね、少年犯罪が多くなったか、少なくなったか、数字の上では必ずしも多くなってるわけじゃないと思うんですけれども、やっぱりちょっと「あれ?」と思うような事件が増えているのは事実ですよね。
それで、私が一番着目しているのは、加藤先生のあの事件とは相当ある意味で異質の事件ですけれど、少年の放火が増えているような気がするんです。それで一番この間最近のニュースを見て記憶に残ったのは、中学1年の男の子が、自分の親と折り合いが悪いからって自分の家に火をつけるんですね。それで、8歳の妹は自分が助けなきゃいけないと思って連れ出すんですけれども、1歳の弟は、あいつははしっこいから自分でなんとかするだろうと思って、とにかく妹だけ連れて逃げると。そうしたら弟は焼け死んだという事件があって。
加藤 うん、ありましたね。
谷垣 放火自体は憎むべき事件なんですけれども、私も弁護士のときに若干、刑事弁護などをやったりして、先輩にもいろいろ話を聞いて、そのときに放火っていうのは、家族の絆とか社会の絆から切り離されたような孤立した弱いものが、いわば悲鳴を上げて、昔に帰りたいとか……そういう犯罪なんだって先輩に教わった気がするんですね。そういう表現だったか、何十年も前のことで正確ではないんですけれども。
で、そういうのを見てますと、子どもたちが地域社会とか家族の絆から切り離されて、孤立しているような状況があるんじゃないかと。
で、この間、警察庁がだいぶ最近の少年犯罪っていうのを、いろいろやっている人たちの聞き取りをした話を聞きますと、親が子どもに対する関心が低くなっている。無関心。この無関心というのが、子どもには耐えられないんだと思うんですね。そうなると、親をどう教育するかという話になると、どこから手を付けていいか、なかなかいい手もすぐに浮かばないんですけれども、地域社会のなかで子どもをみんなでサポートしようよという、そういうまなざしがやっぱり必要なんだと思うんですね。
そういうことを考えると、加藤先生のおっしゃったような、地域の小学校、これがやっぱり、地域社会のみんなでサポートするという形がいちばん大事なんじゃないかなと。
ですからお年寄りとか、ご婦人でもなんでも結構なんだけれども、遊び、竹とんぼの作り方を教えるとか、いろんなことがあると思うんですけどね。
それで、ちょっと私が言っておりますのは、このごろ、地域通貨っていうのを工夫しているところがありますよね。いろいろな名前で、この間どこだっけな、曙町というところでは、「ボノ」っていうのを地域通貨の名前にして、私はだから、お年寄りなんかが、地域の小学校でそういうことをそういうのを教えたりしたら、そういう支払いっていうのを地域通貨で支払ってですね、そこを私は「絆銀行」って言ってるんですけど、そこに預けておくと、あとで介護を受けたときには、今度はそれで支払うとかですね。そういう形で地域の絆みたいなものをネットワーク化していくというか。
これは、加藤先生が大変力を入れておられたNPOの税制やなんかも全部絡んでくる話だと思うんですけどね。幾つか、そういう工夫をすると、小さなことですけど、進んでいく面があるんじゃないかという気がするんですね。
基礎自治体の役割の見直しを
加藤 そうですね。ですから、ぜひ、そう主張してほしいし、それから地域のことを本気で考えると、やっぱり基礎自治体たる市町村というものを、もっと充実させて、財源も与えて、まあ、都道府県というか、県というのは少し薄くしたほうがいいんじゃないかと。
国というものがあって、基礎自治体があって、真ん中の都道府県は薄いハムみたいなサンドイッチ、というのがいいように僕には思えてきて。
それで、誰でもなんか「ブロック制がいい」「道州制がいい」と考えちゃうんだけど、あれ、僕は東北ですから、仙台に何千人のブロック行政組織ができるのかなと。そしたら県庁職員はなくすのかなと、いうところまで、そろそろ考えなきゃならん時期にきているような気がするんですね。だから、ブロック制も本当は議論してほしいし、僕はこれからの流れとしては、県庁も今言ったように薄くして、それを市町村に落としていく。ブロックに上げるというのは逆方向じゃないかという議論もあるように思いますね。
谷垣 いや、私も加藤先生のおっしゃった方向性じゃないかなと思うんです。道州制、道州制といって、確かに大きな方向はたぶん道州制なんだろうと思うんですけれども、道州制の前にやっぱり市町村ですね、基礎的自治体は何をやるところか、という議論をしっかりやって、加藤先生がおっしゃったように基礎的自治体に、住民に密着した行政はそこできちんとやってもらうと。その上の調整とかはあると思いますけれど、基礎的自治体の役割というのをきちっと議論しないと、先の方向が見えてこないんじゃないかなという気がするんですけれどね。
だいたい、今、実際の仕事でいうと、地方が6国が4と言われていますけども、それだけ地方がやっているところは、連邦制の国でない限り、それだけ地方が実際仕事しているところは少ないと言われていますが、権限はあんまり行ってないんですよね。だから最後は国やなにかの紐がついている。そこが自治体の不満でもあって、もう少し地域に即した工夫ができるように、権限ももう少し見直していく必要があるんじゃないかなと思うんですね。
加藤 そうですね。
戦争責任、ナショナリズム、そしてこの国の未来
東京裁判をどう捉えるか
加藤 最後に2つだけ、議論をさせていただきたいんです。これは僕のホームページに出して、それなりに見てくれている人もいるものですからね。
谷垣 ええ、ええ。
加藤 この間、中国との関係で、戦争責任論をあなたが安倍さんに提起して、大変大きな論争になってきたと思うんですよ。よくその、安倍晋三氏の、まあ戦争責任者と国民とを分けるのは……
谷垣 「階級史観のにおいがする」、というふうに言っておられたですね。
加藤 どこが階級史観というふうに?
谷垣 だからまあ、指導者と一般の人たちを分けるといいますか、持てる者と持たざる者を分けるというようなことをおっしゃりたいんだと思いますけどねぇ。
加藤 ああ、そういう意味。
谷垣 いや、まあたぶんそういう意味じゃないかなと思ったんですけれど。
加藤 それじゃあ、会社が潰れた場合ね、たいてい社長と副社長が責任を取るわけですよね。それを、いやあ、社員も皆悪かったから潰れたんだよって言ったら、社員も怒るし…
谷垣 一億総懺悔論ですね(笑)。
加藤 一億総懺悔論で、赤紙一枚で戦場に行った人、そして特攻隊で死んだ人も、責任があるんですかね?
谷垣 私は実は京都遺族会の会長をやっているんですが、戦争の責任に対しては、遺族会の中でもいろんな意見があると思うんですね。それで、たとえばみんな今はもう遺族といいましても、遺児、お父さんが戦争で亡くなったという方でも、もう60になっておられるんで、そういう方が遺骨収集で南方戦線、ガダルカナルとか、そういうところに行かれると、これは非常に遺族会の会長としては言いにくいんですけれど、「自分のおやじはお国のために勇ましく闘って死んでいったんだと思っていたと。ところが、ここに来たらそうではなかった。非常に厳しい戦線に送られて、いわば餓死したみたいな死に方である。これはいったい、どういう責任なんだろう?」というような議論もありましてね。
加藤 ほう。
谷垣 いろんな議論があるんだろうと思うんですね。やっぱり、だけど、その戦争を指導したものの責任というものは、どこでどう判断するという議論はあるんだろうと思いますけれど、やっぱり明確にしておかないと、先へ進めないんじゃないかと私は思いますけれどね。
加藤 そう思いますね。で、あれは私は、今度の秋の臨時国会で、大論争になることだと思いますね。だから、その火付け役に結果的になっちゃったけれども、そこはお互いにしっかり考えていきたいと思いますね。
谷垣 そうですね。
加藤 それで、やっぱり一億みんな責任があって悪かったんだよというんじゃ、国民に厳しすぎるし、辛すぎるし、またそうすれば、そこで生きている日本人はもう1回責任を取ってくださいというのを、日中韓だけじゃなくて、日米の間でも呼び起こしかねないし、ぜひあれは整理してもらわないと、国のために良くないなと思って。
谷垣 まあ、歴史の見方というのも難しいですし、歴史の意義というのも多面的だというのもそうだと思うんですね。ただ、やっぱり私は、極東軍事裁判というのはいろんな見方があって、事後法で裁いたとか、勝者が敗者を裁いたとか、確かに法的に見ればいろんな問題点はあるんだろうと思うんです。ただ、政治的に見ますと、第一次大戦のときには、非常に過酷な賠償をベルサイユ体制はロシアに押しつけて、それに耐えられなくなって結局、事後の平和体勢が維持できなかったとか、いろんな反省の上に、第二次大戦のあともいろんな処理があったとは思いますが、日本は過剰な賠償を取られたわけでもないし、浄土の割譲を迫られたわけでもない。確かに北方領土問題などはまだ残っているわけですけれども。そういう納め方の中で、何にもナシというわけには済まなかったなかったんだろうと思いますね。
そういう政治的な戦争の落着の仕方としては、第一次大戦の落着の仕方よりもやっぱり反省を踏まえた、先に進んだものだったろうと思うんです、問題点はあったにせよ。
それをやっぱり、一応我々は引き受けて、国際社会の中に復帰していったということは、やっぱり意識しておかないと、おかしくなっちゃうんじゃないかと思うんですね。
加藤 そうですね。その、安倍くんの「美しい国へ」というのは、通奏低音みたいに「東京裁判は正当性がなかったんだ」ということを主張したいというのがあるんですね。ということは、この間の戦いはかならずしも間違いじゃなかった、ということなんで、それは僕は、日米では今後歴史的に議論があるんだと思うんですけれども、アジアの諸国には、やっぱりこっちのほうがちょっと侵略していった性格が強いと思うんですね。そこの議論もあるし、それから何よりも、東京裁判の主力はアメリカがやったわけだから、かなり基本的なところで日米の対決になる覚悟で言わなきゃいけないことだと思うんですね。だから、大変な主張をされているなという気がします。
ナショナリズムの向かうべき方向性とは
加藤 それで、私はナショナリズムというのには3つあって、ひとつは土地を奪い合ったり、返せと言ったり、そこの島は尖閣あたりは私の島だと言ったり。近隣諸国との闘うナショナリズムですね。これは政治的には非常に使いやすいナショナリズムで、家の中で子どもたちはわがまま、妻も言うことを聞かないというときにはですね、いい方法は、窓を開けて隣のおやじに罵詈雑言をぶつけるんですよ。すると向こうは当然、反発してくる。そうすると家の中はまとまるんだと。まあ、城内平和という考え方なんだけど、それ以外に、ワールドカップに頑張れといって、若い人がコンビニでアルバイトした金でドイツまで行って、日の丸のフェイスペインティングで「やあ!」というのは、健全ないいナショナリズム。GNPを上げようというのも、いいナショナリズムの競争だと思うんだけれども、いちばんいいナショナリズムというのは、この国を誇るナショナリズムといいますかね。日本ていうのは、こんな国なんだよといいながら誇りを持つ。フランス人というのは、フランス語が世界でいちばんキレイだと、それはフランスの文化がそこに凝縮しているからだと。本当かな?!と思うけれども(笑)、彼らはそう思って自慢していて、そういう“誇るナショナリズム”をぜひ問うてほしいと思うんだけれども。
谷垣 そうですね、なにか、おおらかにこの世の中に対していくためには、何か自分の中に自信がなければいけないし。それで私、ときどき言っているんですけれど、明治のはじめの最大のベストセラーは、福沢諭吉の『学問ノススメ』だと。それは、近代国家を作るときに、教育をしっかりやって“教育立国”しようと福沢さんは考えられたと。多くの国民もそれに共感を示したということだろうと思うんですね。だから、大ベストセラーになった。
もうひとつ、これはあまり『学問ノススメ』ほど有名じゃないんですけれども、志賀重昂という人が『日本風景論』という本を書いて、岩波文庫に入っているんです。これは、私は登山家出身なんで、登山家ならみんな読むんですね。なぜなら、「登山の気風を興作すべし」ということが書いてあって、それがみんな日本山岳会なんかができたりするきっかけになるんですね。
だけど、この本は山のことばかり書いてあるわけじゃなくて、要するに何が書いてあるかというと、山や河が本当に美しい、それが自分の故郷だっていう、日本は四季折々に自然に恵まれて、水の流れは美しいし、サクラの花だこうだとまあいうようなことが書いてあるわけですね。たぶん、明治の始め、欧米に互して近代国家を作ろうというときに、それまでは幕藩体制でいろいろあったのを、ひとつ日本人としてまとまりがなきゃいかんと、ナショナリズムは必要だと、そういうときに日本人の我々の生まれ育った風土、本当に恵まれたところに生まれ育ったんだと、たぶん、その背景には、古今集とか、あれだって四季折々の、春夏秋冬と分かれていますから、日本の四季折々を歌ってきた、そういう日本人の伝統を踏まえて、そういうところが我々の誇れるところじゃないかっていう、そこをひとつの核にして頑張ろうっていうのが、明治の初めにあったんじゃないかと思うんですね。私はそれは、シガイシゲタカがそういうことで日本の誇りを作ろうとしたというのは、今でも十分に通用することなんじゃないかなという気がしているんです。
加藤 まあ、本当に僕もそう思いますね。5,6年前、園田さんとか望月さんなんかといっしょにパレスチナに旅行に行ったことがあって、荒涼たる何もないところ、そこでああ、モーゼもキリストも、歩きながら弟子にいろんなことをのたもうたのかなと。こんなところにいれば、厳しい教えになるのは当たり前で、そこからイスラム教が分家したんだそうですね。
そうすると、厳しい教えの三大宗教の人々が今ケンカをしているなと。なんかとばっちりがきて、迷惑だなと僕は思うんだけども。
中曽根さんがこないだね、自民党で憲法素案の原文の基礎委員長になって、自然に恵まれたアジアの島国で、和をもって尊び・・・ということを書いて出したら、小泉さんが「こんな古いのダメだ」とかいって一発で蹴っちゃったんで、今、自民党の憲法改正論議は、ひと頓挫してますよね。でも、言葉遣いでまあ反発を持つというというのもあるんだけれど、右も左も、若きも老いも、なんかこうアイデンティティはなんか集中してきているように思いませんか?
谷垣 そうですね、中曽根先生のお書きになった中の、「和をもって尊しとなす」という、たぶん聖徳太子の憲法一七条を念頭に置いて書かれてんだと思うんですけれど、やっぱりこの言葉に反発する人もあるかもしれませんが、たとえば長い間にそういうことが大事だと思っているんだと思うんですね。だから、やっぱり自然の美しさと、そういう日本人の聖徳太子以来の伝統と言うとやや大げさかもしれませんが、結局それがチームワークのうまい日本人、そういうところにもきてるんじゃないですかね。
加藤 そうですね。そういうだいたいのコンセンサスが七割くらいできそうになっている日本の心の中心、山にも神様、山川草木ぜんぶ神様、かなりいい加減な思想なんだけれども、これでいいんですよねと(笑)、だんだんそうなりつつあるなかで、あんまり競争競争と言わないでほしいと。人間の輪とか、地域社会をぶっ壊すまで競争させて、そこの競争原理にあまり疑問を持たないでですね、落ちこぼれた人には再チャレンジさせればいいんだというのは、私はちょっと順番が違うように思うんですよね。
谷垣 やっぱり加藤先生がおっしゃったように、政治の目標を何に求めるかということがあると思うんですけれど、私は再チャレンジということにちょっと違和感を覚えますのはね、大部分の日本人がまじめに働いていたら、それなりに安心して暮らせるというのが、政治の目標じゃないかなと。それをみんな勝った負けたで、再チャレンジだという。もちろん競争も必要なんですけどね、ちょっと力点の置き方が違うかなという気がしていますね。
加藤 そうですね、まあ、ぜひ、かなり議論すると、見ていると三人の意見は違うんですけれども、そこをしっかり訴え続けて、ぜひ勝利を目指していただきたいと思います。
谷垣 はい、一生懸命やらせていただきたいと思います。
加藤 今日はありがとうございました。
谷垣 ありがとうございました。 "
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