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(回答先: 美しい国って? [きっこの日記] 投稿者 white 日時 2006 年 9 月 03 日 12:06:31)
□久保木修己履歴 [世界日報]
http://www.worldtimes.co.jp/book/simei/rireki.html
久保木修己履歴
昭和6年(1931年)2月3日、中国丹東(タントン)市(旧満州安東(アントン)市)に、父仙蔵と母よしの長男として誕生。銀行員であった父の転勤とともに満州各地や北京で幼少時代、少年時代を過ごし、敗戦によって内地へ引き上げ、13歳の時、はじめて故国、日本の土を踏んだ。
中国大陸での中国人、韓国人などとの民族の違いを超えた数多くの友人との親交、それと帰国して初めて目にした「美しい祖国日本」との出会いが、アジア的視野で日本を愛し続けてきた指導者・久保木修己の原点となった。
慶應義塾中等部から慶應義塾高等学校に進学。高校時代は野球部に属し、二度にわたる甲子園出場経験を持つ。慶應義塾大学時代は荒れる日本の世情に心を痛め、立正佼成会に入会。佼成会では青年部長、会長秘書として活躍した。
昭和37年、「統一原理」と劇的な出会いをし、世界基督教統一神霊協会に入会。同39年、会長に就任した。その後、神を愛し世界を憂える真摯な姿を慕って、数多くの学生、青年たちが集うようになった。
共産主義勢力が国の内外で荒れ狂っていた昭和43年4月、このままでは日本は滅びるという危機感のもと、国際勝共連合を日本において創設、会長に就任した。「共産主義は間違っている」との信念から日本共産党に対して公開理論戦を挑むなど、全国各地の大学や街頭で勝共運動を指導した。こうした活動が注目を集め、岸信介元総理をはじめ、各界の有識者から「勝共の若き指導者」として高い評価を受けるに至った。
さらにベトナム戦争の激化にともない、アジアの平和と安全を危惧し、アジア各国を歴訪。その途上、朴正煕(パク・チョンヒ)韓国大統領、蒋介石中華民国総統、フィリピンのマルコス大統領らを訪問し、会見を行った。
昭和45年9月には「ワクル(WACL=世界反共連盟)」世界大会を日本武道館(東京)で挙行。アジアの平和と安全の確立に大きく寄与した。
共産主義の伸張によって守勢に立っていた保守・良識陣営からは、「勝共に久保木あり」との賞賛と期待が寄せられた。また、中華民国中華学術院から名誉哲学博士号を授与され、さらに昭和46年6月には、ローマ法王パウロ六世と会見、世界平和への道について語り合った。
昭和48年から49年にかけては、唯物思想、共産主義の脅威を訴え、全国124カ所で「救国の予言」講演会を開催し、総計17万余名の聴衆が参加。全国の有識者にも深い感動を与えた。
昭和54年には、このような勝共国民運動の基盤の上で、「スパイ防止法制定促進国民会議」を設立、広範な国民啓蒙運動を展開。その間、同53年に蜷川(にながわ)京都共産府政を打倒したことは、「四条河原町の決戦」と呼ばれ、全国的な革新自治体ブームに終止符を打った画期的出来事として、その功績は今なお高く評価されている。
昭和59年(1984年)、「日本の平和と安全を守る全国7大都市大会」を開催。勝共運動に対する我が国朝野の評価は一気に高まった。このように常に救国・救世運動の最前線に立って指導し、日本のみならずアジアの共産化を防いだ功績は偉大であった。
また、世界反共連盟日本会長、アジア反共連盟(APACL)日本会長、米国極真空手会長、国際釣友好連盟会長、国際ハイウェイ建設を推進する会会長、国際文化財団理事長、日韓トンネル研究会顧問、東西南北統一運動国民連合常任顧問、世界基督教統一神霊協会会長などを歴任、各国の指導者と交流を重ねてきた。平成8年(1996年)、世界平和連合会長に就任した。
まさにその生涯は世界平和に一身を捧げるものであった。
著書に『久保木修己講演集』『久保木修己講演・論文集』『救国の予言』『愛天愛国愛人』等がある。
平成10年(1998年)12月13日、午前1時59分、世界平和と日本の未来を案じつつ、享年67歳で永眠。逝去に先立ち、夫人に「積善の家に必ず余慶あり」との言葉を託した。
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